昨年に偶然に読んだメキシコの雑誌の記事...
メキシコ全土で、ここ10年の内
もっとも開発が進んでいる街...それが、私たちの街だった.
私が家を持っていたエリアは、貧富の差が極端に激しいメキシコ人の中、
わりと貧しい人々の住むところだった.
そこに住んだ最初の年...1996年.
そこら辺には、電気が初めてきて便利になったと喜んでいた.
お水はブロックごとの角に設置された水道に、バケツを持って汲みにくるという状態.
ありがたいことに我が家には、井戸があったのでバケツを運ぶ必要はなかったけれど、
そのユカタン半島独特のあのピラミッドを造った祖先の末裔らしい石組みでできた井戸と
外壁の石組みの美しさに惚れ込んで、その家に住もうと決めたのだった.
もちろんの如く道は舗装されて、いない.
堅い土ならいいのだが、浜辺なのでそこを風が強く吹くと砂埃が上がるので、
家の中はいつも砂がたまっていた..
そこからほんの数十分先にある観光客の世界や、
その繁華街から我が家のちょうど反対に位置する
高級な別荘が建ち並ぶエリアの美しさとは違う、ローカルの暮らしがあった.
その高級な別荘エリアは,とても静かな場所で、
南国独特の鳥たちの歌声と柔らかな風が流れているお気に入りの場所で、
自転車にのってそこを訪れる時は、楽園そのものである別のトリップに癒された.
たくさんの友人はそのエリアに暮らしていたから、
シンボリックなほどに、その正反対に位置する貧しいエリアに
家を買う私を信じられないことだとミンナに驚かれた.
そんな外国人はそんなには、いなかったから...
でも、賑やかでときおりうるさくて眠れない私の暮らしの場所には、
本来のメキシコらしい暮らしがあった.
それに、そんな高級な土地を買うような予算は実際の私にはなかった.
それでも、それらの完成されたものとはまた違った、
これからどのようにでもなっていく未発展な可能性をそこに観ることができた.
歩いて果物屋さんやトルティヤ屋さんにいける.
生活の近距離にありとあらゆる何々屋さんという存在がある.
レストランも繁華街の1/4の値段のコミーダコリーダと呼ばれる定食屋さんが立ち並び、
まあ、いってみれば、下町というのでしょう.
自転車に乗って、言葉も暮らしぶりも何もかもが初めましての世界をうろついた.
今思い返せば、その一日一日がなんてドキドキワクワクする体験だったろうと思う.
毎日マイニチ、いちかばちかでモノゴトが進んでゆく.
そうあることによって、日々築き上げられる暮らし.
まだ若かった私が望んでいたものは、
そういう日々の体験から成長してゆくことだったのだと思う.
そんなことができるかしら?ではなく、見よう見まねでまずはしてみることによって、
次にすることが現れては、進んでゆくのだ.
そのエリアも...住みはじめた時から開発ラッシュが始まった.
次の年には各家庭に水道が通り、
その翌年には家の前に歩道付きの舗装道路ができた.
2ブロックいくと海だったけれど、1ブロック先から海までは当時はジャングルで、
昼間でも女の人が一人で歩くのは危険だと云われていた.
たった1ブロック先で目と鼻の先だというのに、ね.
今年,訪れたら、そのジャングルは高級コンドミニアム街になっていた.
それでも、まだその目と鼻の先の私の家の回りには、かなりの貧しい暮らしぶりの家々.
まさに...挟間での暮らしがあった.
それらの落差のある暮らしのカオスの如くの共存する在り方には、本当に驚く.
村が村らしさで循環していた時には、
きっと人々はその暮らしの中で幸せに満ち足りていられたのでしょうに.
そこにそのような違いを見はじめる時には、
人はなにか、そこに足りないものを見始めてしまうようになる.
飢えるという気持ちが始まってしまう.
それはよりよくなろうという人間の本能によるものであればよいが、
エゴからくる欠乏感にも陥るこの星に蔓延する大きなトリックだとも思う.
私がそこに暮らしはじめ...
買った土地には、とてもステキな外壁と井戸があって、
その他にはかろうじて屋根のできている部屋が二つと
屋根のない外壁だけができあがっている家が建っていた.
そこに暮らしはじめて1年後、妊娠してカリフォルニアに戻ることになったのだが、
その後も冬のシーズンになると数ヶ月をそこに戻り暮らしたりとか...
5年に渡るそこでの暮らしの間に、手作りでその家を創っていった.
お金がないから家はおもしろくない暮らしぶりである必要など、全く無い.
ジャングルの中の立ち枯れの樹を切って家の中心を支える柱に使ったり、
散歩の途中で見かけた枝が四方に腕のように広がった立ち枯れの樹が
キッチンテーブルにぴったりだと思い、それを頂きにいったり...
一度、視点をそういうことにセットしはじめると、
世界は無料で供給されるそれらの材料の宝箱に観えてくる.
ホテルを建てる時に余ったタイルをもらってきてモザイクで床に絵を描いたり、
家造りというのは大きなアートプロジェクトのように存在もできるものだ.
もともとお金をかけるところには惜しみなく使い、
お金をかけずにすむところには工夫してなんとかするというスタイルが好みなので、
日頃お金というものを浪費しない暮らしをして、ここぞという時には大胆に遊ぶ.
10年前にその街に暮らしていた日本人は私一人だったので、
にわか指圧師をして生計を立てつつ、お家造り遊びにせいを出していた.
その指圧師だって、資格なんてものは全く無いけれど、
日本人だから他の外国人に比べ普通にできることだった
...ちょっとだけ習ったレイキと組み合わせて
オリジナルなヒーリングの方法を考えて教えはじめたら、
学びたいと云う人たちが現れて、街とその隣の島に生徒が12人もいた.
縁があって、見知らぬ国の見知らぬ土地に暮らすことは、
そんなにむずかしいことでもないと思う.
なにかオリジナルな発想を発動させ、それらを体験してみる、
個の内包する無限の可能性を開発してみる、とてもステキなチャンスになる.
私たちには、したいことは何でもできる無限の可能性があるって思う.
尻込みするのは、いつの時もそれを始める前であって、
始めた時には意外と簡単にモノゴトは進んでいったりするものだ.
頭を使って判断していると、それはとても困難なことのように思えてくるという
この星は幻想のトリックに満ちているけれど、
何かを判断する以前にその中にいる時には、
流れはとても優しく私たちを運んでくれると感じているの.
そんな感じで、不思議な流れで縁があって暮らした街だったけれど、
今また新しい流れを感じている私は、次へと流れていきます.
その流れが淀むことなく澄み切って流れつづけるように....







