ルールとは何のためにあり、誰のためにあるのか? | 小学校の先生~なるまで、なったあと~

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大阪のサッカー強豪校が、全国高校サッカー選手権の大阪大会の開会式に欠席し、失格となったというニュースが流れていました。

 

高校サッカー強豪が開会式欠席で出場認められず 大阪(NHKニュース)

 

私自身、中学から現在に至るまでサッカーやフットサルを続けており、選手の無念さや学校側(顧問など)の体制の不備など、いろいろと思うところもあります。

 

今回はこのニュースから、「ルール」について考えていきたいと思います。

 

こうした大会運営に限らず、例えば学校、例えば学級でもルール(きまり)ってありますよね。

 

「ルールは守るもの」は当然ですが、「ルールは絶対である」は危険をはらんでいます。このニュースをひもときながら、小学校でのルールの在り方についても少しお話していこうと思います。

 

「強豪校」であることは関係ない

 

まず、大前提として、今回はサッカー強豪校が起こしてしまったことで大きくメディアで取り上げられていますが、その本質を考える時に強豪校ということは一切関係ありません。

 

ルールというものは、誰にでも平等に適用されることが基本です。そうでなければ、一部の権力(発言力)をもった人やチームが優遇されることになってしまいます。

 

よって、今回の出来事は「強豪校だから」といって、許されることではないです。残念ながらというか、「強豪校だから」こうして世間の目を集めてしまったわけですが、それがルールの適用や例外事項と直結しているわけではありません。

 

全国出場を常に目指す強豪校であっても、毎年、県大会を目標に励む学校であっても、今回のように開会式を欠席してしまった場合には同様に失格となるというのが、ルールです。

 

つまり、強豪校だからかわいそうとか、全国に出てるチームだから何とかしてあげたい、というのは議論としては意味がありません。

 

 

ルールは何が目的だったのか

 

大会要項に、

 

「開会式に7人以上の出席がなければ大会を棄権になる」

 

といったことが明記されていたので、今回の当該高校が失格となりました。

 

ここでいくつか疑問があります。

 

・なぜ7人なのか。

・7人とは生徒や顧問を合わせた人数なのか。

・例外事項はなかったのか。

・なぜ出席が義務付けられているのか。

 

11人制サッカーの競技規則に

 

『試合は、11人以下の競技者からなる2つのチームによって行われる。そのうち1人は ゴールキーパーである。いずれかのチームが7人未満の場合、試合は開始も続行もされ ない。』

 

と記されています。

推測ではありますが、7という数字は参加チームとして成立するための人数を表し、7人とはプレーヤー(生徒)のことではないかと考えられます。

 

では、7人ギリギリのチームで、当日に体調が悪く参加できない生徒が1人でもいた場合はどういった措置がとられるのでしょうか。

 

ルールはルールだから、失格?

 

事前に申告があれば、例外的に免責?

 

実際には、開会式から大会開始までは数日あるので、開会式に欠席をした生徒も大会に参加できる可能性は十分あります。どういった対応となるのか興味深いところです。

 

このように考えていくと、大会開会式への参加の義務は、おそらくは開会式も大会参加の一環であるといった教育的意義に加え、大会への参加可否となる人数の確認もあるのかもしれません。

 

しかし、大会への参加人数を確認するという意味では、事前にJFAへの登録と参加メンバーの提出といった事務手続きがあるはずなので、それほど重要視されていないのが現実でしょう。

 

開会式に参加しなければならないというルールが、教育的意義が主だったものだとすると、今回の出来事で通り一辺倒に失格となるには少し疑問が残ります。

 

学校側と運営側でどういった議論が交わされていたのか気になります。

 

 

学校側に非があるのは間違いない

 

ここまで書いた文章を読んでいただいた方には、私の主張が「失格はやりすぎ」と聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません

 

そもそも、当たり前ですが、学校側に一番の非があります。そして、一番、非難の的にされているのは、顧問の方でしょう。しかし、ここでも疑問が残ります。

 

なぜ、他に誰も気づかなかったのか。

 

情報が顧問に集中しすぎていたのか?

そうだとしても、他の誰一人として大会要項に目を通さなかったということは異常です。普通は、少なくとも監督や学校関係者(管理職)に報告がなされているはずです。その程度のリスク分散は当然です。

 

また、選手も全く知らなかったことが不思議です。当然、日程は知っていたはずです(間違った日程)。他の学校の選手との交流、ネットでの情報など、間違いに気づく機会はなかったのでしょうか。それとも、特殊な環境下にでも置かれていたのでしょうか。

 

いずれにせよ、今回、日程を間違えて開会式に参加しなかったことは事実なので、学校側は経緯を詳細に確認して改善をはかる必要があります。

 

 

ルールは誰のためにあるのか

 

ルールは、誰のために作られたのでしょうか。

 

大会をスムーズに進行するためだから、運営側の人のため?

 

違いますよね。

 

たしかに、ルールを厳しくすることで大会運営を円滑にできるというのも一理あります。しかし、大会自体が人間形成や成長といった生徒のためにある以上、ルールの根本も「生徒のため」であるべきです。

 

今回の出来事は、「生徒のため」といった考えに沿ったものなのでしょうか。

 

生徒に全く落ち度がなかったとは言えませんが、一番大きな問題は管理側(顧問)の事務的な落ち度です。

 

スポーツにはルールがあるから、今回の事もしょうがない?

 

開会式への参加義務は、スポーツのルールではなく、大会のルールです。

 

連帯責任?

