私が ここ アメリカという地に 暮らしはじめたのは、1992年,
その年 この国は、コロンブスが スパイスを求めて インドに辿り着いたと 勘違いして始まった
この国の アメリカ合衆国としての 歴史が、500年経つということで,
あちらこちらで、たくさんの セレブレーションが 行われていました.
そんな中...幾つかの オルタナティブなグループが、中米のパナマや、アラスカ、
そして サンフランシスコから、10ヶ月という 期間をかけて、
歩いて ワシントンDCを 目指すという「ピースウォーク」が企画されました.
.
その 500年の 歴史は、この地に 代々 暮らす ネイティブアメリカンや,エスキモー、
中米、メキシコに 暮らす マヤの人たちなど、インディジナスにとっては、
血塗られた、とても 苦しい 歴史でした.
彼らが その500年の 体験を経て、学んだことから、
新しい これから始まる 500年は、平和な すばらしい 歴史にしていこうと、
世界13カ国から あらゆる宗教を超えて 繋がる「グローバルなトライブ」を 目指す人々が 集まり、
寝起きを 共にしながら、その違いを 超えて 大きな家族になることを 目指し、
アメリカ大陸を 横断したのです.
そんな10ヶ月の 体験のあと、過去生からの 縁なのでしょうか、私は この地に 暮らしています.
そして、その間の10年近くの時を ネイティブアメリカンたちと、
とても 近く 深く 関わりながら 暮らすことになりました.
それらの 暮らしの 体験の中...昨年、一つの 詩がでてきました.
よろしかったら、読んで下さい、な.
「生きること」
.....旅をしてきた. もうずっと...随分と長い間...
色々な国に暮らす沢山の人々...
この星のさまざまな場所を旅して、 様々な暮らしぶりをかいま見るごとに、感じ続けていることがある.
文明が 造り上げたてきた もの...
そして、今も、未だ、 とめどなく、限りなく、創り続けていル.
最初、私たちは いったい 何を 求めていたのか、 すっかり、忘れてしまっているもの.
人類にとって、本当に 大切なものって、なんだろう...
一番 ひどい状態の ルワンダ という国に ボランティアに行った 友人がいる。
彼が、そこから戻って はじめたことがあった. 食料を送るより、 ドラムを贈る ということ.
生きる喜びを、 奪われたとき、 人々は力を失う.
彼は、そこで共に暮らす間、 強く感じた.
彼らの亡くしたものは... 歌い、踊る、喜びの力だった.
アメリカンインディアンのリザーベーションに 暮らした時にも、 同じことを感じた.
いくら貧しい土地でも、 その片隅に、
かぼちゃの種でも その辺にまいておけば、 ちょっとした野菜は育つものだ.
でも、実際リザベーションのマーケットには 野菜なんか売っていない.
巧みに、何かが行われている.
彼らの生活をおびえさせていたものは、 飢えることではなかった.
毎日毎日を、 ただ食べるためだけに、生きている.
巧妙に仕組まれた、巧みな錯覚.
何かに、もうどうしようもなくワクワクしたり、 喜びを感じたり、 満たされるということに、
だれかの力とか お金とかって 必要だろうか.
世の中は、巧みに、すり替えられ、 奪われてしまっている何か、に満ちている.
インディアンの一人の、 長い髪を三つ編みにしていた友人は、
その髪を切らないということが理由で、 リザベーションの学校から刑務所に送り込まれた.
サンダンスと云って、 ただ 祈り 踊るだけで、 それらに 隠された 見ることのできない
大いなる力におびえる政府は、 ありとあらゆる方法で、ことごとく それらを支えつづける賢者たちを、 追いつめる. それでも、彼らは... 見えない力に 支えられていた.
ベリーズとグゥアテマラの国境ぞいの とおげの村を がたがたなバスで通っていた時...
夕暮れの 静かな村 夕日に 淡いマジェンタに 浮かび上がる 質素な家々、
文明国には もう見つけられないような、 土の上に 直にたつような 家々.
夕飯の支度か 薪の燻る香りを嗅いで、 とてつもなく 満たされたことがある.
川で並んで お喋りしながら 洗濯をする 村の女たち...
