ここのところは、ここバークレーも珍しいくらいの寒い日々が続いてる.
お外の空気はひんやりとして冷たいというのに、
朝、不思議なフラッシュバックのような空気に包まれて目覚めることが幾度かあった
....その空気の中のわたしは南国の亜熱帯の朝の空気の中に居る.

昔カリブ海の小さな街に暮らしていたときの朝...
南国特有の鳥のさえずりと、朝のはじまる空気...

お外が寒く、樹々の葉っぱが枯れ落ちているということが
信じられなくなる.

ベッドの中で、今どこにいるのかわからなくなる.

私たちの今は、そんな感じでいろいろな境界が危うくなってきている.
意識の造り出す幻想の枠のようなものから解放され、
無限の可能性へと意識が広がり本来の自由自在さを体得しつつある.


濃縮された日々に暮らしています.

そんな時は、暮らしというものが、きちんと営まれていない日々でもあり、
今までの積み重ねてきたものがくまなくリセットされているよう.

感覚と思考の海の中に包まれたり、沈み込んだり、
泡のように浮き上がってきたりを繰り返しつつ、
何か新たなるステージへと徐々にセトルしはじめているようにも感じる.

感じることの大切さに気がつく..日々.
5感、6感をも、超えたところも含む..枠のない、とらわれのない無限へと続く世界.

私たち人類やこの星、地球以外の存在たち....
幼い頃、きっともっと身近な存在だったものたちが、
ここのところ、より分離がなくなってきていて、当たり前のように、現実化していく.
その外と内の境界は溶けていっている...

ここ数日、空を見上げると、UFOをよくみる.
ある日のものは、光っている2機が右に左にと瞬間移動しながら現れて消えた.
その数日後には、かなりの大きさのオレンジ色のインドの食べ物のナンのような
楕円の平たいものの後ろに羽根のようなものがついたもの.

わたしの人生の中で、忘れられないUFOとの遭遇というものが2回ある
それらが意識の産物であるといってしまえば、そのとおりなのだ.
所詮私たちはホログラフィックな世界の住人であると思っているのだから.
でも、そのホログラフィックな世界はどのように現れい出るかというと、
ミンナ一人一人の想像して創造する力...なのだもの...
そんな創造の世界で遊んでいるのだ...
それらが、絡み合って織りなされつつ、
これから紐解かれてゆく未来に深い関わりのある記号であるということが、
かなり強く感じていること.

大好きな岐阜にある神社で13年前に起こった出来事があって、
そこで観たビジョンは 、その上空に何千何万というUFOが現れるという図だった.

もう一つは夢というには、かなり鮮明で、未だに意識からはなれない体験というに近いもの.

その夢をみた時の日記...

昨日の夢... 誰か覚えていないけれど、男の人と二人.
たくさんの大きな石が立っている、遺跡と呼ぶにはもっと原始的、
磐座、ストーンサークル.
そこからどこかへ飛ぶっていうか、瞬間移動...
どこかの島のような...
島のまん中にボルケーノ?それとも何かの競技場.
二人で空を見ると、前方の空に太陽が二つある.
そこに2機の小型UFO、すごい速さで移動する.
あっ、と言ってそれを見ていると、
今度は左手にある 、その大きな広いスペースの上空にも中型のUFO...
ハッと気付くと、その下には巨大な母船.
何角形かはわからないが、円っぽい形に足がついている.
それはそこに上陸しているのか、もしくは基地.
その後、沢山の記号のように色々な形に変化する.
私たちはその組み替えられてゆく記号を見ていた.   Nov. 15 2006


これらのビジョンは、よく話されている何千何万というUFOが、
私たちを救いにくるというお話とは、
かなりかけ離れた現実感を感じているもの.
もしかすると、それらの対極にあるような Sign かも知れない.
それが、今わたしに起っていることを、誠実に話していこうと決めた理由.

それらは、決して、一方的にこの星に訪れるであろう未来ではなく、
私たちの今とシンクロして現れいでるものであると云うこと.

主役は、決して宇宙存在にはなく、 今ここで暮らす私たちである.
それらは、見えない世界と云われている多次元とのコラボで、
現れいでるであろう現実でしかない.
境界というものが取り払われていくことで、
もうすぐ、ここに現れいでようとしている、新しい神話.

それらが、どこかの誰かから聞かされて、
私たちが巻き込まれてゆくようなストーリーではなく、
一人一人の現実とシンクロして、
今ここで造り上げられているシンクロディスティニーでしかないのだ.


感じる力を取り戻していこう.
私たちが宇宙存在や、多次元存在、アセンションについて、話す時.
そこで感じるものこそがリアリティーであり、それ以外に真実はないということ.
頭で理解するということに終止符をうつ時が来ていると感じているのだ.

