こんにちわ ゆうじです。

 

ちょっと、話が前後します。

 

カントの道徳論が、ちょっと行き過ぎていて、後年ニーチェ先生から「ちょっと、どうかしてる」的な扱いをうけてるみたいです。

なんて、前々回書いておりますが、理想主義的な理念は嫌いではない、と云うか、むしろ好き(笑)

 

実践理性、いわゆる道徳的な理性が実践すべき世界は、お互いを対等で自由な存在として、尊重し共存する世界です。

これは現実ではなく、あくまで「理念」なのですが、これを現実にやれというのが厳しいところ...

 

残念ながら、この理念は現実からほど遠く、せめて非物質くらいはと思うところです。

カントの道徳法則の理念は、いくつかの言葉で表現されているそうです。

その中で、非物質でとても大事にしたい一文が紹介されていました。(自分の反省とともに)

 

NHK 100分 de 名著 カント『純粋理性批判』 2020年 6月 [雑誌] (NHKテキスト)

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(青字はちょっとつまみ食い的に若干要約して引用しています。)

汝の人格の中にも他のすべて人の人格の中にもある人間性を、いつも同時に目的として用い、決して単に手段として用いない、というようなふうに行為せよ。

 

人間は物や奴隷ではなく「人格」である。これを単なる手段としてはならない。とカントは云います。

わかりにくいのですが、人のなかにあるその人なりの思いや意思があることをつくづく感じると、その人のことを軽んじることが出来なくなる。

それと同じように、あらゆる人を尊重しなさい。ということです。

 

あらゆる人格というのが、キモなんです。補足すると、人格のわくを広げ、側面まで想像してみる。

例えば、父母、兄弟、子供で考えてみる。

 

自分から見て「親」の人格を否定する人はあまりいないでしょうが、親の親以外の側面を想像して尊重できるか?ということです。

日常ではなかなか難しかったりもします。

愛の感覚で満たしていれば、少し柔軟に受け入れる事ができるかもね。

 

非物質ではどうだろう?

まず、ガイドやヘルパーを考えてみる。

相手側の使命や目的と人格を尊重できるか?

 

モンロー研のセミナーではしつこく云われるガイドやヘルパーへの感謝だけど、その人格の思いや意思を想像してみるのも良いと思いますよ。

 

ではでは、このへんで