そこには なんともいいがたい 静けさとともに 調和と平和が漂っていた.
日本の 大都会で 産まれ育った私だけれど、
ある時、何かを思い、 その全てを捨てて、 山に暮らした.
見よう見まねで 初めた暮らしだったけれど、
私の中の何かは、 満たされていた.
街に暮らしていた頃と比べたら、 その暮らしぶりは 一見とても貧しかった.
けれど、必要なものは 最低限 全て 満たされていた、
むしろ ただただ、生きている 喜びに満たされていた.
鳥の鳴き声と ともに目覚め、 小川のせせらぎに 耳を澄まし、 夜空に 星の、流れるのをおった.
自然は 時に厳しく、 あらしの夜は 息を潜め、 それらが過ぎ去るのを、ひたすら 待っていた.
でも そこには、いつも とてつもない 安心と、落ち着きがあった.
そこで暮らす間、 飢えていること、 いつも 何かを 探していることが なかった.
ただ....そこに居たと思う.
まだ見ぬ土地を 旅するとき、
そこで 目にする 沢山の 情景に 心うたれた...
私は 何かを探していた...
長い旅の 途中、 その何かは、 貧しい村の 薪の煙とともに訪れた.
忘れられない 瞬間だった ...心地よさと、懐かしさ.
私たちが 無意識で していることが、 実は 沢山 あるね.
私たちが 飢えている時、
無意識に、沢山の 力の弱いものたちから むさぼり続けているものが あるんだよ.
人間は 意外と そんなに 沢山のものがなくても、 満たされる ものだと思う.
むしろ そう云うものがない方が、 逆に 満たされ易い のかも.
在りとあらゆる この星に 共に 生きるものたちが、
それぞれの場所で、 内なる力を 感じ、
静けさと 喜びと、共に 暮らして、いますように... いま、この瞬間も.
私たちは、 それぞれの 暮らしのなかにいる この瞬間にも、
いつも 一つに 繋がっていて、全ての全てを 無意識で、共有しているのだと思う.
目覚めて、いたい. どの瞬間に、おいても...
thank you all my rerations
poem: keiko k. forest april 15th 2007
その年 この国は、コロンブスが スパイスを求めて インドに辿り着いたと 勘違いして始まった
この国の アメリカ合衆国としての 歴史が、500年経つということで,
あちらこちらで、たくさんの セレブレーションが 行われていました.
そんな中...幾つかの オルタナティブなグループが、中米のパナマや、アラスカ、
そして サンフランシスコから、10ヶ月という 期間をかけて、
歩いて ワシントンDCを 目指すという「ピースウォーク」が企画されました.
.
その 500年の 歴史は、この地に 代々 暮らす ネイティブアメリカンや,エスキモー、
中米、メキシコに 暮らす マヤの人たちなど、インディジナスにとっては、
血塗られた、とても 苦しい 歴史でした.
彼らが その500年の 体験を経て、学んだことから、
新しい これから始まる 500年は、平和な すばらしい 歴史にしていこうと、
世界13カ国から あらゆる宗教を超えて 繋がる「グローバルなトライブ」を 目指す人々が 集まり、
寝起きを 共にしながら、その違いを 超えて 大きな家族になることを 目指し、
アメリカ大陸を 横断したのです.
そんな10ヶ月の 体験のあと、過去生からの 縁なのでしょうか、私は この地に 暮らしています.
そして、その間の10年近くの時を ネイティブアメリカンたちと、
とても 近く 深く 関わりながら 暮らすことになりました.
それらの 暮らしの 体験の中...昨年、一つの 詩がでてきました.
よろしかったら、読んで下さい、な.
「生きること」
.....旅をしてきた. もうずっと...随分と長い間...
色々な国に暮らす沢山の人々...
この星のさまざまな場所を旅して、 様々な暮らしぶりをかいま見るごとに、感じ続けていることがある.
文明が 造り上げたてきた もの...
そして、今も、未だ、 とめどなく、限りなく、創り続けていル.
最初、私たちは いったい 何を 求めていたのか、 すっかり、忘れてしまっているもの.
人類にとって、本当に 大切なものって、なんだろう...
