秋葉原が焼失したら | センチメンタル☆スピカ♪

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これまで終戦の日に記事を書くことはありませんでした。駄文ですが少しだけ言いたいことを言わせてもらいます。



何から書いたら良いのでしょうか。



私は戦争は反対です。愛国心とそれとは別物だとも思っています。



例えば国外で日本企業に他国民による被害があったとしても暴力に対して暴力で対抗することに解決策を見いだせません。



言葉の暴力然りです。



何より戦争とは愛する人や自分、そして愛する自然や愛する街並が消えていくことを意味することにはならないでしょうか。



例えば2ちゃんにいるような人たちに問いたいです。秋葉原の街が焼失してしまったら、嬉しいですか。悲しいですか。それともなんとも思いませんか?



お子さんがいる方ならもっとわかりやすいかと思います。自分の愛する子どもが殺されてもなんとも思いませんか。もしくは徴兵されたとしたら。



志願兵がいなければ徴兵制になるのは間違いないでしょう。その時、戦争に行くのは政治家ではなくて私たち国民。つまり隣にいるお兄さんやお姉さんだということです。



戦争をするということは大義名分はどうあれ殺人です。



人は残虐になろうとすればいくらでも残虐になれます。でも、その代償は決して小さくはないはずです。自分の殺した人たちに対して将来に渡っても何も感じないということはないはずなのです。



そして卑近なところで、東日本大震災と同じ恐怖と喪失感を愛国心という名のもとに味わうことになりたいですか?



文化と経済、人材の喪失だけではありません。この日本が戦地となった日のことを考えてみてください。



あなたの愛するものを失ってまで「愛国心」って必要なものなのでしょうか。



私はそうは思いません。私の考える愛国心ともまったく意味するところが違います。



人を傷つけること。自分を含めた愛するものを失うかもしれないこと。



それは人として本当に正しい形なのでしょうか。終戦の日にもう一度考えてみるべき課題だと思います。



今、日本が間違った方向に進んでいるように思えてなりません。







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