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 2012年9月10日(月)
 今回も前回、前々回に引き続きまたも映画ネタであるが、家に閉じこもって老犬と戯れ、韓国語に苦しめられているだけの今の私には、外界の話題を採り上げることが出来ないので致し方ない。
 このところすっかり気温も低くなり、このまま秋、そして厳しい冬へとなだれ込んでいくのだとすると、いつまで老犬を散歩に連れていけるかも分らない。そうなると私と外界との接触はますますなくなり、韓国に住むことの意味は限りなく小さくなってしまう。全くもって困ったものである。

 何ヶ月か前に江戸川乱歩の長篇「孤島の鬼」を読んだ際、この小説を原案とする映画が存在することを知った。正確には「孤島の鬼」と中篇「パノラマ島奇談」を中心に「人間椅子」などの短篇も参照しており、そのためか映画の題名は「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(以下、「恐怖奇形人間」)というものになっている(監督は石井輝男)。

《「パノラマ島奇談」https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/56651_58766.html

  「人間椅子」(https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/56648_58207.html

 初期短篇に特に優れたものの多い乱歩は長篇作品を余り得意としなかったと言われるが、「孤島の鬼」はそうした長篇の中で最高傑作と呼ばれ、プルーストの「失われた時を求めて」(まだ全13巻中第5巻を読んでいるところである)に疲れた際、気分転換にと思って手に取ったものである(https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57849_71930.html)。
 「二銭銅貨」や「二癈人」、「心理試験」、「屋根裏の散歩者」、「人間椅子」、「鏡地獄」、「芋蟲」といった初期短篇は私もかつて愛読したくちであり、この「孤島の鬼」も評判が高く大いに期待したのだが、短篇にあったすぐれて文学的な文章や香気はこの作品からは少しも感じられず、おどろおどろしい登場人物や舞台の設定なども現代からすれば古めかしい印象が払拭できず、乱歩自身にもその傾向があったという同性愛に関する描写もありきたりで、気分転換どころかかえってフラストレーションの溜る読書だったと言っていい。

《青空文庫の江戸川乱歩作品一覧→https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1779.html


 だからその映画化作品だからと言ってとりたてて見てみたかったという訳ではないのだが、原作で描かれている身体障碍者の露骨な描写を映像でも出来るかぎり表現しようとしたためか、この映画はその種の描写に厳しい日本ではソフト化が一切為されず、一部の映画ファンの間では伝説的なカルト映画として語り継がれてきたものである(その後2017年10月に日本でもDVDが発売になった→https://www.toei-video.co.jp/catalog/dstd20029/)。

 ところが何年か前に「Horrors of Malformed Men」のタイトルのもと、この幻の作品が突如米国でDVD化され、日本のアマゾンなどを通じても入手できるようになった(ただし米国仕様なので普通のDVDプレイヤーでは視聴不可)。稀少価値は薄れてしまったものの、日本国内では特別な上映会でもないかぎり簡単には見られない状況が今も続いており、私もそのうち日本に帰国した際にでも米国版DVDを入手してみようと思っていたところである。


 乱歩原作の映画と言えば、他にも加藤泰の「江戸川乱歩の陰獣」や増村保造の「盲獣」といった作品が有名だが(川島透の「押繪と旅する男」もなかなか評価が高いようだが未見)、これらの作品がDVDで容易に入手できるのに対して、三島由紀夫による戯曲化作品によって広く知られている「黒蜥蜴」はこれまで2度も映画化されながら、未だにDVD化されていない(そのうち井上梅次監督版はDVDやBlu-rayで発売になった)。

 特に2度目の映画化作品は女主人公の黒蜥蜴を、江戸川乱歩や三島由紀夫とも親交のあった美輪明宏(当時は「丸山」明宏)が演じており、監督も時としてとんでもない駄作を作ってしまう「迷匠」深作欣二であることや、戯曲版の作者である三島由紀夫も端役で出演していることもあって是非とも見てみたいものだったが、ビデオでもDVDでも入手できない状況が続いていた。
 そこで今回、試しに無料動画サイトでこれらの作品を検索してみたところ、なんとあっさりといずれの作品も見られることが分った。「黒蜥蜴」はDVD化されていないことから画質が悪く、画面も全体的に暗くて誰が何をしているのか判然としない場面も少くないが、「恐怖奇形人間」は米国版DVDからそのままダウンロードしているのではないかと思われるほど画質も良い(もっともこれは著作権法上は由々しきことではあるのだが)。

