NHK大河ドラマ、渋沢栄一が主人公の青天を衝けが話題になってるね
『幕末物は視聴率が悪い』
って言われてるみたいだけど、今回はまぁまぁ良いっぽいよ
青天を衝けは渋沢栄一が主人公だけど、巷で話題なってるってか、おいら的にも徳川慶喜(草彅剛)にグッと来てる
まぁ草彅剛の演技力と、昔からよく見ていた徳川慶喜の写真と草彅剛の雰囲気が合ってたからだと思う
15代将軍 徳川慶喜
テレビっ子のおいらが以前録画した番組を夜な夜な漁ってたら、2015年の水曜日のダウンタウンを見つけた
『徳川慶喜を生で見た事がある人
まだギリこの世にいる説』
100歳以上の方にインタビューすると、すごく貴重な話も聞けちゃう
おいらが1番驚いたのは、みなさん昔の事をすごく良く覚えている事
ダグラス・マッカーサーが厚木基地に降り立ち、
102歳の島野春江さんは、
「どんな事されるかなんて思うじゃないですか…それが1番怖ろしい」
102歳の武藤芳子さん
「ちょうど(マッカーサーが)通りがかったからこっちで旗を振ったの」
「車なんか無い 馬車、馬車」
さらに、
100年前にはいたある人達
それは…
そう
ちょんまげの人
101歳中村百合子さん
「村に1人ぐらいいましたよ
ちょんまげの人が」
105歳の関しなさんは、
「ちょんまげが不思議でしょうがない子供心にね
『何でああいう髪してんだろ』
聞くこともできないのね
ただ心に納めておいただけ」
102歳齊藤眞人さんにスタッフが、
「ちょんまげの人って見たことあります」
って言ったら、
「えっ何まげ」
って言ってて笑ったけど
「明治の人でちょんまげの人いたよ」
でも、この世代で1番強烈だった出来事って…やっぱり
102歳飯田小はんさん、
「(手すりに)掴まって表にいたらね、この家がね、こういう風に揺れた、こういう風に揺れたの
今でも覚えてる
怖かったに〜」
戦争の話を聞くこともできた
100歳を超えた方しか知り得ない貴重な情報たくさん聞けたね
あれちょと待って
何の話だっけ…
あ、浜ちゃんがなんか言ってる
「全然会えてないやん」
あ、そうだった
まっちゃんも、
「忘れてた」
慶喜を生で見た人が全然見つからないので、徳川慶喜研究の第一人者の、
齊藤洋一氏に聞きに行ったよ
齊藤氏は慶喜の孫に会ったことあるんだって
でもその方は20年前(2015年当時)亡くなってしまった
齊藤氏が慶喜のその後のヒントをくれた
「明治以降という事からお話を致しますと、
30年間 静岡にお住まいになって
明治30年からは 東京に出てらっしゃるんですね
巣鴨駅前の所にお屋敷を建てて住んで、その後は文京区の春日2丁目の所に亡くなるまでお住まいになっていたと」
と、言う訳で静岡と東京23区に絞って聞き込み
知り合いが慶喜に会ったとか、祖父が慶喜の屋敷に着物を納めていたっていう人はいるんだけどなぁ…
それでもスタッフが頑張って調査を続けると…
いたっ😀
105歳飯島のぶさん
「会ったって、会って(話す)っていうんじゃなくて、通るのを見て」
「(日本橋)高島屋と白木屋の間ぐらい」
「あの通りですよ」
「行列がお通りになるっていう時は、通るのを こっちはもう、ただの見物人で」
ナレーション
『記憶は確かなようだが…
当時慶喜は日本橋を歩いていたのだろうか』
って、まぁ番組的にはきちんと確認しなきゃだね
また齊藤氏の所へ…
インタビュー映像見てもらったよ
「良く撮れたこれは感動的ですよ」
齊藤氏によると、
「明治44年に架かった日本橋の文字の揮毫(きごう)を慶喜さんはしてるんですね」
「筆で文字を書くことです」
「日本橋っていう字が、漢字とひらがなであるんですけどね」
「あれを書かれたのは慶喜さん」
「元々なんらかのゆかりはあるわけですね」
日本橋は慶喜とゆかりの深い土地で、資料によると、明治45年に慶喜が出向いたってゆー記録もあるらしい
齊藤氏は、
「説を裏付ける、ちょっと堅い言い方ですけど、間接的な証拠は出て来た 間違いなく出て来たと」
やったね
と言う事で…
そしてなんと
この回が『ギャラクシー賞』取ったらしい
おいらが今回の大河ドラマ青天を衝けでグッと来てるのは、薩摩藩の人々の鹿児島弁
だって店員さんが話す鹿児島弁を思い出すからね
とか言って、
博多華丸の西郷隆盛どう思う
まぁちょっと西郷隆盛に似てる
あ、全然関係ないけど、おいらテレビっ子だけど店員さんはテレビ全然見ないらしい…対照的なのね
まぁおいらの家も、父(79歳)は岡村隆史氏の大ファンでバラエティー番組は見るけど、🐳ミンク氏 🐋もぽんもテレビ見ない
おいらが1番テレビっ子だな
これからの青天を衝け楽しみだね