皆さん、はじめまして。

ここは、「夢・晴耕雨読」というタイトルで筆者が最近読んだ本について思うことを忌憚なく書き綴るというブログです。

本のジャンルは、近・現代文学から最近のライトノベルまであらゆる分野を包括する内容になると思いますが、

正直筆者もどんな本を紹介するかまだ決めていません。

ただし、ネタバレになる可能性が大ですので、その点はご注意ください。

 

記念すべき第一回は三島由紀夫の「金閣寺」という長編小説を取り上げたい。

これには理由があり、先日、NHK-BS の「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」という番組を見て、

久しぶりに三島由紀夫の小説をじっくり腰を据えて読んでみたくなったからである。

この小説は 1950 年に実際に起きた「金閣寺放火事件」を題材にし、その6年後に執筆されている。

 

 

しかし、知れば知るほど三島由紀夫という人物には不思議で理解しがたい気持ちが湧いてくる。

幼いころから文学少年であった三島は東大法学部を卒業後、作家となり、川端康成に見出されて頭角を現す。

三島と川端は、三島の結婚式の媒酌人を川端に依頼するほどの仲となるが、互いにノーベル文学賞受賞を競い、川端が受賞してからは疎遠となる。

代表作「仮面の告白」からも分かるように、三島がゲイであることはよく知られている。

そのせいか、ジム通いの筋トレオタクとしても有名であり、ネット上には三島の裸の写真が多数アップされている。

ノーベル賞を逃してからは、「盾の会」とよばれる軍隊的な組織を作るなど右翼的な活動を活発化させる。

そしてご存知のように、最後には1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて大勢の自衛隊員の前で割腹自殺を遂げている。

 

 

この演説の直後、三島は割腹自殺を遂げる

 

さて、前置きが長くなったが、その三島由紀夫が書いた「金閣寺」である。

 

(あらすじ)

主人公の「私」は、生まれつき極度の吃り(どもり)で、それが原因で内向的となり、青春や恋愛とは無縁の生活を送っていた。

ただ一つ、僧侶であった父親から金閣寺の美について聞かされており、「私」の中で未だ見たことのない金閣寺を究極の美として夢想していた。

「私」の住んでいた叔父の家から二軒隣の家に有為子(ういこ)という官能的で美しい娘がおり、ある日「私」はストーカーまがいに彼女が帰宅するのを外で待っていた。しかし、これに気付いた有為子からひどく罵られたため、「私」は有為子の死を願うようになり、その呪いは数か月の内に成就するのであった。この出来事以来、「私」は女性との間により一層高い壁を感じるようになった。

父の勧めで、金閣寺で小僧生活を送るようになった「私」は、実際に見た金閣寺は想像ほどの美しさを有していないことに気付いた。しかしながら、時は太平洋戦争も終盤に入っており、京都も空襲される可能性があるとの噂を聞くにつれ、金閣寺が近々焼失することを想像した「私」はそこに「儚き美」を感じるのであった。

父が病死し、母は「私」に対し、精進して金閣寺の住職になるよう説教したが、母を軽蔑していた「私」はそれを疎ましく思った。これは、「私」が13歳だったある夜、同じ蚊帳の中で父と「私」も寝ているそばで、母は親戚の男と交わっているのを目撃したからであった。目が覚めた「私」に対し、父は後ろから手で目隠しをしたのであった。

小僧生活で出会った同い年の鶴川は「私」とは対照的に明るい性格の持ち主であり、「私」もそんな性格の鶴川に幾度となく励まされ友として認めていた。戦争末期のある時、「私」と鶴川は衝撃的な場面に出くわす。南禅寺の茶室で美しい女が男に促され、露わになった乳房から出た乳を茶に注ぎ、その茶を男は飲み干すのであった。「私」はその女に有為子を重ねた。

やがて、戦争は終結したが、金閣寺は消失することもなく、悠然とそびえ立つの見た「私」は、有限である「私」と永遠である金閣寺はやはり同類ではなかったことに挫折する。

戦後、「私」は大谷大学へ進学し、そこで柏木という男と出会う。「私」が吃りという障害を抱えているのと同じように、柏木も内反足というハンデを持っていた。しかし、大きく違う点は、柏木はそのハンデを上手く利用して、次から次へと女を振り向かせている点であった。

