こんにちわ ゆうじです。
AKB48の髙橋みなみの座右の銘だそうです。
「仏に逢えば仏を殺せ 祖に逢えば祖を殺せ 何者にも捕らわれず縛られず ただ在るがままに己を生きる」
漫画『最遊記』にある言葉 だそうです。その辺が微笑ましい。
一瞬、漫画太郎の珍遊記と勘違いしかけたが、『最遊記』だった(笑)
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本当は、「何者にも捕らわれず縛られず ただ在るがままに己を生きる」は付け足しで、漫画の方でその意味するところを若干都合良く付け足している感じ。
原文は、もっと激しい。
逢仏殺仏。逢祖殺祖。逢羅漢殺羅漢。逢父母殺父母。逢親眷殺親眷。始得解脱。
仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。
臨在禅師の言葉です。まかり間違っても本当に殺せという話ではありません。念のため(笑)
いくつか解説記事も載せましょう。
―仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ(『臨済録』示衆)
略~
臨済は決して無神論者ではない。彼は門人たちに向かって、お前ら一人ひとりの中に具わっている「一無位の真人」(形なき真実の自己)を見い出せと迫ったのである。この形なき自己は、固定的に存在するものではなく、朝から晩までわれわれの感覚器官を通って、活発に出たり入ったりしているという。
それこそが「本当の自分」というものであって、それ以外に真実の自己などあり得ないという。従って真実の自己に出逢うためには、自分を惑わせるもの、特に権威をもって自分に迫ってくるものは、たとえそれが仏や祖師、父母や親族であっても、徹底して否定しなければならないと臨済はいう。
ここからは、僕の想像でしかないのですが、
禅の瞑想の中での体験だったのではないでしょうか?
自分の中の、
仏や祖師、父母や親族を
殺す=消す=叩き出す
をやったのではないかなと。
ではでは、このへんで
おまけです。
太陽の塔の岡本太郎さんが、この言葉を解説している記事がありました。
お坊さん向けの講演会かなにかのようですね。
「道で仏に逢えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。逢えると思う人は手を上げてください」
誰も上げない。
「逢いっこない。逢えるはずはないんです。では、何に逢うと思いますか」
これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。そこでぼくは激しい言葉でぶっつけた。
「出逢うのは己自身なのです。
自分自身に対面する。そうしたら己を殺せ」
その真意は?