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 2010年6月27日(日)
 いま、HARD ROCK CALLINGという野外イヴェントがハイド・パークで行われており、今日は最後の出し物がPaul McCartneyのライヴだった。


 これまでも彼のライヴに行く機会は何度かあったはずだが、一度として行ってみようという気にはなれなかった。解散後のビートルズのソロ活動にさほど関心がなかったこともあるし、とりわけポール・マッカートニーの解散後の音楽活動に目覚ましいものがないと思い続けて来たからでもある。ビートルズ・ファンはジョン・レノン派とポール・マッカートニー派とに分れることが多く、今もインターネットなどで両者のファンが不毛な戦いを続けたりもしているが、私もどちらかと言えばジョン・レノン派で、ポール・マッカートニーの何も考えていないような不用意で薄っぺらな発言にも共感できないことが多かった。

 それでもウイングス時代のヒット曲や、「Band on the Run」というアルバムなどの有名曲は一応聴いていたし、ウイングス時代のライヴ・コンサートを収録したCDやビデオは愛聴してもいた。それでいてあえて関心を向けようとしなかったのは、若さゆえの気まぐれな不寛容によるものでしかない。


 ジョン・レノンが悲劇的な最期を遂げ、最年少のジョージ・ハリソンまでもが病気で鬼籍に入ってしまい、ポール・マッカートニーもつい先日68歳を迎えた。私自身も数年前に40歳を迎え、未だ「不惑」とは程遠いものの体力や気力の急激な衰えについ余生ということを思ってしまう年代になった。それと共にこれまで大した意味もなく拘泥していた物事の多くが、実際はどうでも良いような思い込みや狭隘な偏見に基づいていたり、単に自分が意地を張っていたりしただけだということが分ってくるようにもなった。


 そうなると、これまで敢えて目を向けないようにしていたポール・マッカートニーのソロ活動にも次第に寛容になり、この6月にロンドンで野外ライヴが行われると聴いて、即座にインターネットで予約をしている自分を見出した。見方によっては、年をとるということは決して悪いことばかりではないのかも知れない。


 ライヴはハイド・パークの特設会場で行われ、チケットは一日有効のものなので、ポール・マッカートニーの前にもELVIS COSTELLOやCROSBY, STILLS AND NASHなどの懐かしい面々の演奏を聴くことが出来る。私はと言えば、お目当てのポール・マッカートニーのライヴに向けて体力と気力を温存するため、4時過ぎまで家でのんびりと過ごしてからおもむろに仮住いからハイド・パークに向って歩いて行った。
 CROWDED HOUSEという、私は全く知らないがなかなか人気のあるらしいバンドの演奏途中で会場に着き、出来るだけステージに近い場所を確保した私は、少し芝のはえた砂地の地面に腰をおろし、昨日に続いて快晴で気温も高いなかで日光に当り続けて焼け焦げないよう、周囲の人たちを真似て折り畳み傘をさして直射日光を避け、CROWDED HOUSEとCROSBY,STILLS AND NASHの音楽を聴きながら、昨日カーライルの家で署名を目にしたVirginia Woolfの「Mrs Dalloway」(もちろん日本語訳)を久々に取り出して読みふけっていた(この書物についてはいずれロンドンとの関連で触れてみたいと思っている)。


 約2時間半の後、ようやくポール・マッカートニーのライヴが始まったのだが、既に今日は時間も遅く(ライヴは3時間近くぶっ通しで、終了したのは10時半過ぎだった)疲弊しきっているので、詳細については後日触れることにしたいと思う。昨年米国ニューヨークで行われ、CD&DVDにもなったGood Evening New York Cityというライヴとかなり曲名が重なっているのではないかと思われる内容で、一言で言えば、極めて巧みに構成されたコンサートだったと言えるかと思う。ウイングス時代のライヴでも最初に演奏されることの多かった「Venus and Mars & Rock Show」という曲でバンドの演奏が幕を開け、最後は「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(Reprise)」で観客への感謝を述べ、The Beatlesとして最後の最後の曲である「The End」で締めくくるという内容である。


 そして要所要所で、ジョン・レノンや亡妻リンダへの、そしてジョージ・ハリソンへの追悼ともオマージュとも言える曲を演奏することで、これら今や死者となってしまった人々とのある種の和解を企図しているようでもある。Band on the Runという曲の題名が、私にはバンド=人生という風に思え、「そして(それでも)人生は続く」という意味に取れて仕方なかった。
 米国で起きていた人種差別やそれに対する公民権運動などを見て、自分なりの考えを表明するために作ったと自ら解説して歌った「Blackbird」は、会場の雰囲気をも含めた感銘度では今日のライヴで随一のものだったが、公民権運動云々の話は(以前から語られているし、各種解説書にもそう書いてはあるが)ポール・マッカートニーらしい後から無理やり取ってつけたような話にも思え、昔の私だったらブーイングをしていたかも知れない。しかし年をとって丸くなったおかげで、そうした白々しそうな話にさえ一定の理解を持てるようになった(それでもこれは、そうした理屈なしに純粋に曲の美しさを味わいたい曲のひとつであるのも事実である)。


 コンサートが終ると、私の隣にいた女性が、これまで見た中で最高のコンサートだったと何度も繰り返しているのが聞えたのだが、私自身かなり感情的・情緒的になっていることをはっきり認めながら、私にとっても今夜のコンサートは特別なものだったと言える。むろんポール・マッカートニーは全盛期の声も歌唱力ももはや失ってしまっていて、演奏そのものだけを見てこれが最高のコンサートだったと言うことは、彼に対しても礼を欠くことになるかも知れない。
 しかし彼も私もお互いに年をとった今、多くの過ちや愚かな行為を繰り返した果てに、今現在自分がいる地点に辿り着いて過去を振り返り、ある種の諦観とともに客観的に自分の人生を眺めることが多少なりとも出来たのではないかと思え、今日のコンサートはこれまで見たどのコンサートとも意味合いが異なっていたと言うことは出来るような気がしている。
 上記の通り、詳細な報告は改めてすることにしたい。