道しるべ
私が浪人生の頃から大切にするようになったことの一つに
私が“Whyの精神”と名づけたものがあります。
足元に玉が転がってきたら、猫のようにすぐ玉に飛びつくのではなく、
まず、どこから転がってきたかを見てみよう、ということです。
その方が楽しいし、その上、身になるものです。
まあ医学には理屈がないことが多くて(薬品名とか薬品名とか薬品名とか!)辛いんですが、それは置いといて、先に話を進めましょう。
もう一つ、最近大切にしていることは“まず疑ってみる”ということ。
これは、ある人の日記に書いてあったことなのですが、その人はどんな話でも、自分で裏を取って確認してからでないと信用しないのだそうです。
まあこの後、日記は、信用できる人達に出会って、彼らの話は信用している自分に気づいた、と続いていい感じに終っていたのですが、
とりあえず私には、この“まず疑う”という考えが衝撃的でした。
この方も、いっぱい痛い目を見て、徐々にそうなっていったそうなのですが、私も色んな本を読んだりしているうちに、世の中、信用できないことが多いぞ、とだんだん感じるようになってきました。
メディア然り、行政然り。
評論家の加藤周一氏が「これから日本に何かが起こるとしたら、それは必ず、なし崩しの体を取るだろう」と言っておられました。
なし崩し。なんと恐ろしいほど的確な言葉でしょう。
末端肥大症あるいは巨人症と呼ばれる病気があり、これは数年から数十年かけて、下顎が飛び出してきたり、手や足が大きくなる(ジャ〇アン〇馬〇さんを思い浮かべていただければ分かるかと)のですが、
この変わりようは、久しぶりに会った人がビックリするくらい大きい変化なのにも関らず、
毎日会っている家族や本人は変化に気づかないのだと言います。
つまり、人は小さな変化にはあまり注意を払わないし、なかなか気づかないものなのです。
でも、その小さな出来事一つ一つの指す方向を注意深く見つめていれば、何かが見えてくることもあるかもしれません。
・自衛隊の予算が増えました。
・周辺事態法など新ガイドライン関連3法成立しました。
・有事法制3法が戦後初めて成立しました。
→→→??
・・・話がそれました。
そもそも今日日記を書こうと思ったのは、決して実習を仮病で休んだからではありません!(←医者相手に仮病使うなんて、アホすぎる・・・)
きっかけは、小沢牧子・著『「心の専門家」はいらない』を読んでいて、
“国の側からの新しい政策はいつも、あらかじめ準備され、何らかのきっかけを待って具体化される”という一文を読んだからなのです!
そうだった!他の話で盛り上がっていて、うっかり忘れかけてました。
実は、先日、NHK中部が私の通っている大学の産婦人科に取材に来ていて、ちょうど実習中だった私達も、教授と一緒に取材されるという機会があったのですが、
この一文を読んで、ふとこの時のことが思い出されたのです。
私達も教授もインタビューアも皆、「産婦人科医は不足している」という前提で話を進めていましたが、果たして、本当にそれは正しかったのだろうか、と。
新しい研修制度が始まって、地方から大学病院が医局員を呼び戻しているというのは、何も産婦人科に限った話じゃないし、
それなら、地方で困るのはこの2年間だけのはずである。
また、卑猥なイメージに妨げられて、産婦人科医になりたがらない男子生徒が多くて問題だと言うが、女子生徒が増えているのだから、医師の数としてはさほど変わらない可能性もあるのではないか。
もし、女医は妊娠出産を契機に休業ないし引退するので増えたところで困るというのならば、
女性を締め出して終わりではなく、共働き夫婦がうまく機能していく社会を実現するにはどうすればいいかを考えていくことが必要だろう。
産婦人科医は忙しい忙しいというが、内科医も外科医も忙しそうだぞ。
見学に回ってた限りじゃ、差は感じなかったぞ。(むしろ、暇そうだったぞ)
ねえ、本当の所はどうなんだろう?