ユカタン半島の石を使った伝統的な塀...この美しさに魅せられてこの家に決めたのだ.
とても丈夫で、さすがあのピラミッドを造ったマヤの人々の名残を感じさせられる.
家の庭には、同じ石組みでできた井戸があり、それは飾りではなく日々の生活に活かされている.
庭には、すぐに木からもいで食べられるようにと、
住んだ年にバナナとココナッツ、アーモンドの樹を植えたが、
さすがトロピカル...数年で2階の屋根を超える高さに成長したのには、驚かされた.
最初、ターコイズと蒼色を混ぜて創った色に塗った外観...
その色を出すのにかなりこだわった.
カサ デ アグアズール,海の碧の家と名ずけたそのさまは本当に綺麗だった.
すぐに真似をするメキシコ人、近所に同じようだがかなり違う蒼色の家が急に増えたりした.
その想い出も留守をした5年のうちに、ハリケーンがきたあと、白く塗り替えられてしまった.





家の床は、拾ってきた余り物のタイルを割って、ガウディー風のモザイクにした.
気がよく通るようにと、角のない丸い家がスキなのと、
南国なのだが、冷房が嫌いなので、風が通るようにと、オープンな空間にした.
開放的すぎるお風呂やトイレ...南国なのですぐに湿気がたまりやすいゆえ、
衛生上,常に空気が流れているようにとのデザイン.



お風呂の壁には、ブルーロータス,青い蓮のモザイク.
これはさすがにデザインをして、マヤの職人さんに頼んで
一個一個タイルをカットしてもらって創ったコラボ作品.
階段風に創ったお風呂の枠...日本人なので、どうしてもシャワーではなくお風呂が欲しかった.
これはベットルームの椅子の代わりにも使いたかったので、
大好きなメキシコの伝統的な焼き物を選んで職人さんに創ってもらった.



室内のイメージは、当時私しかいなかった日本人を意識して、
禅ガーデントロピカル風...壁は真っ白.誰かにピンクと青に塗られていた.
風が通りやすいようにとそこかしこに創った飾り窓には、
たくさんのトロピカルな植物を飾ったり、キャンドルを置いたりして、
なかなかのヒーリング空間だった.
外国人の駆け込み寺のようになっていたので、
メキシコという国の中で暮らしている外国人が、それぞれの思いを持ってきては、
それを分かち合って助け合ってなんとかサバイバルしていたりした...


一回をアパートにすることで、留守の間の経費を賄っていた.
住人のアーティストが、かわいく暮らしてくれていた.
床は私の手作りで、たこのようにみえるのは樹の根っこのデザインのモザイク.
一番のお気に入り.拾ってきた小石を並べて創った.



スパイラルが大好き.デザインは視覚的にそれを観た時の私たちの中にも
流れを産み出してくれると思っている.
気持ちの思いつくままに、楽しく遊ばして頂いた空間造り...
今回はそれを手放して,次に何を遊んでいこうかともくろみ中...
love love loooooooooove
