こんにちわ ゆうじです。

 

深夜枠のアニメが無料になっていて、最後まで見てしまった。

競技ダンスいわゆる社交ダンスを通して少年の成長を描く的なお話です。

初心者がいくらなんでもここまでというのは、ちょっとないでしょうというツッコミどころは満載ではあるが、面白い。

後半、ようやくパートナーに出会うまではちょっとあり得ないが、パートナーとの身体感覚の描き方が面白いなと思いながら見続けた。

 

最終話の一話前、背景として、ダンスパートナー同士、パートナーを理解しきれずに衝突する二人へのアドバイスで、

仙石 要という先輩ダンサーというか師匠から弟子(主人公藤田多々良)への言葉のような名セリフがあったので紹介します。

ちょっと、長いのですが、お付き合いください。

 

少し、難しい話をしようか。

(これから言うことを)おまえが理解できなくてもかまわない。

 

 

分かったつもりになることは出来るんだよな、他人ってやつは。
でも、つもりはつもりでしかない。
 
他人ってのは結局不確定なものだ。そこにひとつの世界があるみたいに。
人類が世界のすべてを解き明かせないように、俺たちは他人を解き明かすことなんてできないんだ。
 
理解できないものが目の前にあるってのは、恐ろしいと思うか?
目の前にいるのはなんだ。
 
自分と別の存在がそこにいて、それを理解できないということを知った時、それはとんでもなく愛おしいものじゃないか?
それだけで、自分が自分であって良かったと。
そう思わないか?
 
昔の僕は、間違いなく恐ろしいと答えたろう。(このセリフの対極にエバンゲリオンあるかもね。)
このセリフ自体論理的ではないかもしれないけれど、そうありたいと願う。
 
自分自身と同じように他人も、パートナー、家族、親や同僚もそれぞれの世界があって、それは解き明かせないけれど、そのすべてを理解できなくても良いのだと。
それでも他人も自分も愛することはできる。
理解したいと思う理解できないものならなおさら愛することはできるだろう。
 
それは、不完全でも完全という矛盾の中にある真理。
 
このセリフも似てるかもしれない。
 
まあ、少し訂正するとすれば、
 
自分の思う通りになってもならなくても、自分はいつでも自分だから大丈夫。
自分はいつでも自分なので大丈夫。
同じように、あなたはあなたで大丈夫。
 
みんな足りないところがあっても当たり前、それでいいのだ。
 
ではでは、このへんで