こんにちわ ゆうじです。
昨日の続きです。
ちょっとだけ、違う解釈をしている記事もあります。
仏に逢うては仏を殺せ 父母に逢うては父母を殺せ (禅の名言) | 和魂美才
以下の青字は、引用です。
仏を殺せ、親を殺せ、という字面だけをみると「非道な教えだ」と思うかもしれません。が、別に「殺人のススメ」ではありません。「他人の作ったものを崇拝している限り、自由にはなれないし、1人前にはなれない」ということです。たとえ、尊敬する相手の言うことであれ、きちんと距離をとりましょうということです。
だからこその「グルはいらない。」なのです。
ムーミンのスナフキンも、云ってます(笑)
「誰かを崇拝しすぎると、本当の自由は得られないんだぜ。」
でもね、これは念のためなんだけど、崇拝は必要ないんだけど、敬意は払うんだ。
そして、僕はブルースに感謝しています。
この記事では、教えを手放すという意味で書いてあります。
学習棄却(学んだことを手放す)というのは、意外に大変なものです。
私達は「親から教わったこと、先生から教わったこと、先輩から教わったこと」を真実だと思って生活しています。
学校で教わったことが「ウソだった」と言われると、多くの人はショックを受けるものです。
これは、信念を手放すことと信念体系崩壊によるショックだと云いかえられるかもしれませんよね。
あと、学習棄却については、蒼天航路の曹操の軍師荀彧が放浪からの帰参の際に、云った言葉
「この世のすべてを見聞きして、全て忘れて帰ってきましたー!」
のセリフを思い出した。
蒼天航路の後半で、曹操側の古参軍師が若手軍師を育てる話で、すべての軍略を叩き込んだその後に
そのすべてを忘れて、まっさらな所から己の軍略をひねり出すのだと云うのもあったな。
このブログの締めくくりで、
日本神話を含む多くの古代神話は「親殺し」という「親的な存在を乗り越えていく」というテーマを含みます。
要は「親や指導者、学校の先生や会社の上司などなど、他人に与えられた正解をぶっ壊すこと」の重要さを昔の人達は正しく理解して教育していたのです。
古代神話共通の親殺しの裏にある意味としても面白い洞察です。
これも、結局その役に立たなくなった親の信念が
心にこびりついて、それが内なる声の一つとなってしまうことから
その声の主を殺してしまえ=叩き出せということかなと。
あくまで、自分のインナーワールドの世界ですよ。
ではでは、このへんで