すごく長い上に面白い話じゃないけど気が向いたら読んで欲しい。
※以下、私の事は仮にGとする。
うちは物心ついた時から両親殴り合いの喧嘩する家庭環境だった。
共働きだった為、幼稚園では保育士達が帰った後も親を待ち続ける毎日だった。(※園長先生がずっと一緒に待っていてくれた。)
・物心ついた時には頭の中で叫ぶ男性がいた。沢山の人の中心で叫ぶ男性。イメージとしては発狂状態の叫ぶ男性って感じ。他の人も当たり前にそういうのあるんだと思ってた。だからそれが異常だったのだと知ったのはつい最近。
・父はよく遊びに連れて行ってくれたり、洋服などを買ってくれた。それを母親は見つける度に発狂して捨てていた。(※勿論、私が泣いて止めても無駄。)
・唯一両親を仲良く思えたのは、私の小学校入学式の時。両手を両親の手に引かれながら桜並木を歩いた事かな。…まぁ、それが最初で最後だったけど。
・この頃だったと思うけど、
「Gは二十歳まで生きられない。」
って何処かの医者に言われていた。それが誰だったのか何の医者だったのか覚えていない。ちなみに4歳の時、全身麻酔の目の手術をしたけどそれは関係ないと思う。
・同じ頃から母親に男の影が現れ始める。
・当然悪化する両親の仲
→母親と母親の不倫相手(A)の仲は深まり、私がAと会う事も増える。
・小学校三年の時に両親離婚→親権は母親。
・生活費は父が振り込んでる筈なのに何故か貧しかった。食事でまともな物が出てくる事は殆どなかったし。塩おにぎりばっか食べていた気がする。母親料理下手で、学童保育のお弁当に半生のホットケーキを入れられた事がある。あと紅白弁当とか。
子供だから期待してお弁当箱開けるじゃん?けど開けた中身はそれ。当然皆にからかわれて泣きながら食べたよ。
でもA宅に行ったり、Aと一緒に居るとまともな食事を食べられた。初めてしゃぶしゃぶに連れて行ってもらった時は嬉しさよりもお兄ちゃん達やお父さんに罪悪感でいっぱいだった。その頃私は7、8歳。そうそう、たまに冷蔵庫にお肉見つけると生肉のまま醤油付けて食べてた。美味しかった。しゃぶしゃぶは罪悪感でいっぱいなのに何で生肉には罪悪感なかったのは謎。
・しばらくしてAの家に母親、兄達、私が居候し始める。
・Aには娘(B)有り。
今思えばAはこの時まだ前妻と離婚してなかったと思う。
・私はAにもB姉ちゃんにも懐いていた。
・この時はあくまでも私の中でAは[おじちゃん]という存在で[父親]ではなかった。だからこそ、父親大好きっ子だった私は定期的に父親の家に泊りに行っていた。
・母親とB姉ちゃんと折り合いは悪く、しょっちゅう殴り合いの喧嘩をしていた。
・当時小学生の私が家族分のお夕飯を頑張って作ったりして、それをAが褒めると「それ私が作ったの!」とか平然と言ってのけるのがうちの母親です。
※それを見てたB姉ちゃんは激怒した。
・何故か長男(C)がAに追い出される→父親の元へ
・そしてある時、Aに「もう父親のとこ行くな。俺の事も父さんと呼べ。」と言われる。父親大好きっ子の私は辛くて辛くて…。でもそれに従うしかないのだと思った。
それから数日後、最後にって父親の家に泊りに行ったんだよね。その時もいつもの様に父がバス停まで送ってくれたけど、私は「もう泊りに来れないの」とは言えずに普通に笑顔でバイバイした…と思う。
でもバスが発車する時、父の顔を見たら父は何かを悟っていたらしくすごく寂しそうな顔をしたんだ。それを見た瞬間、本当にもう会えないのだという現実を叩きつけられた気がして、悲しくて寂しくて…バスの中でボロボロ泣きながら遠ざかる父の姿をずっと見てた。
正直この時の事は思い出すといまだに辛くて、書いてる今も泣いてしまった。
・そんな感じで幼心にAを父親と思うよう決心した矢先、母親とB姉ちゃん大喧嘩。母親は包丁持ち出し、傷害事件にはならなかったけど警察沙汰の騒ぎになる。
・B姉ちゃん大好きだけど殴り合いの喧嘩はやっぱり怖いし、その頃からお姉ちゃんいつも苛々するようになっていった。
それに怯えてる私をD兄ちゃん(次男)は「俺の部屋くるか?」って呼んでくれて、「大丈夫だから。」って頭撫でてくれた。それですごく安心したのを今でもハッキリ覚えてる。しかもお兄ちゃん普段は格ゲーとかでしか遊んでくれないのに、その時はマリオとか一緒にやってくれたりもした。
・そんなある日、学校から帰ると「もうこの家には居られない!」と突然母親が言い出して、私と母親は家を出る事になった。どうやら私の帰宅前にお姉ちゃんと喧嘩をしていたらしく、家はゴチャゴチャになっていた。
