東野圭吾の「危険なビーナス」が文庫本になり本屋に並んでいた。正直言うと、本の表紙の男女を見て「奥様は、取り扱い注意」と勘違いした。


それは、すぐわかったが、このところ、東野の作品が、背伸びしているというか、普段着でないというか、違和感を感じ続けていた。「ラプラスの魔女」なんて、典型だ。

科学的な題材に取り組むので、工学部出身なだけに、見栄を張ってしまうのかもしれない。


「危険なビーナス」も、脳科学や数学に足を踏み入れている。おかしいところは多々あるが、小説としては、よそ行きでなく、安心する場所に帰ってきた感じがして、楽しめた。


まず、主人公といってよいかわからないが、中心人物、手島伯朗が、獣医さんという設定が良い。話の進行の合間に獣医の診察模様が入るのは、なかなか良い。ムソルグスキーの「展覧会の絵」で、曲(それぞれの絵を表す)の間にプロムナード(歩いて移動)が挿入されるのに似る。

伯朗は人一倍動物思いで、単純で優しい性格だ。で、女性に惚れっぽい。父親は画家で一清と言う。母は禎子。


伯朗の名前も、偉大なパブロ•ピカソのパブロと画伯から来ている。頓知がある。


父一清が、脳腫瘍で亡くなり、暫くして母が再婚してから、伯朗の運命は大きく変わることになる。


母が再婚した相手は、矢神康治、矢神総合病院の副院長、専門は脳神経科。康治は、院長、康之介の長男。矢神家の系図は複雑極まる。


康之介には、前妻の間に、

長男:康治、伯朗の母禎子と結婚し、明人が生まれた。

長女:波恵

後妻の間に、

次女:祥子(結婚して、支倉祥子、夫:隆司、娘:百合華)

次男:牧雄

さらに、愛人:佐代と、その子供:勇磨(二人とも康之介の養子にしている)


この複雑な人間関係にもってきて、今深刻な事態が訪れている。

康治が危篤状態になり、遺産相続の話が沸き起こる。伯朗の義理の弟、明人の妻と名乗る楓が伯朗の前に現れ、明人が行方不明だと告げる。


矢神家とは縁を切っていた伯朗だったが、露出度の高いタイトで派手な服装の上に美人ときて、伯朗は一遍で舞い上がり、楓の頼みを断れず、矢神家の遺産相続話に関わることになる。


楓の登場も東野作品の常套で、東野の理想の女性像ではないかと勘繰ってしまう。


康治の妻であった禎子の実子ということで、伯朗は禎子の遺品に関わることになるのだ。禎子は伯朗が大学生の時、母の実家の風呂場で亡くなっていた。事故死として処理されたが、当時明人は他殺を疑っていた。この辺から推理小説らしくなる。


なぜ、禎子は、医師•矢神康治と知り合ったか? 一清の脳腫瘍の治療と関係がなかったのか?その治療とはどんなものだったか?


そこからとんでもない発見があり、その研究を進めるうちに、康治は苦しむことになる。禎子の死はその研究と関係があった。明人の監禁も、これらと関係があった。


ネタバレになるので、書かないが、きめ細かな背景の上に立てられた推理は1級品と言ってよいと思う。


話の中で重要なキーワード、「サバン症候群」というのが出てくる。この症状の患者はカレンダー計算(ある特定の日の曜日を当てる)、因数分解など、コンピュータでしか出来ない作業が即時にできるという。ウラムの螺旋は素数を螺旋状にプロットしたもので、サバン症候群に関係はなくはない。しかし、結果の図を見ただけではリーマン予想を証明できるとは、思えない。また、フラクタル(どこまで拡大しても相似)図形は素数と関係がない。書いてるうちに、辻褄があわなくなったか? 


おかしなところはあるにせよ、小説としては自信をもってお勧めできる。