冒頭のSNS配信の場面、どこかで見た気がすると思ったら、「樹海村」と同じだ。両方とも、監督が清水崇である。


はっきり言って、何が言いたいのかわからなかった。私の理解力を超えていた。時空を超えて、というやつだ。一種のオカルト映画である。


舞台は富山県。村には忌まわしい過去があった。双子は、不吉なものとして、恐れられ、神の手を離れる7歳になると、双子の一人を神に返した。即ち、ある場所に監禁した。殺したということだ。悲しむ子供の顔を見たくなくて、牛の首の被り物を被せた。貧しい村だけに、食い扶持を減らすという意味もあった。何故か、この村には双子が多かった。


主人公の雨宮奏音(カオンというらしい)は、そうした伝説を知らずに、東京で普通の学生として暮らしていた。ある時、自分に瓜二つの人物をSNSで見つけ、同級生の男子と、自分探しの旅に出る。


これから先はネタバレになるが、推理物でもないので、あまり影響しないだろう。奏音には、実は双子の妹、詩音がいた。詩音は行方不明だ。祖父も双子、祖母の妙子にも双子の姉妹、綾子がいた。なんと双子が多いことか? 双子のうちの一人は、皆、神に返されて、この世にはいないはずだ。


しかし、綾子だけは、監禁された子供達を喰らったか、生きて呪いの元凶となったらしい。多分、そういうことを言いたかったのだろう。村には片方を殺された双子の怨念、殺された双子の怨念が渦巻いている。


エクストラではなく、エンドクレジット付きで、数えきれない双子が総出演するのは、かなり珍しい。


一人でいるのは可哀想だから、成仏させてあげる。蝶のことを指しているが、意味慎重だ。何回も出て来る。


詩音や奏音の周りで、人が不可解な死をとげる。綾子の呪いか?


双子に関する村の言い伝えは、題材として興味を惹くし、双子の怨念も共感するが、全体的に混沌としたまま、映画は終わった。