今日は桃の節句、雛祭り

ひな祭りというか、雛人形については思うところがあるんだよな

子供のころ家には立雛の親王飾りとケースにはいった段飾りのお雛様があった

ケースにはいっているのはケース飾りというのかな

 

近所のお友達の家には7段飾りがあって子供のころ遊びに行くたびに

とても羨ましかったのを覚えている

子供心に「うちはお金がないから段飾りが買えないんだな」と思っていた

 

そして親王飾りも長女のわたし用というわけではなく母親のものだった

子供のころは親と暮らしているので特に気づいていなかったけれど

私が独立するときにお雛様を持って行っていいかと母親に聞いたら

母親のものだからダメだと言われた

雛人形って女の子が生まれたときにその子の健やかな成長と

幸せな結婚を祈って飾るものじゃなかったんだっけと思った

 

10年くらい前に(もっと前かもしれない)、親と一緒に温泉旅行をして

母親と露天風呂にはいっているときに、母親が結婚するときに買ってもらった

若いお嫁さんにぴったりのお布団かなにかを結局おばあちゃん

(私にとっては祖母)がとってしまったという話を聞かされた

DVの家庭に育つと自分も暴力振ることになるという話を聞くけれど

それみたいなものだな、とその時なんか腑に落ちが気がしたのを覚えている

 

これ以外にも母親は自分でも子供が好きではないと言っていたし

今の時代だったら幼児虐待になるんじゃないかと思うような

扱いも受けた(私が親の言うことを聞かない子供だったからなんだろうけど)

家に入れてもらえなかったりとかね

 

少し大きくなってからも、病院へ行くのも1人で病院に行ってこいと言われ

1人で病院に行っていたな

その病院というのも歩いていけるような近所にはなくて

自転車に乗って行かなければはらないくらいの距離

 

会社にはいって会社のおじさんたちが娘が就職したけれど、

娘はかわいいいから洋服など買ってあげちゃうんだよ

という話をしていて、あまりに自分のところと違うのにびっくりした

 

私がいけないのだろうけれど、嫁にも行かず実家に住んでいたので

何度も「出ていけ」と言われた

 

育ててもらっただけでもありがたいと思わなければいけないのは

頭では理解している

大学まで出してもらったし、高校や大学受験時に公立でないとだめ

という家の同級生もけっこういたけれどうちは勉強に関しては

私立も志望校としてもらえたし

そういうところは恵まれていたと思う

ただやっぱり家族仲良く愛情たっぷりというのからは程遠かった気がする

 

毎週母親のところにお見舞いにいくのも「出てけ」と

さんざん言われたのにな、と色々複雑な気持ちはある

 

そして桃の節句の時期になるたびに自分の雛人形はないんだよな、

もうどうでもいいけどと思う

 

雛人形を買ってもらうことが親の愛情すべてではないけれど

親の愛情をいっぱいうけて育ったんだろうなということが

感じとれる人たちを羨ましいな、という気持ちはやっぱりあるよね

 

何もないのもさみしいので、雛菓子の羽二重餅を買ってみた

雛人形のようなフラワーアレンジメントがあることを後から知ったので

来年はフラワーアレンジメントにしよう

 

お昼ご飯(夕方になってしまったけれど)

バナナきな粉パンケーキ(といっても蒸したんだけど)は失敗

硬くなってしまった(左側のちょっと得体のしれないものに

なってしまったもの(苦笑))

 

 

 

お昼が遅かったので軽い地味夕ご飯