世界がザワザワと静けさの挟間のとき、
無意識の世界でわたしたちは日ごとテレパシックに受けとっている情報がある、ね
...集合意識のなせるワザ
不透明さの中にいるわたしたち...
わたしたちの進化は、いま、この不透明さのまっただなかに在る.
とても静かで、なにもおこっていないようにありながら、
水面下で何が起りつつあるのかを、
どうしても感じてしまうわたしたちの細胞.....
こういう時に、人はついサバイバルのボタンを押してしまう...
けれど、今こそが、サバイバルし続けることを選択するか、
そういう次元を超越して委ねると云う意識の状態を習得するかの....挟間.
そう、そういう時にこそ、日頃わたしたちがどのように感じ、
体験してきたのかが、全て現れてくる....
なにかが起こる前に、それらを予測して、
それらがおこらないようにと対処してゆくことって、そんなにも大切なことだろうか.
偉大なる聖人と云われる人たちがこれまでわたしたちに観せてくれたこと.
.....
それっていつも「たった一つ」のことだったように思う.
私という概念の全てを含む全体、大いなる愛の存在を求め、
その意識と一つであったことを思い出し、
そこから流れくる生命の光を受けとり、それらをこの星において、
その時々において、できえる可能性を活かさせてくださいませ、
と、いうようなこと.
キリストだって、ヒーラーになりたくってヒーリングのお勉強をしたわけじゃない、
チャネラーになりたくって、チャネリングのやり方をお勉強したわけでもない、
テレポーテーションしたくて、そのお勉強をしたわけでもない....
それって、魂が軽くなった時には、そこにあるものだから.
それらを魂が重い時に、一生懸命お勉強したところで、
それらを真に活かすことも生きることもできないで終わってしまう.
時には、中途半端なエゴに、他の人を巻き込んで、混乱させて、
お互いの進化の足を引っ張るというカルマをつくってしまうことにもなりかねない.
知識と道具(やり方)を使うことなく溜込むことで、
大きな書斎が必要なお家の住民になる.
しまいに、混乱して、全部ないものとなってしまう.
とか、後生大事にわかったつもりで冷蔵庫とか引き出しの中奥深く
賞味期限切れになって、捨てるしかなくなってしまったりもする.
活かす....ということに辿り着くことがないまま.
それでは、体験という記憶がないままなので、いつの日にか忘却の彼方へと消えてゆく
...無駄に生きたということになってしまう.
その反対で、体験というものはしっかりとアカシックレコードに記憶されて、
永遠のなか、過去と現在と未来がパラレルに存在する宇宙、
いつでもそこにアクセス可能な今となリ、
どの瞬間においても人類、いえいえ宇宙の存在全てにとっての宝物となる.
その時々に、自分と云うことの枠を超えて、
人類全体のことを思い、できることをさせてくださいと、
そうしてシンプルさの中、真摯に生きていたら、
それらはそこに差し出されて、ただあったのだと思う.
そしてその差し出された役割と云うようなものに対して、
めんどくさいとか、怖いとか言うのでなく、
ただただそれこそが我というものを与えられて
いま此処に存在する意図であると、
ありがたく受けとって、天命を全うしていた、そういうことだと思う.
だって、それらを真に全うするって時には、
とても勇気や忍耐を必要としたりするものであるから.
真にそういうものを活かして生きるには、余分なものが相当じゃまをする.
シンプルを極めていても、それらは自然という計り知れない壮大さをもって、迫りくる.
聖人と云われる方達って、そういうことしかいってない、そういう風に感じるのです.
これも、また私の感じたものでしかないのですが...
それらは一人一人、人の数だけ、受けとり方が違うものであるから.
これはあくまでも、私の感じ方ですが、
これらをどのように感じるかの違いこそが織りなす全体が、
それこそが集合想念の深みだと思うのです.
何ものかになろうとすることはまったくの無駄でしかない.
それよりは、自分が何ものなのか、何ができるのか、
何をすることにワクワクするのかを、観つめてみることがいいと思う.
なにかが起こる前に、それらを予防することも、またまったくの無駄でしかない.
