こんにちわ ゆうじです。
和気清麻呂公のことを少し調べる。
出身地の岡山にある和気神社のサイトの絵巻が年表になっていて分かりやすい。
- ちょっと引用する。
- 道鏡事件
- 神護景雲3年(769)に、道鏡事件はおこりました。仏教政治の時流に乗って政界に入った道鏡は、ついに皇位を望むに至りました。その時清麻呂公が、国家の命運を担う立場に立ったのです。
時に清麻呂公は37歳であり、近衛将監で美濃大掾を務めていました。
- 弓削道鏡
- 弓削道鏡は、河内国弓削郷(大阪府八尾市)出身の僧侶です。孝謙上皇の看病僧として寵愛され、権勢をふるいました。太政大臣禅師、ついで法王の位を授けられて、まさに天皇のごとく振舞いました。
- 宇佐八幡神託
- その年の5月、朝廷に宇佐八幡の神託を、報告してきました。もたらしたのは、大宰主神である習宜阿曽麻呂でした。
それは「道鏡を天皇の位につければ、天下は太平になる」というものでした。
- 朝廷の混乱
- 宇佐八幡の神託によって、朝廷は混乱しました。臣下の身で皇位を窺うという、前代未聞の事態でした。道鏡は大いに喜びましたが、称徳天皇は事の重大さに思い悩みました。
人々は神託を容易に、信じることはできませんでした。
- 天皇の霊夢
- 天皇の夢に、八幡大神の使いが現われました。真の神託を伝えたいので、法均(広虫姫)を遣わすようにと、告げました。天皇は法均の代わりに、弟の清麻呂を遣わしたいと答えました。天皇は清麻呂公に、「汝よろしく早く参りて、神の教へを聴くべし」と命じました。
- 道鏡の誘惑
- 道鏡は清麻呂公に「自分が天皇になれば、汝に大臣の位を与える」と誘惑しました。
清麻呂公は姉の広虫姫と、国の行く末について話し合いました。そしてその助言を、心中深く受け止めました。 - 勅使
- 神護景雲3年(769)6月末、宇佐八幡の神託の真偽をたしかめるため、清麻呂公は勅使として旅立ちました。身の危険を感じながら、しかも国家の命運を左右するだけに、重苦しく孤独な道中でした。
- 宇佐和気使
- 「宇佐和気使」とは天皇が即位するたびに、宇佐八幡に報告する使者のことです。代々和気氏が任命されました。道鏡事件の際、清麻呂公が勅使となったことに由来します。
室町時代初期の文和元年(1352)に、後光厳天皇の即位の報告を、和気嗣成が行ったのが最後となりました。 - 八幡信仰
- 宇佐八幡は現宇佐神宮と称し、大分県宇佐市に鎮座しています。宇佐八幡を本源として、八幡神社は全国に2万5千社あります。
源氏が氏神として祀ったので、武の神として各地の武士の間で広く崇敬されました。 - 宇佐八幡社頭
- 清麻呂公は身を清め心を鎮めて、神前に額ずき一心に祈りました。そこで伝えられた神託は、「道鏡を皇位に即けよ」でした。
- 清麻呂公の祈り
- 清麻呂公はなお祈りを込めて、次のごとく迫りました。「いま八幡大神の教へたまふところ、これ国家の大事なり。託宣は信じ難し。願はくは神異を示したまへ」
- 宇佐大神の神異
- すると、身の長三丈(9メートル)ばかりで、色は満月の如く輝く神々しい八幡の大神が姿を表わしまし清麻呂公は仰天して、その場に伏してしまいました。
その時、厳かに真の神託が降ろされました。た。 - 宇佐の神教(真の神託)
- 「わが国家は開闢より以来君臣定まれり。臣をもって君となすこと、未だこれあらざるなり。天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃い除くべし」。
- 引用終わり。
- その後も知りたい人は、リンク先見てちょ。
- 一度は、道鏡を皇位につける信託を一度はもらってたことは驚きだが、もしかしたらエゴによるものではないかと疑い、確認した感じだよね。
- これを面白いと思ってしまう。
- 和気氏は、半井姓に変えているが、現代でも続いている。
- 調べると、清麻呂公自身も天皇の末裔だしね。
- ではでは、このへんで