こんにちわ ゆうじです。
以前、ブルースが知覚だけに絞って、体験しようとしたら体験の記憶が残らなかった話を、下記のように書いた。
(顕在意識のための)海馬周辺のお仕事はお休みするわけだから、(顕在意識としては、自分の記憶として)記憶しない。
記憶を想起するにしても自己の感情を紐づけに思い出すことが多いと思いますが、そういうものがないのだろう。
ふと、解離性障害の人の主人格の記憶の話を思い出した。
https://ameblo.jp/beginbmt/entry-12540946291.html
読み返してみたが、ご本人つまり主人格についての話をそもそも書いていなかった。
交代人格から見た主人格の様子くらいだろうか?
円卓の中を、交代人格がいて、中央にディスプレイがある席があって、そこに座ると肉体の主導権を得て入れ替わり、その時主人格は水槽の中にいて眠っているようだと話していたところ。
ご本人のツイッターはこちら
こちらにある、「日常が途切れる世界」の動画で本人の症状に理解が得られるだろう。
何回も、突然違う場所にいるとかを繰り返し、見知らぬ自分の存在にゆっくりと気付かされる。
現時点では、交代人格が主人格を助ける存在でもあることに気がついているが、それに気づかなければ記憶を奪われたも同然かもしれない。
その恐怖は、計り知れない。
お酒を飲んで記憶がないときとか、想像するだけで怖いし(笑)
これは私だけですかね(笑)
この方のように性同一性障害も抱え、日常の心の軋みが大きいときに生まれたであろう交代人格は、別の視点を必要として生まれた存在なのではないかとも想像します。
そこまではなくても、記憶や感情のすべてではなくても、その時の記憶や感情に縛られてどうしようもなくて切り離した存在を持つ人は多いのかもしれないね。
ではでは、このへんで