こんにちわ ゆうじです。

 

Facebookで、パン職人の廣瀬さんが紹介していた記事なのだが、良い記事だったのでご紹介します。

 

児童虐待の痛ましいニュースが続きますが、DV加害者に対して反応的な怒りを向けがちなんだけど、そこには何があるのだろう?

今回のニュースで特徴的なのは職場での評価はそれなりに高いところ、職場と家庭での側面の違いに違和感を覚えた。

 

下の記事で、その心の反応が示唆されている。

 

家族に暴力をふるうDV加害者が、心の奥底に隠している「恥辱」とは

 

ちょっと抜粋しておきます。

 

どちらの父親も職場での評価はそれなりに高い。だが、彼らの行動を見ると、そのアイデンティティは、仕事にはなく、家族に委ねられているかのようだ。

 それでも、私には疑問が浮かぶ。この2人の父親はそれぞれ子どもを殺したかったのだろうか。

 過去にネグレクト死事件を取材して知ったのは、子どもを亡くしてしまうほど追い詰められる親たちは皆、社会に助けを求めて働きかける力を失っていたということだ。では、子どもに暴力を振るう親は、社会に助けを求める道筋をもっていたのだろうか。

 

中略

 

その怒りの「引き金」の下には、その人が純粋にもつ希求や切望感、「とても意味があると思っているもの」が隠されているという。

価値観よりももっと人の根本を作っているもの。もっと揺るぎないものです。自分の心の奥底にある、こうでありたいという切望感。親の愛情が欲しいとか……。幸せな家族として暮らしたいとか……。反応的に暴力を振るう人は、その切望感が侵されたと感じる時、恥や恥辱(自分はダメな人間だ、とか、恥ずかしいとか、バカにされているという感情)を感じています

 人当たりがいいと思われてきた人が、何かをきっかけに、抱え込んできた恥の感情に触れた時、反応的に怒りが湧き起こる。あるいはそうした、恥ずかしさに向き合いたくないが故に、社会と距離をとる。

「そうすることで、人との関係障害が引き起こされ、その結果、社会から孤立してしまう」と高野さんは言う。

DV加害者へのセラピーで、最も重要なのが恥辱に直面してもらうことです。しかしまた、最も難しいことでもあります。加害者は自分がしたことを知らないのではないかと言われることもありますが、皆、自分が何をしたかは心の奥にしまってある。それを引っ張り出してこないと変化に結びつかない。こうした恥や恥辱に真摯(しんし)に向き合うことが変化の第一歩です。

 

中略

 

カナダ・アルーバータ州の制度では、DVが通告されるとすぐに強制逮捕され、裁判所から接近禁止命令が出る。児童虐待が通告されると、児相から子どもの緊急保護命令が出る。10日以内に裁判が開かれ、状況によって更生プログラムを受けるよう命じられる。プログラムはDV加害更生プログラム、虐待をしてしまう父親のプログラム、両親が一緒に受けるペアレンティングのプログラムなど種類が豊富だ。更生プログラムを終えないと、児相に保護された子どもを返してもらえない場合もある。ホームサポートワーカーが派遣されて、家の中に危険なものはないか、食事がきちんと与えられているかを確認することもあるという。

 その家庭にDVや虐待が起きていることがわかると、スピーディーに裁判まで進み、すぐに支援が入り、親たちは学ぶチャンスを与えられるのだ。「恥ずかしい自分」に向き合うには、早いほうがいい。

 

 このプログラムでは、参加者を『DV加害者』とは呼びません。『DV加害者』というアイデンティティーだけを強調することになるからです。しかし、DV加害があったことは明確にします。参加者の呼び方は『暴力・虐待をする男性(女性)』です。こうすることで、『暴力・虐待』はその人の選択であると強調し、だからこそ暴力・虐待を選択しない生き方も可能だと伝えます

 

 参加者は、善悪ではジャッジメントされない。

 

「恥ずかしさを生み出した体験や恥辱を引き出した感情が、どこからきているのかをゆっくりと語っていきます。

 加害者が恥辱に向き合うのは、ものすごく痛い体験です。加害者プログラムに参加する人たちの多くが、幸せな家庭をもちたいと願っています。子どもが生まれた日はうれしかった。希望をもった。しかし、素直にポジティブにそう切望しながら、自分自身の手でそれを壊してしまった、というつらい恥の体験をしています。その結果、大切に思う子どもから怖がられるという状況に陥る。そんな自分を許せないと感じる。自己嫌悪もある。さらにその結果、強い怒りの感情が起きるのです。

 

自尊心から暴力へ発展する流れも記事中に記載されていますので、ご興味ある方はご一読を。

 

自己の感情と向き合って、初めて解決の糸口が見つかるんやね。

 

ではでは、このへんで