私、仕事捜してるの。あなた、私、いりませんか?」
M氏はそれこそ、新しい任地に第一歩をしるしたばかりである。自分が預かることになるオフィスさえ、まだ見ていない。もちろん即答はできなかった。
エリザベスがM氏に教えられた番号へ電話をかけてきたのは、その翌日であった。日本語をまがりなりにも話すアメリカ女性に、彼の食指は動いたが、彼女を雇い入れるとして、一つの障害があった。それは、支局経費の枠に、現地雇いの人件費が組み込まれていなかったことである。
つまりは、あきらめるほかない。そのことをいうと、電話の向こうで、エリザベスは思わぬ台詞《せりふ》を吐いた。
「ああ、お金のこと。それ、心配ないよ」
その日から、スポーツ・タイプのボルボを運転して、エリザベスの“通勤”が始まる。押しかけ女房というのはきいたことがあるが、押しかけセクレタリーというのは、寡聞《かぶん》にして知らない。
彼女は、たいへんな資産家の令嬢だったのである。
クラジングトン家は、コネチカット州にあって、東部の名家だというのが、エリザベスの自慢であった。なんでも、同じ姓のファミリーは、アメリカに三つとか、四つとかしかないのだときかされた記憶がある。
私は訪ねたことがないのだが、M氏によると、クラジングトン家は、門を入って玄関に着くまで、車で十分だか、二十分だか走らなければならないという話であった。
折り折りに、屋敷のうしろに広がる深い森で、キツネ狩りが催されるのだそうである。生活のありようとしては、イギリス貴族のそれなのであろう。
この家を守るのは、エリザベスの母方の祖母ただ一人である。彼女の父親は、離婚してクラジングトン家を去り、母親は早くに逝った。その遺産は、一人娘であるエリザベスの相続するところとなり、管財あるいは財産運用のため、四人の専門家が彼女についているという。
いずれ祖母が世を去れば、こちらの遺産もエリザベスに転がりこむ。その場合、彼女の資産総額は、いったい何桁《けた》になるのだろうか。彼女が不在の支局で、そんな詮索《せんさく》に私も加わった思い出がある。