☆転院するまえの記事です。
☆日付等、若干記憶あいまいです。
緊急入院から二週間。
後ろはベッドと床。
前は天井。
左と頭上は壁。
右と足元はカーテン。
寝たきりの私。
いい加減 見飽きた。
今日は
介護タクシーで
大学病院へ向かう。
乗り物酔いしやすい私は
ちょっと不安だ。
そうこうしている間に
父と母が、
次いで
タクシー業者のかたが
迎えに来てくれた。
病院のベッドから
タクシーのストレッチャーに
乗せられる。
看護師さんたちに
『行ってきます』と
元気よく伝える。
『外は暑いですよ』
と、言われる
『病室は寒いので楽しみです』
と、返す。
今の私のチカラでは
絶対に開けられない二重の
ガラスドアが開けられる。
夏の熱気が肌に伝わり
顔にも伝わると同時に
夏の匂いを感じる。
病院に入院していると
嗅覚が馬鹿になったのではないか
と思うほど
病院の匂いしか
感じられなくなるのだ。
夏の熱気、
匂い、
久々の外の景色を
楽しむ間もなく
ストレッチャーごと
介護タクシーのリフトで
ゆっくりと乗車する。
母も付き添いで
となりに乗ってくれる。
付き添いの席は
狭そうだった。
申し訳ない…。
介護タクシーの
乗り心地は
快適だった。
車内が暖かいと
たちまち酔ってしまうので
冷房ガンガンでお願いした。
仰向けに流れる景色。
あっという間(?)に到着した。
あっという間に
耳鼻咽喉科での問診を終えた。
帰りの介護タクシーは、
仰向けでスーパーカップ
バニラ味を食べながら
逆さまに流れる
青い田んぼの
田舎の景色を楽しみつつ
うたた寝をした。
地元病院
↓
介護タクシー(移動50分)
↓
大学病院(滞在20分)
↓
介護タクシー(移動50分)
↓
地元病院
結構なお金がかかったと思う。
でも私が直接行けたことで
次のステップへの予約が取れた。
決して無駄ではない。
☆転院まえの
地元総合病院でのお話しです
☆日付等、
若干記憶違いしているかもです
病名が判明し
余命宣告を受けた。
手の施しようがない、と
言われた。
私に
タイムリミットなるものができた。
このまま当院で余生を…とか
そんな言葉があったかどうかは、
宣告を受け
正直あたまン中が真っ白だった私は
はっきりと覚えていない。
次の病院を探さなくては!
家族が
父が
母が
親戚の家族が
みんなが動いてくれた。
私も
この携帯電話で
検索しまくった。
親戚家族が見つけてくれたA病院
私の住む地域のエリアで大きなB病院
他県で大きなC病院
と候補があがった。
選ぶのは私だ。
親戚家族が
資料まで送ってくれた
A病院にしようと思った。
もちろん自分でも
A病院の事を調べまくって決めた。
…しかし
『受け入れられない』との返答。
次だ!
次は…B病院…に…決めた…
決めたのは当然私だが
あまり…気がすすまなかった。
でも、
繰り返しB病院の
ホームページを見て
実績があるのを確認し、
次第に希望と自信を持っていった。
B病院からの返答
『7月31日に受診できます』
…いまの私は、一週間も待てない…
すかさず父が
C病院への入院方法を
探してくれている。
もちろん私の意思を汲んでのことだ。
翌日、C病院から
『25日に受診できます』
私は全身のチカラが抜けた。
脱力というより
不安やストレスやプレッシャーから
解放された。
C病院。
なぜ第3候補だったかというと
他県だから遠いのだ。
私は家族への負担を考えていた。
C病院…大学付属病院に
転院することに決まった。
大学病院は
一時期、祖母が入院していたため
何度か訪れている。
すごく良い病院であることを
私は知っている。
私の希望が
すこしふくらんだ。
すべての病院から返事は頂いたが、
7/20 7/21
当時は、日曜、祝日と続いていて
なかなか返事がかえって来ず
奔走してくれた父がイライラしていた
と、母が教えてくれた。
父さん。
ありがとう。
地元総合病院でのお話しです
☆日付等、
若干記憶違いしているかもです
病名が判明し
余命宣告を受けた。
手の施しようがない、と
言われた。
私に
タイムリミットなるものができた。
このまま当院で余生を…とか
そんな言葉があったかどうかは、
宣告を受け
正直あたまン中が真っ白だった私は
はっきりと覚えていない。
次の病院を探さなくては!
家族が
父が
母が
親戚の家族が
みんなが動いてくれた。
私も
この携帯電話で
検索しまくった。
親戚家族が見つけてくれたA病院
私の住む地域のエリアで大きなB病院
他県で大きなC病院
と候補があがった。
選ぶのは私だ。
親戚家族が
資料まで送ってくれた
A病院にしようと思った。
もちろん自分でも
A病院の事を調べまくって決めた。
…しかし
『受け入れられない』との返答。
次だ!
次は…B病院…に…決めた…
決めたのは当然私だが
あまり…気がすすまなかった。
でも、
繰り返しB病院の
ホームページを見て
実績があるのを確認し、
次第に希望と自信を持っていった。
B病院からの返答
『7月31日に受診できます』
…いまの私は、一週間も待てない…
すかさず父が
C病院への入院方法を
探してくれている。
もちろん私の意思を汲んでのことだ。
翌日、C病院から
『25日に受診できます』
私は全身のチカラが抜けた。
脱力というより
不安やストレスやプレッシャーから
解放された。
C病院。
なぜ第3候補だったかというと
他県だから遠いのだ。
私は家族への負担を考えていた。
C病院…大学付属病院に
転院することに決まった。
大学病院は
一時期、祖母が入院していたため
何度か訪れている。
すごく良い病院であることを
私は知っている。
私の希望が
すこしふくらんだ。
すべての病院から返事は頂いたが、
7/20 7/21
当時は、日曜、祝日と続いていて
なかなか返事がかえって来ず
奔走してくれた父がイライラしていた
と、母が教えてくれた。
父さん。
ありがとう。
同室の患者さん
『どうだい!
いくらか焦げでっぺ?』
患者さんの家族
『あ~、いぐらがな』
私『(えっ?!焦げんの?)』
(;゚;ё;゚;)
・・・放射線科の
患者さんの会話は
ワンランク
レベルが高いと感じた