 

大人の不祥事に、なぜ主役である生徒が責任を取らされなければならないのか。

 

これが、プロだったり、個人でそのスポーツに取り組んでいたりする場合には、失格で何も問題はないでしょう。

 

しかし、生徒はまだ管理される側です。仮に、生徒が自ら開会式への参加を拒否したのなら失格は当然ですが、今回の場合だと、生徒は知らされた情報(日程)に合わせて準備をしていたはずです。

 

今回の失格は、本当に「生徒のため」になったのでしょか。

 

 

「ルールだから」は、思考停止

 

「過去に同様のケースがあったから、今回だけ判断を変えることはできない。」

 

もっともらしい言葉ですね。しかし、「過去のケースがあるから・・・」ということは、これから何が起ころうともルールを変えるつもりはないということでしょうか。

 

大学受験時代に勉強した英語で、今でも頭から離れない文があります。

 

There is no rule but has some exception.

 

「例外なきルールはない」

 

私は、この文を、

 

どんなルールにも例外がある。そのルールが設けられている本質を理解して、改善する姿勢が必要である。

 

と理解しています。

 

何か問題が起こった時に、「ルールだから」 「前例がないから」 という言葉だけで解決してはいけません。何か問題が起こった時に、ルールを適用することが適当であることがほとんどであるからといって、何も考えずに盲目的にルールを適用するのは思考停止していると言わざるをえません。

 

なぜ、そのルールがあるのか。

ルール自体に問題がないのか。

 

そういったことを自分の中で常に自問自答することこそ、ルールを管理する側に必要な事ではないでしょうか。

 

今回の出来事の詳細はわかりませんが、こうしたルールの本質を踏まえた議論がなされていることを願いたいばかりです。

 

 

小学校のルールも見直すべきタイミングがある

 

小学校は、各校で似たようなルール(きまり)がありますが、各校独特のルールもあります。

 

私が勤務していた学校で、「校庭ではボールを蹴ってはいけない」というルールがありました。

 

これは、低学年から高学年まで遊ぶ校庭で、サッカーをしたりボールを蹴ったりすると危険があるということからできたルールです。

 

たしかに、高学年の蹴ったボールが低学年の児童に当たったらと考えると、危険ですよね。それも、パワーはあってもコントロールはできない子どもがほとんどですので、納得のルールです。そう思っていました。

 

しかし、6年生を担任していたある日、クラスの数人から、

 

「ボールを蹴っちゃいけないルールは知っているんですが、リフティングもだめですか?」

 

と言われました。ルール上は、リフティングもボールを蹴る行為だから、ダメと言ってしまえばそれまでです。でも、その子たちはサッカーを習ってない、女の子たちだったのです。正直、なぜ休み時間にリフティングをやりたいのかよくわからなかった私は、こう言いました。

 

「なんでリフティングやりたいの?」

 

すると、彼女たちは、

 

「体育の授業で先生が紹介したリフティングをして、遊びたいと思って」

 

なるほど。確かに私は、サッカーではこんな練習もするよ、と言って授業で紹介していました。それに興味を持っていたのです。

 

「蹴っちゃいけないルールについては、どう思う?」

 

とも聞いてみました。ある子が、

 

「どこに飛んでいくかわからないのにボールを蹴ってサッカーをするのは、1年生とかが危険なのはわかるんですが、リフティングなら、そんなに強く蹴ることもないし、端っこで狭いスペースでできるから安全かなと思いました。」

 

なるほど。確かに、その通りだなと思いました。私は、その場では、すぐにはOKは出せませんでしたが、少し検討することを約束しました。

 

そして、いろいろと動き(省略しますが、けっこう大変でした…)、次のようにルールを改正することに成功しました。

 

ボールを蹴ってはいけない。ただし、体育の授業でサッカーをしている場合、休み時間に担任がいるという条件で一部よしとする。

 

本当は、リフティングはいつでも可能というルールにもっていきたかったのですが、なかなか他の先生の納得を得られず。そこで、体育でサッカーをする時期・担任がいるという厳しめの条件をつけることで、リフティング以外も一部可能ということで了承を得られました。

 

これ以降、特に授業でサッカーをする時期には、校庭で楽しそうにボールを蹴る児童の姿がたくさん見られるようになりました。

 

小学校でも、ルールは基本的に守るものです。

 

しかしながら、ルールが絶対であるとは限りません。

 

私は、彼女たちの申し出から、ルール自体を適宜、見直すことも必要だと思い知らされました。

 

小学校にはそれぞれのルールがありますし、そのルールがもつ意味もあります。しかし、何も考えず、思考停止状態で「ルールだから」では、何も生まれません。

 

「ルールだから」では納得できない、理解できない子どももいます。

 

先生という立場で、ルールを強制することはできます。しかし、あくまで「子どもたちのためにルールがある」という視点を忘れず、そのルールの本質を理解したうえで指導にあたる必要があるでしょう。

 

なぜ、そのルールがあるのか説明できない先生の言葉は、子どもたちにとって何の説得力ももちません。

 

もし、何か感じることがあれば、すぐにルールを確認、見直してみましょう。

 

 

PS

ルールが過剰に多い学校は、問題を抱えていることが多いです。逆に、最低限のルールで成り立っている学校は、落ち着いた良い雰囲気をもっています。ルールで縛ることだけが、学校を良くする方法ではありません。できれば、ルールは増やすのではなく、減らしていけたら最高ですね。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。長くなってすみません^^;

 

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