でも、いまだそれらを人類は知識としてしか受けとっていない、とも感じている.
そんなことには、何の意味もないと思う.
現実的に、私たちが感じられていない情報であったら、
それはただの情報でしかありえないのだから.
一つ現れ、一つ消える...次から次へと右に左にと...
そんなところには、真実も現実も、ないと思う.


そんな今、わたしの中から浮き上がってくるものに、
あえて意識的に集中して、それとしっかりと関わることによって、
手放している過去からの思いのクセのようなものがある.

それこそが、今、まずしたいと思っていること.
知識を積み重ねる前に、それらを受けとる意識がクリアでない限りは、
それらはどんな時もねじ曲がっていってしまう.

だからこそ、私たちは長い間、
スペースクリアリングをしたり、デトックスをしたりと、いらないものを手放してきている.

そのわたしたちの中で行われてきた変化と進化こそが、
今の私たちのこの星のリアリティーへと繋がっていく.
全体へのリアリティー、そしてそれぞれの周波数へと.

私たちの周波数、いわゆる光/波動はそうして、進化してきた.
それ以外にはありえないと思う.
知識を積み重ねてきたことは、周波数を進化させることに対して、
あまり関係のないことだと感じている.

毎日毎日ヨガをしている人と、
毎日ヨガをいいものだということの書いてある本を読み続けた人の
一年後がかなり違うものだということ、だと思う.

それは、ありとあらゆることにいえていると、思わない?


時代は変わった.
そして、ものすごく加速されて変わりつつある瞬間でもある.
だからこそ、今、真っ直ぐにそれらと向かい合うことの大切さを思う、な.

今という時になによりも先に、なによりも尊重されてまずすること、したいこと....
ありとあらゆる細部にわたり、
わたしという個の意識を観察してちゃんとちゃんと深く理解してゆく作業...
浮き上がってきた時に、これはもう少しだけ後にしようと、
とりあえずまた意識の箱にしまったりとかして、先のばしたりしないで、
イマすること.

ご飯を食べたり、生活を営んだりすることと同じくらい、
尊重して大切にしたいこと...見つめる日々....わたしの気持ち.

想いと言葉と行いを統一させる日々の中.
わたしには、小さい頃から隠すというクセがあることが浮き上がってきている.

何を隠すかと云うと、
みえているものをみえていない振りをするということ.
そこで感じているということがバレないようにしてきた.
ありのままの私ではなく、ここまでなら大丈夫だろうと云うところでてをうつ癖.

それらの癖に終止符を打ちたいと思っている.
なぜなら、そう産まれたことを受入れないことによって、
たくさんの真実ではないことに力を与えてしまってきたと感んじているから.

どういうことかと云うと、
直感の声を聴くということが、どういうことなのか...
それを、サイキックという継承で顕わすとなにか特別なことや
神秘的なことのように思えてくる...そんな想いの癖があるよね.
それらがかなり勘違いされたものであるということに対して、言葉をつぐんできたから.
それは、自然なる人類の感覚.何もそのような名前をつけて特別扱いされるものではない.
これからはおかしいなって思う時には、
わたしの視点というものから、おかしいと云ってゆこうと思っている.
でも、あくまでもわたしの視点でしかありえない、けれど...

じつはここにこうして書く時にも、していたことがある.
前から知り尽くしていたことを、知っていると書かないこと.
エネルギーを100分の1くらいに押さえて、表現すると云うこと.
もしかすると100分の1ごときではないのかも知れない.

小さい頃から、内なる声や次元の境目に存在する
見えない世界とのコミュニケーションは普通だった.
そのことについて、気がついていたわたしは、
人にその話しをすることもほとんど無かった.
そうすることはあまり意味のあるものではないことだと感じていた

その時代には、そうあることがありのままには受入れられないということを感じていたので、
どんな時も無意識に自分自身の中でホオポノポノすることが普通だったと、思う.

数学の解き方が先生と違うのに答えだけ合っているので、
いつも先生の頭に?を巻き起こしたりしてた.
小学4年生のわたしは、一人の時...時間と空間とは?と想いを馳せ、
人間とは?と思考し、毎日ベッドの中で祈り、会話をしていた.
そして学校に行くと...そんな話しは一切しないけれど、そこで繰り広げられる日々の中、
普通の小学生らしく思いっきり仲間たちと遊ぶということ、
その中でいつもいつも何かを感じ続ける瞬間を心から楽しんで生きていた.
それでも、全体をありのままに表現できない、そんなどこかが孤独だったと思う.