・計画性もないから当然だけど、着の身着のままだったので学生だったD兄ちゃんが必要最低限の荷物を取りに帰る事になった。後からB姉ちゃんから聞いた話によるとその時、D兄ちゃん「お前(B)の言うことより俺は妹を信じる。」と言って家を出たらしいです。
※この時D兄ちゃん中学生。
・尚、母親は変わらずA宅に居候。
・私とD兄ちゃん、既に父の元へ行っていたC兄ちゃんの四人での生活が始まる。
・家事は基本的に父が全てやってくれた。父は綺麗好きで料理も上手。家事全般得意なんだ。とにかく動き回ってないと落ち着かないらしく、休日は地域の活動とかボランティアとか忙しくしてる。
父曰く「洗濯は芸術だ!」らしく、いつも口癖のように言っていた。あと父は実家が農家やってた事もあってか花いじりが好き。だから家の小さな庭はいつも綺麗な花が彩り豊かに咲いていた。
そんな父の楽しみは月一に私を寝かし付けてから呑みに行く事。でも酔って帰る事は一度もない。そんな父に私が出来る事があるとすれば、家事のお手伝いや父の布団を敷いてあげる事くらいだ。私は父が呑みに行く度に布団から抜け出して父の布団を敷き、
「おかえりなさい。ゆっくり休んでね。おやすみなさい。」
ってありふれた手紙を書置きしていたよ。下手くそな自画像(ちびまる子みたいなの)付きで。父が仕事で遅い時には拙いながらも手料理を作ったし、それを父はすごく喜んでくれた。(料理の腕は父譲りらしく料理下手ではなかったのが救い。)決して贅沢な暮らしじゃないけどそんな毎日が本当に本当に楽しくて幸せだった。
・ある時、父の会社の経営が思わしくないようで父がボソッと口を滑らせたんだよね。「お父さんの会社危ないから、もっと貧乏になるかも知れない」みたいな事を。多分、父は冗談半分だったんだと思う。いや、もしかすると半分は愚痴みたいなものだったのかも知れないけど。…でも、私はそれを重く受け止めた。
「私がお父さんの所に来たせいでお父さんの負担になってるんだ。」って。
そんな思考回路だからこそ「じゃあ、私居なくなればお父さん楽になるんだ。」って本気で思った。だから父の登山用リュックに荷物詰めてA宅へ家出した。
その時父に手紙を残したんだが、書きながら号泣していたのを覚えてる。現実的には女子小学生一人くらいの食い扶持が減ってもたかが知れているのにね。それでも私は幼いながらも必死に父を守りたかったんだと思う。
・A宅に行った私は受け入れられるものの、此処に住むならひとつだけ約束して欲しいと言われる。その約束は「もうこの家を出て行かない事。」もちろん出て行くつもりはないからすぐに約束した。
・以前からそうだけど、Aと母親は私がアニメ映画観てる横でこっそりセクロスするような奴ら。こっそりのつもりかも知れんが最初から気付いてるって。まぁ、そういうのを気持ち悪いと思いながらもAに懐いてた。謎すぎる。
・この辺りから生活費が無くなる事が多くなる。というかAの貯金とかも気付けば無くなってた。そしてそれが母親の仕業と判明する。(※物的証拠とかあったと思う。)
明らかに母親の仕業なのに違うと言い張るんだよ。ちなみにお金は消えても洋服やブランド物、家電製品などが増えることもなく何に使ってるかは不明。
貯金が尽きると消費者金融にも借金する。何度家族会議をしても「私はやってない!」と言い張る母親。そんなどうしようもない母親に私はとうとう暴言を吐くようになる。それでも消費癖が直らない母親にどうしようもなくなったAや私は母親の実姉を呼んで説得してもらうも改善は見られなかった。
・母親とB姉ちゃんとの仲は更に険悪化すると同時に、母親の消費が発覚する度に私は母親を平手打ちするようになる。叩く度、母親が反撃しようとするんだけど「お前に私を殴る資格あんの?」って言えば殴らずに大人しくなってた。ずっとこの繰り返し。私はクズだな、最低。
・母親はAとも喧嘩するようになる。口喧嘩だけだったと思うけど。それでもセクロスだけはする二人。意味判らん。
・私は時々母親達の部屋で寝る事もあったのだが、ある日いつものように二人の寝てるといつもの如く隣でセクロス。嫌悪感を抱きながらも無難に寝たフリ。それがデフォ。…でも、その日は違っていた。セクロス終えたAが私の身体を触ってきたんだ。
は?意味判らん。というかパニック。
え?は?意味判んないんだけど。
…というか母親気付いてるよね?
