こんにちわ ゆうじです。
「あなたの知らない脳 意識は傍観者である」は、各章ごとの話は面白いのだが、タイトルにある、「意識は傍観者である」に繋がっていかない。
自分が気がつかないか。読み飛ばしてるのだろうか?
そもそも「意識は傍観者である」とは、どういう意味だろうか?
ある日、Youtubeに「意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説」が上がってきた。
傍観者と受動意識は似ているように思えたので、何かの答えがあるに違いないと思った(笑)
この方は最初のところで、そもそも意識とはエピソード記憶を持つものとして定義づけています。
エピソードのように意味付けも持ったものの記憶、あそこの店のパスタはソースが凝っていて値段も手ごろだけど美味しかったとか。
そういう記憶。
この人の定義では、猿や鳥も意識を持つものとなります。カラスは、顔を覚えて攻撃してきたりしますからね。
虫にはエピソード記憶がないとしていますが、そこは意見の分かれる所かもしれません。
5:55くらいからの「無意識は並列分散システム」というのも、無意識の説明として分かりやすかった。
パソコンの世界の話になるが、初期の頃のパソコンは、プログラムはひとつのタスクしかできないものでした。
決められた順番通りにしか動かない。例えるなら、1本の線路の上しかたどれないものでした。
そのうち、複数のタスクを管理するOS、パソコンで云うとWindowsが現れて、CPUが演算処理してる最中に、ディスク側は保存をしたり、メモリに展開したり、複数のタスクを同時に処理したり、指定された順番で動かす仕組み装備されてきます。これで複数の路線を走り、特急や快速や各駅が同時に走れるようになりました。やがて、線路なんかで例えられないくらい複雑になっていきます。
その中で、動かすプログラムを作成する側としては、単純な処理をするものをみんなで使いまわしたり、色んな場面で使えるように使う用になっていきます。最初は、プログラムの一部分として提供されて毎回起動していたものが、OSやハードの向上によって、プログラムとして常駐化させて使われたりするものも出てきました。
そういうことが出来るようになってスマホとかに発展していきますが、そういったものの中には、表面上は見えないプログラムも沢山動いています。表面上動いているアプリを動かすために背景として動く無数のプログラムがあると考えてよいでしょう。これを並列分散処理と云っても良いと思いますが、システムと云うと複数のCPUだったり、複数のPCを並列に動かす仕組みを、並列分散システムと云ったりします。
出来るだけ処理が早くなるように同時並列に処理を分散させて行うのを目的にします。
この並列でプログラムを動かす時に以前はひとつのCPUでこなしていたものが、複数のCPUを持たせたりどんどんハードも向上していきます
。メモリや記憶装置も容量が爆発的に大きくなって、そのうちAIという概念が出てきて、最初は大量の情報から結果を予測するものから、予測した結果を自動実行するようなシュミレーションから、プログラム自体を最適にしたり、自動作成するものもやがて出てくるでしょう。
それが、どんどん発展して生体コンピュータになった時にそれは、我々の脳に近いものになるのかもしれません。
そんな考察は背景に置いといて。
受動意識仮説とは、
意識は、無意識化の自立分散的情報処理結果に受動的に意識を向け、あたかも自らが行ったかのように幻想体験し、エピソード記憶するための(無意識に対して受動的な)存在
これブルースのクリックアウトの理由付けにもなっていて、私たちの意識はエピソード記憶とセットになっていると考えると、エピソードと紐づけをする解釈者を無くした状態は、完全に無意識となり紐づけのない記憶=エピソード記憶がないので意識に残らないのは当然の結果と云える。
基本的な傾向として、人間の意識というのはこうなのかもしれないと思うが、すべてそうだとは云い切れないだろうとも思いました。
検証として、「知」「情」「意」に分けて考えていきます。
本丸は、自由意志の問題ですよね。意思を持って決めているから、意識は能動的じゃないかという点
そこで出てきたのが、「指を動かそう」と意図する実験なのでした。33:33くらい
まあ、「指曲げエクササイズ」と趣旨が違いますが、やっぱり単純化すると同じようなものになるんだろうね。
指を曲げようと決めるよりも前に、指を曲げるための脳内の指の筋肉へ指令はなされていて、あたかも自分が決めたように感じているだけだという結果になった実験なのです。
「自由意志」の「意」も幻想(受動的)という結論に導かれるわけですが、この方が説明上、先に指を曲げると決めた無意識のことを無意識の小人としているのが面白いなと思ったりします。
エピソード記憶を持つ意識は、受動的で自由意志はつじつま合わせの幻想なのだとしても、指を曲げると決め実行した無意識の小人は何者なのだろうか?
そこは、あまり気にしてもいないんですよね。
ではでは、このへんで