 「恐怖奇形人間」には、原作である「孤島の鬼」にも「パノラマ島奇談」にも出て来ない探偵・明智小五郎が登場し(★1)、これら2作の登場人物を混ぜた上で削った挿話や人物もある関係で上記の同性愛に関する部分も省略されてしまっているが、その代り原作にはない近親相姦の要素が付け加えられたりしている。「孤島の鬼」におけるシャム双生児などの描写もそのまま再現されており(上述の通りそれが日本でこの作品のソフト化が未だに為されていない最大の理由だと思われる)、主人公(★2)の父親で、自身も障碍を抱える菰田丈五郎役の舞踏家・土方巽が、裸体に白塗りの「奇形」者たちとともに踊る「暗黒舞踏」や、不貞を働いて情夫の子供を産んだ美しい妻を罰するために情夫とともに洞窟に閉じ込め、先に死んだ情夫の死体に群がる蟹を飢餓状態にある妻に食べさせる猟奇的な場面などは、まさに初めから「カルト映画」たるべく作られたとでも言っていい重苦しく淫靡な雰囲気を漂わせている。

《★1 もっとも「パノラマ島奇談」には「北見小五郎」が登場し、登場の仕方やその謎解きの不自然さは「恐怖奇形人間」と同様である。これは名前こそ異なるが、基本的に明智小五郎と同工異曲の登場人物であると言っていいだろう。
★2 「パノラマ島奇談」の主人公である人見廣介と菰田源三郎の二役を演ずるのは、小津安二郎の遺作「秋刀魚の味」で、佐田啓二の後輩サラリーマンを演じている吉田輝雄である。この二人がとんかつ屋で一緒にカツを頬張りながらビールを飲む場面は、映画のなかの食事シーンが大好きな私が何度見返しても見飽きることのない場面である。》


 そうかと思えば、由利徹や大泉滉、上田吉二郎らが演ずるレヴェルの低いギャグまがいのやり取りが意味もなく挿入されたり、カルト映画に必須な「驚愕と爆笑とで観客たちに一体感を味わわせる」要素としては申し分のないエンディング(★3)などは、それまでの人間存在の暗部をえぐり出すような、陰鬱で後ろめたさを感じさせる実に乱歩らしい作風を一気にぶち壊しかねない「おふざけ」演出だとも言っていい。

《★3 「パノラマ島奇談」の結末から触発されたのだろうが、映画の終結部では花火とともにあるものが空を飛び、印象的な台詞が繰り返されるのだが、これはこの映画の「見どころ」でもあるので実際に見て味わっていただくしかない。》


 さらにこの映画においては推理小説としての整合性や謎解きよりも乱歩作品における背徳的な世界観を再現することがより重要だったに違いなく、どこか翳のある下男を演じていた大木実が映画の終結部になってふいに探偵・明智小五郎になり変り、取ってつけたような謎解きを始める場面などは如何にも不自然で蛇足にすら思えてしまうほどである。
 結局のところ、私にとっては子供向けの娯楽小説の域を出るものとは思われなかった原作「孤島の鬼」と同様(「パノラマ島奇談」は子供の頃に読んだきりでうろ覚えであるが)、この映画にしても一部のマニアなどが皆でわいわい騒ぎながら楽しむ「カルト映画」としては面白いかも知れないが、映画作品そのものとして再見に耐えうるものかどうかと問えば、甚だ疑わしいと言わざるをえない。
 

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 一方の「黒蜥蜴」は、その出だしからして既に、如何にも三島由紀夫経由の江戸川乱歩だと思わせるような煌びやかでありながら物憂い雰囲気を漂わせる映像や、美輪明宏の作詞・作曲・歌による怪しげな主題歌、そしてどこか音程のはずれたような冨田勲によるけだるいジャズ風の音楽とによって一気に観客を画面にひきつけることに成功している。上の写真にもあるように、主題歌の流れるクレジット・タイトルの背景にはビアズリー描く「サロメ」の挿絵が用いられ、こうした細部にも三島由紀夫の影響が顕著であると言っていい。
 そして主人公の黒蜥蜴(美輪明宏)と、木村功演ずる知的だがひどく暗い翳のある探偵・明智小五郎は、普通の人間同士の間で交わされるものとはとても思えないような、三島由紀夫らしい凝った台詞を映画の冒頭から応酬するのである。