なにかが起こった時に、そこから何を感じ、学ぶのか、
それらにどう対処するのか、それこそが大切なことだと思う.
エゴがかき集めて、大切に溜込んできたものを、
ひとつひとつ手放して、お家(意識)を、自己でオーガナイズできる、
シンプリファイされたものにしておくこと.
そういう不必要なものをすべて、こそげ落とされた
魂の軽さを身につけた時、(身にまとうものは鎧ではなく輝きのみ)
初めて私達の真の役割は発動する、
そういう風に内在する種は記憶しているものだ.
幻想と現実の挟間で、わたしたちは居る
そういう瞬間の在り方、それらは必ずや全体の中において、
集合意識.....それらをその瞬間に書き換え、
この星の未来を形づくっていくものだから.
わたしたちは、いまこの瞬間に、
この星の新しい神話を造り出している、そういう存在なのだから.
じつは此処のところ古くから書きためたものをまとめて読み返している.
...そして気がついた.
わたし、数年前から、
毎日のように同じことを書き続けていると云うこと.
よく思い出してみたら、幼稚園児のころから、それははじまっていた.
まあ、物心がついた頃ってことで、
それらは産まれ落ちる以前からってことだと思うけど.
同じこと、同じテーマを繰り返し、
変わらずに感じ、大切にし続けているということに、気がついた.
きっと、これがわたしの本質...
こうして、いま、自分のしたいこと、イマすることだと云うことに
気がついていられるということは、ほんとにありがたいことです.
方向性を見極めて、これからの方向に光を与えること.
新しい次元に生きると「決める」こと、とても大切なこと.
アルケミストとして生きること.
あとは、自然なるままに
今にめまぐるしく現れいづるであろう加速された時の中、
差し出される大いなるワクワクを、
どんな時にも真ん真ん中から、
現れいでる落ち着いた個の表現(光、周波数)として、
この星にしっかりと定着させてゆきませう
壮大なる神話を創る創造者としてのわたしたちですから、ね.
love u all... From Dairy of Oct. 28 2007
無意識の世界でわたしたちは日ごとテレパシックに受けとっている情報がある、ね
...集合意識のなせるワザ
不透明さの中にいるわたしたち...
わたしたちの進化は、いま、この不透明さのまっただなかに在る.
とても静かで、なにもおこっていないようにありながら、
水面下で何が起りつつあるのかを、
どうしても感じてしまうわたしたちの細胞.....
こういう時に、人はついサバイバルのボタンを押してしまう...
けれど、今こそが、サバイバルし続けることを選択するか、
そういう次元を超越して委ねると云う意識の状態を習得するかの....挟間.
そう、そういう時にこそ、日頃わたしたちがどのように感じ、
体験してきたのかが、全て現れてくる....
なにかが起こる前に、それらを予測して、
それらがおこらないようにと対処してゆくことって、そんなにも大切なことだろうか.
偉大なる聖人と云われる人たちがこれまでわたしたちに観せてくれたこと.
.....
それっていつも「たった一つ」のことだったように思う.
私という概念の全てを含む全体、大いなる愛の存在を求め、
その意識と一つであったことを思い出し、
そこから流れくる生命の光を受けとり、それらをこの星において、
その時々において、できえる可能性を活かさせてくださいませ、
と、いうようなこと.
キリストだって、ヒーラーになりたくってヒーリングのお勉強をしたわけじゃない、
チャネラーになりたくって、チャネリングのやり方をお勉強したわけでもない、
テレポーテーションしたくて、そのお勉強をしたわけでもない....
それって、魂が軽くなった時には、そこにあるものだから.
それらを魂が重い時に、一生懸命お勉強したところで、
それらを真に活かすことも生きることもできないで終わってしまう.
時には、中途半端なエゴに、他の人を巻き込んで、混乱させて、
お互いの進化の足を引っ張るというカルマをつくってしまうことにもなりかねない.
知識と道具(やり方)を使うことなく溜込むことで、
大きな書斎が必要なお家の住民になる.
しまいに、混乱して、全部ないものとなってしまう.