朝、起きるとすぐに化粧台に座っている母の横に、
足の先っぽを少しだけくっつけて、感じていることの全てを話すことが日課だった.
母や家族には、ありとあらゆる話しを聞いてもらってきた.
なにか微細な思いの一つすら隠すということはなかった. その必要もなかった...
母はニコニコしながら黙って聞いてくれ、必ずいってくれた.
ほんとにウソとか隠し事がまったくできない子だから、
お母さんは安心だわ...いつも、そういってくれた.

とても社会的で、落ち着いていた両親だったけれど、
わたしが幾分世間的には個性的な感受性をもっている子供であることを、
家族全員で受入れてくれて、今思うと楽しんでくれていたようにさえ思う.
そのことが、ほんとにほんとに、大きな力となって、
わたしがありのままであることを支え続けてくれていた.

わたしとは正反対の妹のことも、わたしのことも、
それらの個性がそのままで尊重されてきたと、思う.
もちろん家族だから、いいたい放題のところや、
期待過剰の理想をお互いに押し付けようとしたりということもあったけれど、
基本的にありのままを受け入れられてきたし、そうされてきたことを、とても感謝している.
 
最近の学校でのいじめ問題について、心が痛む...
たまに耳にするのは、そういう荒んだ社会の中でタフに生きていく為に、
その社会環境の中で子供たちがサバイブしながら、
今の世界に順応する能力を養っていくべきだと云うこと.

ほんとかな?
そんなおかしな社会に順応する必要あるのかしら?
おかしいものをおかしいっていってくれる子供たちの意見を尊重して気がついたり、
変わったりしてゆくべきは大人の方でしかないと思う.

そこに大人としての私たちが、
あきらめてしまっている変化とか進化、限定してしまっている現実が見え隠れする.
なぜ、変わるということを信じないのだろう.
なぜ、変えていこうという意識に力を与えないのだろう.
そういう力は、わたしたちの中にしかないし、そこにしかない.
そこからしかはじまらない....

目にする親の行動は、ほとんどの場合、その中で子供を調教しているもので溢れている.
その子供のもつ個性を尊重するというよりは、
その中でいじめられないようにさせるテクニックや、
その逆でなにか特別な存在であるかのように思いたいという
恐れに裏図けられたエゴに満ち満ちている.

それは精神的と云われている人たちの中でもある.
クリスタルやらインディゴやらと、
特別に聖なる子供であるかのような枠を無意識でくっつけられている子供も含めて、ね.
クリスタルとかインディゴというのは、それぞれの個性だから、
それを共に学ぶことはすばらしいことだとおもうけれど、
それにしばられ、こんどはそこになにか特別という意識が働きはじめた時点で、
それらは間違った方向へと子供たちを引っ張ってゆくように感じる.

私たち大人が、子供たちに意識的にしなくてはいけない誠実でとても大切なことがあると思う.
それは、子供たちに『特別』というレッテルと意識を植え付けないと云うこと.
どのような子供も、この星に存在する子供、
みんなみんな特別な何かをもって産まれてきていると云うこと.
そこにいかなる差別というものはなく、違いがあるということ.
そしてそれらの違いこそが決して都合よく一つに造り上げられることなく、
それぞれにありのままに尊重されるべきものであると云うこと.


時代は大きく変わろうとしてる、ね.

今までのわたしは、わたしというこのもつ可能性を、
枠の中に居れて表現することで、
人類の進化の可能性を限定してきたと、思う.ごめんなさい.
これからは少しずつもっともっと、ありのまま.

私たちが今、もっとも意識的でいることって、
ありとあらゆる判断から解放されてゆくということなんだろうなって感じる、な.


先日、友人と改めてアセンションについて話す機会があった.

彼は、アセンションとか宇宙人とかのことを本に書いていて教えたりしてる.
だからといって、その彼のいうことを鵜呑みにしない.

誰もが誰かから何かを教えてもらうということは、
まったくもって必要がないと思う.

こういう視点と、ああいう視点が、交差した瞬間にこそ、織りなされるものがある
...そこにしか、真実はないと思う.

そこで、何を感じ、何を思うか...そこにこそ真実がある.

答えというものがない世界の住人である私たちは、
答えあわせとか、そのやり方を学ぶという方法から解放されつつもあるよ、ね.
そんな常に限定された小さな世界ではない、
もっともっと解放された世界に、住んでいるのだと云うこと.

私たちの意識は、そんな地球の今とともに、
自由自在さを思い出すというステージに突入しはじめた.



こんな思いつれづれ...読んでくれて、ありがとう

love u all  From Dairy of Jan. 24 2008