なかなか立ち止まって考えることは時間的にも精神的にもゆとりがないと難しくて、出来ないけど、“Whyの精神”と“まず疑う”の二つは、私にとっては、とても大切な教訓なのです。
ちゃんちゃん♪
私が“Whyの精神”と名づけたものがあります。
足元に玉が転がってきたら、猫のようにすぐ玉に飛びつくのではなく、
まず、どこから転がってきたかを見てみよう、ということです。
その方が楽しいし、その上、身になるものです。
まあ医学には理屈がないことが多くて(薬品名とか薬品名とか薬品名とか!)辛いんですが、それは置いといて、先に話を進めましょう。
もう一つ、最近大切にしていることは“まず疑ってみる”ということ。
これは、ある人の日記に書いてあったことなのですが、その人はどんな話でも、自分で裏を取って確認してからでないと信用しないのだそうです。
まあこの後、日記は、信用できる人達に出会って、彼らの話は信用している自分に気づいた、と続いていい感じに終っていたのですが、
とりあえず私には、この“まず疑う”という考えが衝撃的でした。
この方も、いっぱい痛い目を見て、徐々にそうなっていったそうなのですが、私も色んな本を読んだりしているうちに、世の中、信用できないことが多いぞ、とだんだん感じるようになってきました。
メディア然り、行政然り。
評論家の加藤周一氏が「これから日本に何かが起こるとしたら、それは必ず、なし崩しの体を取るだろう」と言っておられました。
なし崩し。なんと恐ろしいほど的確な言葉でしょう。
末端肥大症あるいは巨人症と呼ばれる病気があり、これは数年から数十年かけて、下顎が飛び出してきたり、手や足が大きくなる(ジャ〇アン〇馬〇さんを思い浮かべていただければ分かるかと)のですが、
この変わりようは、久しぶりに会った人がビックリするくらい大きい変化なのにも関らず、
毎日会っている家族や本人は変化に気づかないのだと言います。
つまり、人は小さな変化にはあまり注意を払わないし、なかなか気づかないものなのです。
でも、その小さな出来事一つ一つの指す方向を注意深く見つめていれば、何かが見えてくることもあるかもしれません。
・自衛隊の予算が増えました。
・周辺事態法など新ガイドライン関連3法成立しました。
・有事法制3法が戦後初めて成立しました。
→→→??
・・・話がそれました。
そもそも今日日記を書こうと思ったのは、決して実習を仮病で休んだからではありません!(←医者相手に仮病使うなんて、アホすぎる・・・)
きっかけは、小沢牧子・著『「心の専門家」はいらない』を読んでいて、
“国の側からの新しい政策はいつも、あらかじめ準備され、何らかのきっかけを待って具体化される”という一文を読んだからなのです!
そうだった!他の話で盛り上がっていて、うっかり忘れかけてました。
実は、先日、NHK中部が私の通っている大学の産婦人科に取材に来ていて、ちょうど実習中だった私達も、教授と一緒に取材されるという機会があったのですが、
この一文を読んで、ふとこの時のことが思い出されたのです。
私達も教授もインタビューアも皆、「産婦人科医は不足している」という前提で話を進めていましたが、果たして、本当にそれは正しかったのだろうか、と。
新しい研修制度が始まって、地方から大学病院が医局員を呼び戻しているというのは、何も産婦人科に限った話じゃないし、
それなら、地方で困るのはこの2年間だけのはずである。
また、卑猥なイメージに妨げられて、産婦人科医になりたがらない男子生徒が多くて問題だと言うが、女子生徒が増えているのだから、医師の数としてはさほど変わらない可能性もあるのではないか。
もし、女医は妊娠出産を契機に休業ないし引退するので増えたところで困るというのならば、
女性を締め出して終わりではなく、共働き夫婦がうまく機能していく社会を実現するにはどうすればいいかを考えていくことが必要だろう。
産婦人科医は忙しい忙しいというが、内科医も外科医も忙しそうだぞ。
見学に回ってた限りじゃ、差は感じなかったぞ。(むしろ、暇そうだったぞ)
ねえ、本当の所はどうなんだろう?
なかなか立ち止まって考えることは時間的にも精神的にもゆとりがないと難しくて、出来ないけど、“Whyの精神”と“まず疑う”の二つは、私にとっては、とても大切な教訓なのです。
ちゃんちゃん♪