黒蜥蜴「今日はいつもの夜と違うようね。夜がひしめいて息をこらしているわ。犯罪が近付いたのよ。こういう晩が私は好き。体が熱く火照って眠れそうもない。あなたは?」
明智「私ですか?」
黒「ええ、こんな夜はお嫌い?」
明「あなた詩人ですね」
黒「あなたは批評家?」
明「なぜです」
黒「美しいものを見ても、素直に酔うことができない。あなたの目はそんな感じよ」

 こうした気の利いた(?)台詞は随所に見て取れる。例えば明智小五郎は「敵」である犯罪者・黒蜥蜴を評してこう言う。
「黒蜥蜴、きみは時代遅れのロマンチストだ。汚職だの殺人だのが渦巻いている今の世の中に、犯罪だけはきらびやかな裳裾を5メートルも引きずっているべきだと信じている。まるで哀れに退化した蜥蜴たちの夢のように」


 そしてこうした台詞に拍車をかけるのが、美輪明宏や川津祐介らの、まるで舞台の上で演じているかのような人工的な台詞まわしである。それはまさに三島由紀夫の小説世界そのものと言っていい装飾過多なまでの仮構の世界であり、この映画の主人公である女盗賊・黒蜥蜴を男性の美輪明宏が演ずることでその仮構性はますます助長される(ついでだが、映画サイトなどの批評や感想を見てみると、この作品における美輪明宏を「美しい」と評している人が少くないが、正直私にはその不自然にひきつった笑顔といい奇妙な笑い声といい、とても女性とは思えない爬虫類のような顔付きといい、ただただ人工的で嘘くさく、それゆえに恐ろしく思えてならない)。
 だが、この極めて淫靡で暗い映画にも、その効果が成功しているかどうか大いに疑問ではあるものの、いくばくかのユーモアの要素はある。若き日の松岡きっこ演ずる令嬢の父親で、黒蜥蜴の狙うダイヤモンド「エジプトの星」を所有する富豪・岩瀬庄兵衛の邸宅で警備にあたっているチンピラヤクザの、まるでテレビドラマのような安っぽい人物造型や、上の写真にもあるような三島由紀夫演ずる「生きた人形」の場面は、ただただ苦笑を誘うだけで、まさに「トンデモ」監督である深作欣二の面目躍如たるものがあると言っていい。


 結局のところこの作品もまた、「恐怖奇形人間」同様に「カルト映画」たる要素は豊富であり、しかしまさにそれゆえに作品の完成度や探偵・推理モノとしての緻密さからは程遠いものとなってしまっている。
 しかしそれでもなおこの「黒蜥蜴」という映画には一度見たら病みつきになりそうな過剰なまでの「まがいもの」がもたらす人工美とでも言うべきものが横溢しており、皮相な奇怪さから脱しえていない「恐怖奇形人間」とは一線を画している。それは江戸川乱歩作品に内在するものであるというよりも、上記のように三島由紀夫という装飾過多なまでに豪華絢爛で造り物めいた作品世界を構築して逝った天才(というよりむしろ異才か)によるところが大きいに違いない。



 最後に話は変るが、ヴェネツィア国際映画祭において韓国の奇才キム・ギドクの「ピエタ」が最高賞である「金獅子賞」を受賞した。先に触れたようにこの種の国際映画祭の最高賞だからと言って少しも油断できはしないのだが、世界三大映画祭で韓国の作品が最高賞を取るのは(意外なことに)今回が初めてとのことで、ヴェネツィアやベルリンで監督賞を受賞し、カンヌでも「ある視点」賞を獲得するなど既に世界的な映画作家としての地位を確立しているキム・ギドクが、ようやくその実力を報われたことを素直に喜びたい。
 特に2005年の「弓」以降は低迷が続いていたが、今回の受賞が単なる功労賞としてではなく、かつての「受取人不明」や「うつせみ」(原題は「빈집=空き家」)、「サマリア」といった佳作に伍するような作品そのものに対する賞だと信じたい。