堕落論は間違っている、という主張は、古い記事を含め多々
見かけますが、読んでみると、真の家庭や食口の現実がどう
だからとか、サタンは屈服したはずなのにとか、なにか切れが
ない。新しい切り口があってもいいのでは。
教義を否定できないため、心は整理できないでいる人も少しは
いるでしょうから、そういうよろしくない状況に終止符を打つため
にも・・・・何かの参考になればと、私の考えを書きます。
堕落性の起源についての考え
創造前、神はたった一人でおられました。
物理的にも精神的にも、周りに比較するものは何もありません。
たった一人ですから、自分こそ全て、自分の全てが肯定されて
いる世界です。
これを絶対性と呼びましょう。男性女性の性ではなく性質の性
です。
しかし、一人でいたのでは自分のことが何も分かりません。
自分が何者か知りたかった神は創造を始めました。恐らく創造
の動機は自分の正体を知りたいという好奇心のようなものだっ
たのでしょう。
創造とは自身を関係性の中で捉えようという新しい試み、創造
とは相対化であったといえます。
ところが、この相対化によって、思いもかけないことが起こっ
てしまったのです。
相対化された世界は、愛すべき世界であると同時に、思い通り
にならない世界だったのです。思い通りにならない理由は、自
分自身の絶対性が反映されたからです。
(相対性は絶対性を否定します。しかし、この相対性はもとも
と絶対性がわかれ出たものなので、本質は同じものです。で
すからまた再び絶対性に戻らなければなりません。が、この
話は別のテーマにします)
相対性は絶対性を否定する。我を愛せよと言っても他の者を見
ている。互いに愛せよと言っても互いに争う。思い通りになら
ない世界が、消えてしまえばいい・・憎しみ、嫉妬といった願
わざる感情を、避けようもなく生みだしたのです。
原理について考えてみると
簡単に言うと堕落性は創造後に人と天使の何かの関係によって
生まれたのではなく、創造によって避けがたく生まれたもの。
堕落性については血統とかサタンという観点ではなく、絶対性
相対性という観点で捉えるべき。
それから創造の動機は心情ではなく、好奇心のようなもの。
これが私の考え。
天使と人間の間に何かあったことが仮に事実だったとしてもそ
れは、堕落性の起源とは関係がない。関係がないのだからそこ
に焦点を当てて堕落性を解決しようとするのは的はずれ。
真の家庭の範疇に居ようが、祝福を受けようが、幹部になろう
が、堕落性は解決されないのだ。
その現実を原理で説明できないので祝福家庭のせいというおか
しな弁明をしているのではないか。
これが私の批判。
書きたいことはまだあります・・・が、たったこれだけの
文章を書くのに、もう5時間です。途中ですが限界です。
今日はもうここまでにします。
家族はアロンやミリアムではありませんし。
作文はハードルが高すぎます。
タイトルも本当は「脱堕落論宣言」とかにしたかったんですけど。
疲れた・・・