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 2010年6月28日(月)
 今回、初めは何枚かコンサートの様子を写真に撮り、曲名を記録しておくためそれぞれの曲を数十秒程度でもビデオに録画しておけたらと思いデジタル・カメラを携行したのだが、何度となく余りの演奏の素晴らしさに途中で録画するのを止めるに忍びなくなり、一曲まるまるビデオに収めることになった。おかげでコンサートの3分の1も終っていない段階でSDカードが一杯になってしまい、それ以上ビデオ撮影が出来なくなってしまった。今回のコンサートはポール・マッカートニーが久々に里帰りし、英国各地で行ったライヴ活動の締めくくりとなるものだそうであるから、ニューヨークで行われたコンサートと同じく、いずれCDやDVDで発売されることを強く願っているが、果してどうなることだろうか(※)。

《※いつまで視聴可能か不明だが(後日記 ライヴ映像はもはや下記アドレスでは視聴できなくなった)、このライヴの模様は以下のウェブサイトでその一部を見ることが出来る。
 http://www.youtube.com/BornHIVFree ← 既にリンク切れ

 その代わり、以下で一部が見られる

 https://www.youtube.com/watch?v=u3qFXUHoUaI← 既にリンク切れ》

 コンサート会場を埋め尽くす観客は10代の若者から60代であろう年輩の人々まで様々だったが、驚いたのは若い人たちを含め、周囲の観客が実に細部にまでわたって曲をよく覚えているということだった。今回演奏された曲のほとんどが、ロック/ポップ音楽を語り継いでいく上で忘れる訳にはいかない名曲ばかりだったとは言え、一旦曲が始まると聴衆は我慢できず、ポール・マッカートニーの歌声にあわせて一曲まるまる唱和するのだった。時には観客の歌声が大きすぎて当のポール・マッカートニーの声がよく聴えない程で、純粋に演奏や歌を聞きたいと思っていた私は初めのうちは少し苛立ちさえしたのだったが、コンサートが進行していくにつれて、ついつい自分もまた曲に合わせて歌を口ずさんでいることに気付いた。
 英語の歌詞を意味と共に記憶している英国人や英語圏出身の聴衆と違い、ただ繰り返し聞いたままを耳で記憶しているに過ぎない私にとって、多くの場合、歌詞はうろ覚えでしかなかったのだが、それでもサビの部分などははっきりと脳裡に沁みついていて、いつしか周囲の人々と少しも違和感なく歌声を張り上げているのだった。
 昨日も書いたように、今回のコンサートは、ポール・マッカートニーにとっては既に鬼籍に入ってしまった親しい友人や亡妻への鎮魂の機会であると共に、生前は彼らに告げることの出来なかった「発せられることのなかった言葉」を、後悔とともに歌う機会でもあったかも知れない。たとえジョン・レノンやジョージ・ハリソンを思って彼が歌った「Here Today」や「Give Piece a Chance」、「Something」などには社交辞令的な匂いを嗅がないではいられなかったとしても、長く連れ添った亡妻リンダに捧げた「My Love」には、木石漢の私といえども危うくホロリと来てしまいそうな程のふかい情感がこもっているように感じられた。
 特にこの数年の間、彼が心ならずも公衆にさらすことになった前妻との醜い離婚騒動のことを思うと、数々の愚行の果てに漸く多少の分別を取り戻し、今は亡きかつての愛妻リンダのことを思い返しながら「My Love」と歌う彼の姿に心打たれない訳には行かなかった(たとえこれからもまた、同じような愚行を繰り返すかも知れないとしても、である)。

 真夏の夜の宴が終って一日が過ぎてしまうと、私はもはや昨日経験した濃密で特別な時間のことを言葉で表現することが出来なくなっていることに気付く。時折ロンドンの街を歩いていて、鳥の鳴き声くらいしか聴えてくることのない静謐で穏やかな瞬間に出くわすたび、いくら写真やビデオでこの瞬間を捉えようとしても、決してその静けさや穏やかの風のそよぎを、自分を満たしている幸福な気分を記録することは出来ないと思うことがある。
 昨日、ゆっくりと陽が翳っていくなかで広大なハイド・パークに数万の人が集い、もうすぐ70に手が届こうという一人の老年の男が歌う姿に歓声をあげ、共に歌い、時間を忘れて夢中になっている様子もまた、どうやっても写真やビデオには収めることの出来ないものである。特に(昨日も触れた)「Blackbird」という歌が始まってハイド・パーク全体がしんと静まり返り、ポール・マッカートニーの弾くギターの音と彼の歌声とが公園全体に静かに響きわたってすべての聴衆が無言のままそれに聞き入っていたときの、薄ぼんやりとした夕陽の色や生ぬるい風の匂い、高く広い空にゆっくりと浮ぶ雲の動きやその間を遠いかなたに進んでいく飛行機の機体に照り返す陽光のまぶしさは、どんな記録媒体にも焼き付けることは到底できはしまい。
 それは今でも私の瞼にはっきりと刻みこまれ、肌に生々しい感触の残っている光景であるが、しかし私はそれを言葉によって表現する術を持たない。それは儚く過ぎ去った遠い日の幻のようでもあり、あるいは今もまだ息づく身近な現実のようでもある。

 いつしか少年は年老い、過去の美しかった記憶は数々の過ちや愚行によって歪められ、ふと気付くとかつて愛した者や親しかった友たちは遠くどこかにいなくなってしまっている。彼らに向って大声で歌いかけても、しかしその声はもはや決して彼らに届くことはない。それでも彼はひとり歌い続けるのだ。
 私はふいに、雲雀(ひばり)について語った漱石の「草枕」の一節を思い出す。
 「あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。(中略) 
 雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である」
 3時間以上の間、瞬時も休むこともなく舞台の上で歌い、おちゃらけ、飛び跳ねて、少しも疲れることを知らぬ一人の男の面影の上に、私はこの雲雀の姿を見るようだった。
 Band on the Run、そして人生は続く。哀しくも、また惨酷にも…。