「私」は友である柏木から女を紹介されたが、抱こうとしたその時、目の前に金閣寺の幻影が現れ失敗に終わるのであった。

そんな折、東京に帰省していた友人の鶴川が事故で死んだという知らせが届いた。鶴川とは大学に入学してから疎遠になっており、「私」の数少ない友が亡くなったことに悲しんだ。しかし、後になってから、ある事実を知り、さらに「私」はショックを受けるのであった。

再び、柏木の計らいにより女を抱く機会を得たが、その女は以前南禅寺の茶室で見たあの女であった。あの時の男は夫であり、死産であった女は自身の乳を夫に与え、男はそのまま戦地に赴き戦死したという話を聞かされた。そしてその美しい女を抱こうとしたその時、やはり眼前に金閣寺が出現したのであった。

ある時、「私」は祇園の町を歩いていた時、「私」の老師が芸妓と一緒にいるのを見かけた。その時は知らぬふりをしたが、運悪く再度出くわしてしまい、老師から「馬鹿者!わしを尾行する気か!」と怒鳴られてしまう。さらに、金閣寺に戻ってからも、老師からは注意も叱責もされず、無視の状態が続き、「私」は苦しむことになる。

老師と一度やり合った方がいいと考えた「私」は芸妓の写真を挟んだ新聞を老師に渡すが、老師は怒るどころかひっそりと「私」の机の引き出しに戻してしまう。その後、老師から「お前をゆくゆくは後継にしようと考えていたこともあったが、今ははっきりそういう気持ちがないことを言うて置く」と断言された。

「私」は大学の成績も落ちていき、ある日柏木から金を借り、舞鶴方面へ旅に出る。旅の中で、頭の中で漠然としていたものがはっきり浮かび上がるのを感じ取った。そして、その想念とはこうであった。「金閣寺を焼かなければならぬ」

破滅的な「私」に気付いた柏木は、ある手紙を見せる。そして、鶴川の死は事故ではなく、自殺であることを知らされる。鶴川は「私」ではなく、柏木に悩みの相談をしていたことに、「私」は嫉妬のようなショックを受ける。

金閣寺を焼くことを決心した「私」は老師からもらった大学の授業料で女を買いに行く。死を覚悟した「私」はそのお金でカルチモン(催眠薬)と小刀も購入する。

金閣寺に火をつけた「私」は堂内で自害しようと試みるが、扉が開かない。死を拒まれたと感じた「私」は裏山の方へ駆けていき、そこで煙草を吸った。そして「生きよう」と思った。

 

(感想)

筆者が叙情的な表現が苦手なこともあるが、上記のあらすじだけでは「金閣寺」は「昭和文学の傑作」と評されることはないであろう。三島由紀夫のすごい所は、上記のような淡々とした事実を壮大な詩のように表現する点であると思う。どのように表現しているのかは、実際に本を手に取って読んでみてください。

疑問点は大きく二つある。一つ目は、なぜ「金閣寺を焼かなければならぬ」と思ったのかという点である。金閣寺という美のせいで、女という美をものにできない葛藤があったのは真実だろう。また、破門同然の宣告を「私」にした老師に対する復讐という可能性もあるのではないか。さらには、「私」が吃りを持った醜い存在であるのに対し、金閣寺は美しすぎるというジェラシーが原因なのかもしれない。しかし、戦争で金閣寺が焼けるのを期待していたことからも分かるように、一番大きい理由は「美というのは永遠であってはならない」という「私」の哲学からきているのではないかと感じた。

二つ目の疑問点は、なぜ「生きよう」と思ったのかということである。自分が生きるのを邪魔ばかりしていた金閣寺がなくなったのだから、これで堂々と生きることができると考えたのかもしれない。実際の金閣寺放火事件では、犯人の小僧はカルチモンを服用して自殺を図っている(死ねなかったが)。なぜ「私」を生かしたのか、三島由紀夫本人は「あれは殺しちゃったほうがよかったんですね。でも、ぼく、人間がこれから生きようとするとき牢屋しかない、というのが、ちょっと狙いだったんです」と語っている。牢屋から第二の人生をスタートさせる「私」がその後どのような人生を歩むのか想像してみなさいということか。

 

文脈の間の抜けている場面を想像して解釈していかないといけない箇所が多々あるので、現代の小説より難解であるように思えるが、筆者にはその作業が楽しく感じられた。しかし、このような作品ばかりだと疲れるので、次回はもう少し力を抜いて読める作品を紹介したいと思う。