こんにちわ ゆうじです。
自分でも、うすうす気がつき始めたことでもあるんだが、今回のレベル3をやって確信した。
問題なのはディスクの説明に関連して、転生に関する所、一般論として説明すればよいだけの話なのは、分かっている。
が、嫌だ。嫌なものは、嫌なんだ。
ブログでも判ると思うが、魂の成長とか、痛みや苦労で魂が磨かれるとかそういうのが大嫌いなんだ。
それが云いたくないから、ひろこさんに振ったりした。
自分でも、この感情、感覚に驚いている。
経験を集めるというのですら、抵抗を感じる。
せいぜい許せるとしたら、愛の経験を集めるのと愛を学ぶためとかだろうか?
これは抵抗ない。
愛に基づいたものなら、大丈夫そうだ。
過去世で宗教者とかで、騙しに使ったりして、2度と云わないと誓った。とかしてないだろうか?
反応しているのは、こういう部分だろう。
困難や悲しみを糧にして、人は成長するか?
<<この辺から、左脳くんが、暴走し始めた。>>
逆説的に云うと
人の成長に、困難や悲しみは必要か?
この論理の先には、課題や試練のエンドレスゲームが待っていないか?
昔「我に艱難辛苦を与えたもう」と云った武人がいた。
美しいとは思う(大概なマゾで、ナルシストとも思う)が、悲劇しか招いていない。
では、逆に喜びや楽しみでは、成長はしないのか?
それは大事な経験ではないのか?
では、魂の成長ってなんだ。
そもそも成長、必要なのか?
はい、収集しきれなくなってきた。
少し、冷静になろう。
どう思うか、ガイドに聞いてみる。
前に、聞いたのと同じメッセージが帰って来る。
「問いが答えよ。」
ではでは、このへんで