こんばんわ ゆうじです。ひさびさの更新です。
最近、BM協会の練習会の調査等で、お墓のあるところを検索していたせいか、お墓とか墓地の広告がFacebookとかにしつこく出るようになってしまった。別にお墓の購入予定はありません。
練習会予定地は、刑場跡でもあり行ってみたけど、あまり感じることはなく、自分の過去世では、縁ないと思っていた。トレーナさんの中には、処刑人の過去世を持ってるという人の話とかを、他人事として聞いていた。
いろいろ、練習会の準備をしてると少し重い感じがしてきて、少しお風呂に入ってリフレッシュしようとしてたら、なんとなく過去世の側面のリトリーバルになってた。
浮かんだのは、日本人ではない感じ、少なくとも武士という気はしない。白人ではなく、東洋系な感じ。自分の過去世というよりも、ディスクの誰かの過去世が切り捨てた側面。
お役目として、処刑を請け負っていた人。処刑をやり続けることで、自分の人間性を切り捨てて、生きることを選んだ人物。家族のために、家族への愛を切り捨てる選択をしてしまった。
そんなことが、頭に浮かんだ。武人でもあり、堅物、そのため、役人的イメージもある。
地位としては、庶民より一段上なのだろうか?侮蔑を含んだ敵意と、それにさらされる家族への思いの葛藤だろうか?単純な人物ではない。
娘や孫娘への思いもあるのだが、血にまみれた自分が抱くことはできないと考える悲しい人。
そこに、残っていた思いとその人物を愛の繭で包んで、F27へ返してあげる。光の存在に包まれて帰ってゆきました。
同時に、自分の体の左半分に少し光が差し込んで、すっきりした感じになりました。
このブログを書きながら、気づいたこともあり、温かい気持ちになっている。
この体験のあとで、少し考えたのだが、生きている間に、何らかの苦しみから逃れるために、その感情を伴う側面を意識的に切り離してしまうことは、あるのではないだろうかと思う。少なくとも、自分は子供のころにやった覚えがある。側面という考えはないが、特定の感情の処理に困って、意識的、無意識的に感情を切り離すということをやっていた。これは、去年のレベル3で思い出したことなのだが。
トレーナとしては、今世の側面のリトリーバルもっとやるべきなんだけどね。
自分は、生きている間の体験で回復する場合も、あるのではないかとも思っている。
側面のことを、知っていれば、死んだときに全回収すればいいんだろう的な...
「やるべき時が来ればやりますよ。ええ、分かってますよ。うるさいな。」
と、自分の別の側面が申しております。要は、躊躇してしまうんです。信念の妨害かもしれません。
今回は、この辺で。