とか、後生大事にわかったつもりで冷蔵庫とか引き出しの中奥深く
賞味期限切れになって、捨てるしかなくなってしまったりもする.
活かす....ということに辿り着くことがないまま.
それでは、体験という記憶がないままなので、いつの日にか忘却の彼方へと消えてゆく
...無駄に生きたということになってしまう.
その反対で、体験というものはしっかりとアカシックレコードに記憶されて、
永遠のなか、過去と現在と未来がパラレルに存在する宇宙、
いつでもそこにアクセス可能な今となリ、
どの瞬間においても人類、いえいえ宇宙の存在全てにとっての宝物となる.
その時々に、自分と云うことの枠を超えて、
人類全体のことを思い、できることをさせてくださいと、
そうしてシンプルさの中、真摯に生きていたら、
それらはそこに差し出されて、ただあったのだと思う.
そしてその差し出された役割と云うようなものに対して、
めんどくさいとか、怖いとか言うのでなく、
ただただそれこそが我というものを与えられて
いま此処に存在する意図であると、
ありがたく受けとって、天命を全うしていた、そういうことだと思う.
だって、それらを真に全うするって時には、
とても勇気や忍耐を必要としたりするものであるから.
真にそういうものを活かして生きるには、余分なものが相当じゃまをする.
シンプルを極めていても、それらは自然という計り知れない壮大さをもって、迫りくる.
聖人と云われる方達って、そういうことしかいってない、そういう風に感じるのです.
これも、また私の感じたものでしかないのですが...
それらは一人一人、人の数だけ、受けとり方が違うものであるから.
これはあくまでも、私の感じ方ですが、
これらをどのように感じるかの違いこそが織りなす全体が、
それこそが集合想念の深みだと思うのです.
何ものかになろうとすることはまったくの無駄でしかない.
それよりは、自分が何ものなのか、何ができるのか、
何をすることにワクワクするのかを、観つめてみることがいいと思う.
なにかが起こる前に、それらを予防することも、またまったくの無駄でしかない.
なにかが起こった時に、そこから何を感じ、学ぶのか、
それらにどう対処するのか、それこそが大切なことだと思う.
エゴがかき集めて、大切に溜込んできたものを、
ひとつひとつ手放して、お家(意識)を、自己でオーガナイズできる、
シンプリファイされたものにしておくこと.
そういう不必要なものをすべて、こそげ落とされた
魂の軽さを身につけた時、(身にまとうものは鎧ではなく輝きのみ)
初めて私達の真の役割は発動する、
そういう風に内在する種は記憶しているものだ.
幻想と現実の挟間で、わたしたちは居る
そういう瞬間の在り方、それらは必ずや全体の中において、
集合意識.....それらをその瞬間に書き換え、
この星の未来を形づくっていくものだから.
わたしたちは、いまこの瞬間に、
この星の新しい神話を造り出している、そういう存在なのだから.
じつは此処のところ古くから書きためたものをまとめて読み返している.
...そして気がついた.
わたし、数年前から、
毎日のように同じことを書き続けていると云うこと.
よく思い出してみたら、幼稚園児のころから、それははじまっていた.
まあ、物心がついた頃ってことで、
それらは産まれ落ちる以前からってことだと思うけど.
同じこと、同じテーマを繰り返し、
変わらずに感じ、大切にし続けているということに、気がついた.
きっと、これがわたしの本質...
こうして、いま、自分のしたいこと、イマすることだと云うことに
気がついていられるということは、ほんとにありがたいことです.
方向性を見極めて、これからの方向に光を与えること.
新しい次元に生きると「決める」こと、とても大切なこと.
アルケミストとして生きること.
あとは、自然なるままに
今にめまぐるしく現れいづるであろう加速された時の中、
差し出される大いなるワクワクを、
どんな時にも真ん真ん中から、
現れいでる落ち着いた個の表現(光、周波数)として、
この星にしっかりと定着させてゆきませう
壮大なる神話を創る創造者としてのわたしたちですから、ね.
love u all... From Dairy of Oct. 28 2007