何で助けてくれないの?
何で寝たフリしてるの?
ねぇ怖すぎて声出ないよ?
ねぇどうしてこんな事になってるの?
A、私のお父さんになったんだよね?
どうして?どうして…?
そんな永遠に答えの出ない事を考えながら、私は気付けば汚されていたのさ。まぁ、よくある事だよね。はは。
・その日を境にAは堂々と手を出してくるようになる。母親は見て見ぬ振り。
というか私は何も見てません、何も知りません、という体制を崩さなかった。
・AはB姉ちゃんに気付かれないように手を出す姑息な奴です。私はもう何を信じて良いのか判らないし、どうして良いのかさえ判らなかった。
その頃の私は、ただお姉ちゃんとの約束を破りたくなくて、お姉ちゃんを傷付けたくなくて必死にAの行為を耐え続けていた。
・ネットがまだ普及されてない頃だったから自殺方法なんて調べられない。でも死にたくて噂で聞いていたバファリンを大量に飲むとか、色々試したけど死ねない生活を繰り返していた。
・精神的に限界を迎えた頃、やたら私の事を気にかけてくれていた担任の先生と仲良くしてた友達に今までの経緯を書いた手紙を渡した。先生も友達も泣いてた。でも何で二人が泣くのか当時は理解出来なかった。
そしてその翌日、私は学校に行くフリをして父の元へ向かった。地元駅から父に電話したら驚いていたけど仕事遅刻して家で待っていてくれた。詳細は話さなかったけど父と暮らしたいって言ったら、
「お前が此処で暮らしたいならお父さんは歓迎するよ。」って快く迎えてくれた。その後父は会社に行き、家にAと母親が別々に来たけど出なかった。
でもその少し後、お姉ちゃんが来たからお姉ちゃんだけ家に入れた。実はお姉ちゃんには悪いと思ったけど、お姉ちゃんが嫌で家を出たんじゃないという証明の為にAの事を書いた手紙を残して行っていたんだよね。お姉ちゃんは泣きながら私に謝ってた。
「私との約束が無ければ1を此処まで苦しめずに済んだのに」って。… 辛かった。お姉ちゃんは何も悪くないのに。
私は結局お姉ちゃんを傷付けてしまった事が悔しくて申し訳なかった。黙っている強さもない弱い自分を恨んだよ。
・転校した学校は前の学校と違ってやたら男子がフレンドリー。だが私はAの事もあって男性恐怖症。
→拒否する態度が女子の反感買う。
→気付けば孤立。存在しない生徒扱い。
→不登校。
よくあることだよね!笑える。…と言っても翌年からは普通に登校。それなりに楽しい中学校生活を送る。
・父の仕事も安定したらしく家庭も落ち着く。とはいえ私はAにされた時のフラッシュバックとかに襲われていた。まぁ誰にも言えなかったけど。
・私が父の元に来て以来、母親が「一緒に暮らそう」と定期的にしつこく訪ねて来ていた。その度私発狂状態。…なのに何故か母親は諦めない。Aにされた事や、その時助けなかった事を責めても効果なし。更には
「お世話になったのに何て事言うの!」
「あの人に感謝しなさい!」だってさ。笑えるだろ?
・母親はA宅に住んだり、生活保護を受けて一人暮らししたりの繰り返しをしていた。ある日とうとう婚姻届を出して正式に再婚してた。もう離婚したけど。
・定期的に来る母親が鬱陶しいものの無事高校に進学し、楽しい学生生活を送る。
【後編へ続く】