胡馬北風

胡馬北風

懐かしの故郷

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水戸黄門といえば、古くは映画、最近ではテレビですっかりおなじみです。

助さん、格さんという二人の家来と諸国漫遊をし、弱さを助け、強さをくじく。その危機に際しオールマイティーである葵の御紋を出して「この方をどなたと心得る。恐れ多くも先のら心うな
中納言水戸光圀公にあらせられるぞ」の名文句が出て、悪人どもが、ハハアーとひれ伏すのが基本的パターンですが、この葵の御紋と只ハアー」が見ている人にカタルシスを感じさせるのが人気のもとでしょう。

さて、徳川光圀が「黄門様」と呼ばれるわけをご存じの方は少ないと思いますが、この「黄門」とは、中納言という官名の別称なのです。

中納言は、朝廷から与えられる官名ですが、朝廷の官制はもともとは唐の律令制にならってつくられたものです。その本場中国で、門下省という役所の次官の役名を「黄門侍郎乙といっていました。中納言は太政官の次官にあたり、その職が黄門竹郎に相当するところから、中納言光岡公を「黄門様」といったのです。


なお、この黄門様は水戸藩の二代藩主ですが、実際の光圀は諸国をまわったということはありません。徳川の封建主義は子フィ人をかってに一人歩きさせるようなシステムにはなっていないのです。
この黄門漫遊の話は、封建制の悪政、重税に苫しむ人民が、黄門様のような救世主の出現を期待して、練りあげていった話なのでしょう。大岡越前守の人情さばきと同じようなものです。

歴史卜の黄門様、徳川光圀はなかなかの名君でした。文武を奨励し、藩士の知行制の整備や検地、領民統治に並々ならぬ政治手腕を発揮しています。

その光圀の功績の中言最も有名なのが、〔大日本史〕編纂という事業でしょう。

光圀は江戸の藩邸に彰考館という学聞所を設けノ栗山潜鋒三宅観瀾らの学者を集めて、{二の仕事にあたりましたが、この彰考館の史官に佐々木助三郎と見られます。


この二人は大日本史編纂の資料集めに各地をよかったということですが、のあたりが黄門漫遊記の元ネタなのでしょう。