いろんな人がいるからこそ。 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

自閉症と診断されている子供を持つ友人が、
5歳になってから、突然落ち着いてきたんだと
共通の友人から聞いた。

去年まで、私が時折見ていたときは、
いつも怒るか、泣いている場面しか
目にしなかったような気がする。

それが気持ちが落ち着いてきたのと同時に
日常のことも普通の子と変わりなく、
むしろ、普通と呼ばれる子たちよりも、
できることがあるのだそうだ。
私はそれをとても嬉しい気持ちで聞いた。

娘はこないだ面接の練習中に
突然先生の前で大泣きしてしまった。
と笑って言った。

我慢していた不安やプレッシャーが
溢れてきたのかな。と私は言ってみた。
どうだろう…
だけど、大泣きしてみたら、
なんだかスッキリしちゃったよ。
私はそうか。なら、良かったんじゃん。
と返した。

娘は先を読むことが苦手だ。
これから親元を離れて、
自分の力で生きていかなくてはならないことに
予測がつかないからこその
漠然とした不安があるのは知ってた。

だからこそ、様々な世界を見ることや
いろんな人と話すことが
普通の子達よりももっと大事なんだと
思ってきた。
しかし、それを充分に体験させてあげられたか?
と自分に問うと、YESとは言えない。

自閉症スペクトラム(広汎性発達障害の一種)
の疑いがあった我が娘には、
日常のルーティンをこなすことが
生活を不安なく送れることなんだと
当時の専門の先生から伺った。

先を予想することだけでなく、
こういった子たちは、
自分から何かを選ぶことも
なかなか難しいのだという。

突然の予定変更にもパニックを起こしたり、
人の気持ちを自分に置き換えて想像するのが
苦手なために、
悪意があるわけでもないのに、
思ったことをストレートに口にして、
人間関係の構築に
失敗することも多いのだという。

幼稚園の先生をしている友人は言った。
最近ではね?
ほんの少し、
大人の言うことを聞けなかったりするような
集団行動が苦手な子がいると、
すぐに専門医に見せた方がいい。
そんなふうに言う先生が多いんだよ。

私は、それを聞いて、
先生というか、大人全体が、
物事を誰かに分別してもらわないと
理解できない人が
増えているんじゃないか。

自分の理解できない物事に対して
自分の考える力で、どうにかしようという
気持ちを失いつつある大人が
増えているんじゃないか?と
ほんやり思った。

すぐに自分に必要な情報が
手に入るようになった世の中は
身を以て体験する。
という機会を奪ってしまった側面が
あるような気がする。

誰かの体験を知ることや誰かと話すこと
または過去の歴史を勉強したとしても
それは擬似的な体験に過ぎず、
どこまでいっても自分の解釈という
想像の世界に過ぎない気がした。

だから、挫折や失敗という体験は、
自分に本気で向き合える
大きな贈り物なんだと今では思える。

どういう体験を
大きな挫折や失敗かと呼ぶのか。
それは、その人の考え方次第でも
あるのだろう。

現に私の弟は、
私からすると、大きな出来事だと思えるような
小さな頃からの自分の持病や
自身の子供の大きな病気を体験しても、
さほど、落ち込む素振りを見せなかった。
父の不治の病が判明した時や
死の場面でさえ、淡々としていた。

彼とは幼い頃はとても仲が悪くて、
毎日、ケンカして、ガラスを割ったり、
階段から突き落とすぐらいの
壮絶な兄弟喧嘩を繰り広げてきたが、
それは、私が彼の心というものを
1ミリも理解できないことに
端を発していたのだとも思う。

あの頃は彼に何か障害のような名前は
付かなかったが、
今なら真っ先に診断を薦められただろう。

私からするととても気丈に見えた母を
一度だけ号泣させ、
父も自分の子供ながら、
好きになれないとぼやいたほど、
彼は突拍子もなく、普通とは呼べない
振る舞いを幾度となく繰り返してきたが、
兄弟の中で、一番先に自立し、
大人になって親孝行しているのは、
この弟なのだった。

人って、わからないもんだ…と思う。
と同時に、だからこそ、おもしろいんだ。
とも感じる。

世界で一番大嫌いだった弟は、
今では私と仲がいいのだ。

離れて暮らしていて、
会うのは1年に一度あれば
いい方だけれども、
近くにいるもう一人の弟よりも、
話す機会はある。

姉ちゃん。
オレさ。
緊張したことって、一度もないよ。
緊張って、どんな気持ち?

ずっと昔に彼はこう言って、
私を驚かせたことを懐かしく思い出す。

娘に弟とのいろんな昔話をすると
〇〇(娘は弟ことを名前で呼び捨て)って、
なんか不思議だよねえ。
と言って、おもしろがったり、
羨ましがったりする。





いろんな人がいるんだ。
だからこそ、おもしろいんだ。

みんな普通で、
みんな普通じゃない。
だから自分に自信を持って。

そうは言ってもどこに??

それを自分自身で探す過程を
おもしろがれよ。
そんでそれが、
自分を肯定する方法なんじゃないの?