19年前の今日。YouTubeより。

この時ジャイアンツの原辰徳は34歳となっていた。

彼がデビューしたのは、ジャイアンツファンが長嶋に続いて王を失った翌年である。

以来ジャイアンツファンは願い続けていた。

彼が「覚醒」するときを・・・その名前だけで投手がビビるぐらいの迫力を・・・

原辰徳は81年にジャイアンツに入団以来、打率2割8分、打点90、本塁打30本程度を安定的に続けており、いわゆる四番の実績としては十分な数字を残してきた「はず」であった。

ところがそこはジャイアンツなのだ。
なんだかどこかモノタリナイのだ。

一振りで劣勢を振り払う
打席に立つだけで相手が震える

そんなことはないばかりではなく、ピンチであっても打席が「原」となると各チームの投手たちはむしろここぞ!と厳しいコースを投げ込んでくる始末だった。

この頃チームとしてのジャイアンツは、もはや「盟主」どころか、ナメラレまくっていた。

その悲しむべき理由として、ファンは思った。
・・・それは「四番」がナメラレてるからだ。


でも、こうも思った。
・・・彼がトシを取りさえすれば
・・・山本浩二(注)みたいに覚醒するんじゃないか


この夜対戦していたスワローズこそ、広島カープに続いてジャイアンツをまったく恐れなくなったチームの筆頭だった。

あの夜は死球が連発する荒れた試合だった。
この打席でも一球、内角に厳しい球が投じられ、のけぞり倒れてかわしている。

ジャイアンツ・ファンのボルテージは最高潮に達していた。

なめんなよヤクルト!!
イトー、テメー、フザケンナヨ!!

そして願った。「ハラ、たのむ。打ってくれ」

・・・原辰徳が、その闘志をフィールドで表現してみせた初のシーンがこれ、である。
そしてこれが最後、でもあった。


あの夜僕はフジテレビのプロ野球ニュース(懐かしい・・・)でこの事実を知り、この日12時からの結婚式と披露宴、それに続く表参道での二次会を終えたばかりの妻を傍らに置いて、はばかることなく号泣した。

ああこれでハラも男になった(かも)。真の「四番」になった(かも)。
これでジャイアンツはまた強くなる(かも)。。。

その後の顛末はここでは言うまい。

ただまちがいないことは、ジャイアンツファンがあの夜、原辰徳の手から神宮の夜空に放たれたバットに、長嶋・王を失って10数年来、失っていた夢を見たのだ。

その誇りを改めて確認できた数少ない瞬間となったのであった。

実はその夜のうちに原辰徳自身が「(バットを放り投げたことは)四番として恥ずかしいことをした」とコメントしたことを後日しばらくあとに知った。

結局のところ彼は何も分かっていなかったのだ。

ここに記すまでもなくその後ジャイアンツは長い低迷期に入っていく。

ジャイアンツファンがその誇りを取り戻すには、あの「松井秀喜」の登場を待たねばならなかった。

そしてその彼も今は、いない。

(注:山本浩二=広島の初優勝から黄金時代を牽引した偉大なる四番打者。彼は30代となって覚醒した、といっていい。ちなみに現在のプロ野球で一般的となっている、選手ごとの応援歌は意外にも広島ファンが彼の打席で始めたものが元祖である。それはトランペットのあと横一列の傘をいっせいに開け、そこに書かれた「カットバセ、コージ」にあわせてスタンド一丸となってコールするシンプルなものだった。広島ファンはこのほかにも交互にジャンプする応援を編み出したり、と、これまた意外にもオリジナリティ溢れる一面を有しており、いつまでも侮りがたい存在である。)