一番 ひどい状態の ルワンダ という国に ボランティアに行った 友人がいる。
彼が、そこから戻って はじめたことがあった. 食料を送るより、 ドラムを贈る ということ.
生きる喜びを、 奪われたとき、 人々は力を失う.
彼は、そこで共に暮らす間、 強く感じた.
彼らの亡くしたものは... 歌い、踊る、喜びの力だった.
アメリカンインディアンのリザーベーションに 暮らした時にも、 同じことを感じた.
いくら貧しい土地でも、 その片隅に、
かぼちゃの種でも その辺にまいておけば、 ちょっとした野菜は育つものだ.
でも、実際リザベーションのマーケットには 野菜なんか売っていない.
巧みに、何かが行われている.
彼らの生活をおびえさせていたものは、 飢えることではなかった.
毎日毎日を、 ただ食べるためだけに、生きている.
巧妙に仕組まれた、巧みな錯覚.
何かに、もうどうしようもなくワクワクしたり、 喜びを感じたり、 満たされるということに、
だれかの力とか お金とかって 必要だろうか.
世の中は、巧みに、すり替えられ、 奪われてしまっている何か、に満ちている.
インディアンの一人の、 長い髪を三つ編みにしていた友人は、
その髪を切らないということが理由で、 リザベーションの学校から刑務所に送り込まれた.
サンダンスと云って、 ただ 祈り 踊るだけで、 それらに 隠された 見ることのできない
大いなる力におびえる政府は、 ありとあらゆる方法で、ことごとく それらを支えつづける賢者たちを、 追いつめる. それでも、彼らは... 見えない力に 支えられていた.
ベリーズとグゥアテマラの国境ぞいの とおげの村を がたがたなバスで通っていた時...
夕暮れの 静かな村 夕日に 淡いマジェンタに 浮かび上がる 質素な家々、
文明国には もう見つけられないような、 土の上に 直にたつような 家々.
夕飯の支度か 薪の燻る香りを嗅いで、 とてつもなく 満たされたことがある.
川で並んで お喋りしながら 洗濯をする 村の女たち...
そこには なんともいいがたい 静けさとともに 調和と平和が漂っていた.
日本の 大都会で 産まれ育った私だけれど、
ある時、何かを思い、 その全てを捨てて、 山に暮らした.
見よう見まねで 初めた暮らしだったけれど、
私の中の何かは、 満たされていた.
街に暮らしていた頃と比べたら、 その暮らしぶりは 一見とても貧しかった.
けれど、必要なものは 最低限 全て 満たされていた、
むしろ ただただ、生きている 喜びに満たされていた.
鳥の鳴き声と ともに目覚め、 小川のせせらぎに 耳を澄まし、 夜空に 星の、流れるのをおった.
自然は 時に厳しく、 あらしの夜は 息を潜め、 それらが過ぎ去るのを、ひたすら 待っていた.
でも そこには、いつも とてつもない 安心と、落ち着きがあった.
そこで暮らす間、 飢えていること、 いつも 何かを 探していることが なかった.
ただ....そこに居たと思う.
まだ見ぬ土地を 旅するとき、
そこで 目にする 沢山の 情景に 心うたれた...
私は 何かを探していた...
長い旅の 途中、 その何かは、 貧しい村の 薪の煙とともに訪れた.
忘れられない 瞬間だった ...心地よさと、懐かしさ.
私たちが 無意識で していることが、 実は 沢山 あるね.
私たちが 飢えている時、
無意識に、沢山の 力の弱いものたちから むさぼり続けているものが あるんだよ.
人間は 意外と そんなに 沢山のものがなくても、 満たされる ものだと思う.
むしろ そう云うものがない方が、 逆に 満たされ易い のかも.
在りとあらゆる この星に 共に 生きるものたちが、
それぞれの場所で、 内なる力を 感じ、
静けさと 喜びと、共に 暮らして、いますように... いま、この瞬間も.
私たちは、 それぞれの 暮らしのなかにいる この瞬間にも、
いつも 一つに 繋がっていて、全ての全てを 無意識で、共有しているのだと思う.
目覚めて、いたい. どの瞬間に、おいても...
thank you all my rerations
poem: keiko k. forest april 15th 2007