こんにちわ ゆうじです。
サイトの情報だと、お経の解説記事なので、実際の瞑想体験が解らないので、関連本を探してみました。
原始仏教のスリランカのテーラワーダ仏教の長老(と云っても、日本在住の方)の書籍をたまたま見つけたので読んでみました。
テーラワーダ仏教というのは、お釈迦様の時代から完全に近い形で残されたパーリ語経典に基づいて、多くの比丘(出家僧)と在家信者たちの努力により、約2560年間の長きにわたって実践され、受け継がれてきたお釈迦様の根本の教え。
日本の仏教は、中国・チベット・朝鮮半島から伝わった、お釈迦様の死後数百年経って成立した北伝の仏教、いわゆる大乗仏教です。
大乗仏教からは、小乗仏教などと云われたりしております。
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仏教は心の科学 (宝島社文庫)
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「仏教は心の科学」と云ううとおり、本来、仏教は宗教ではないという話から、始まります。
そもそも、釈迦の教えは、生きることに役立つ智慧や心の高め方であって、死後のことについてはわからない。として、多くを語らず、それよりもどう生きるかを命題としたようです。それは、合理的に考えてそうした印象です。
とはいえ、瞑想修行の中で、いろいろと起こりますから、そこはどう考えるのだろうか?というのを知りたかったわけです。
アルボムッレ・スマナサーラ長老自身の体験を、第3章 死んだらどうなるか?でいろいろ語っております(笑)
実際の体験については、次回以降に譲るとして、そもそも輪廻転生についてどう考えているのか?という立ち位置についてまず説明があります。
手塚治虫のブッダとかを読んでいると、輪廻の話は、大前提でそのための解脱だよね。と思えるのですが、実際には、上記のように生きるための智慧を語ることの方が多かったのでしょう。経典に残っていないということかも知れません。だから、輪廻転生は仏教の話ではないと誤解している人がいるらしい。
この方は、もちろん、輪廻転生を肯定しています。
(青文字は、本文を超要約して引用)
釈迦が悟りを開いた後、無限の苦しみである輪廻転生はこれで終わり、悟りの過程として得られる智慧が得られるとしています。
・自身の過去が見えること
・生命が生まれて死に、またその生命の行為の結果として死んでは生まれ変わるというプロセスが見えること
・無常を発見した自分の心から煩悩が消えて解脱に達した
誰もが憧れるやつです(笑)しかも、これを目的にすると、到達できない気がします。
最初の方の「わからない」と矛盾していますが、「輪廻転生は、証拠に基づいた正しい事実だ」と発見できるのは悟りに挑戦する人達なのです。そうでない人たちには「よくわからない」としてるってことです。
さらっと書いてあるが、修行者向けの話と分けてるの?嘘も方便ってとこ?
とはいえ、嘘でもないのか?
輪廻は単なるエネルギーの繰り返しで、鮭のと同じようにグルグル回るだけと、生まれ変わって良いところに生まれても結局は他の人の話でしかない。
それを目の当たりにしたら、そこから抜け出す方法を探りますよね。
それが解脱ということでしょう。
まず、目標を、解脱にした。ということかもしれません。
原文では、
怒り憎しみ妬みという悪い感情が、わずかにでも生まれないところまで心を磨く。
真理がありのままに見えるところまで心を磨いてみる。
とあります。
真理をありのままに見るために、心を磨けということかもしれません。
感情や欲求がありすぎるとフィルターとなってしまいますからね。
神々すら乗り越えて、心を磨けと。
神々は拝むものではなく、乗り越えるものとまで...
「拝むな、乗り越えよ」
これは神々の中には、輪廻を超えていないのがいるという意味もありますね。
ではでは、このへんで