あれは1994年だった。

僕はまだ社会人になって4年目。蓄えはないが、体力とオンボロ車があった。


あの日GWの喧騒を離れて静かにすごす事に決めた僕は、渋滞を避けて車を走らせ、たまたま「長野県松本市」にたどり着いた。

そう、あのとき松本の町は地元の「羽田孜」首相誕生に沸いていた。


清く高い空の下で孤高にそびえる美しい松本城の黒壁をぼんやり眺めた。

城の周辺に張り巡らされた細かい水路を伝って市内を徘徊した。

鹿教湯、浅間などその周辺に点在する小さな温泉群をハシゴして歩いた。

美ヶ原、霧が峰など、梅雨入り前の爽やかな高原の空気を堪能した。


思いのほかさびしい夜の松本市内は想定どおり(苦笑)

夜の町に飽きて深夜、部屋の中の面積の9割をベッドが占める安宿。小さなブラウン管のテレビ。

買い込んだビールを片手にフジテレビ系列のF1「サンマリノGP」を楽しみにしていた。

そこまでは計算どおり、だったのだ。


生中継の様子がにわかにおかしくなる。

何が起きたんだ?・・・いや、何かが起きたのだ。


「タンブレロ」

上り坂、やや左にカーブしていく最高速でクリアすべきコーナー


映像は、若手・売出し中で、のちに「皇帝」となるミハエル・シューマッハーの車載映像が何度も流される。

その映像の中で、前を行くアイルトン・セナの駆るウィリアムズFW16は、何のためらいもなく真っ直ぐに、コースを右にそれていった。

そのあとは、ただ混乱していたことしか記憶にない。

解説の今宮純が、ピットレポーターの川井一仁が泣いていた。


ボロボロになったFW16に、あのセナのヘルメットが写る。

それが一瞬、動いた。

アナウンサーも今宮純も、その一瞬を見逃さなかった。

確かに動いたのだ。


ただ、それは、僕らの期待とは全く異なるものだったと後で知ることとなった。

あのときすでに、アイルトン・セナは、神に召されていたのだから。



ビール星人2号のブログ

アイルトン・セナは僕のヒーローだった。

1960年3月21日ブラジル・サンパウロ生まれ。


F1は「F1サーカス」といわれるように今や世界を転戦する世界最高のカーレースである。

それは「グランプリ」と呼ばれ、その国で一年に一回しか開催が認められない権威を与えられている。

レース好きのイタリア人は、正しく「イタリアGP」を開催するほか、同国内の小国「サンマリノ」の冠を使って、実質的には毎年2回のF1GPを開催しているが、いまも一国一レースは守られている。

サンマリノ、とはそういうレースであった。


そもそもF1はヨーロッパだけで行われていたもので、言い換えれば「ヨーロッパ社会」そのものだ。

あの頃は「ニッポンのホンダ」がまだ「ホンダ」だった、最後の頃だ。
1960年代からF1に挑戦してきたホンダが「F1サーカス」の中で常に「異邦人」として扱われたことは明確だ。

度重なるレギュレーションの変更は、完全にホンダの戦闘力を削ぐために毎年のように行われ続けていた。

F1は、ヨーロッパ人のためにあるのだ。ホンダもまたそれに抵抗することなく、挑戦し続けて、クリアし続けていった。

最後には勝利をつかんだ。
ブラジル人であるセナは、そういったヨーロッパ社会から見ればまるで日本人と同じたった。

1987年からこの前年にあたる1993年までの7年間を、セナはホンダとともに戦い、1988年、1990年、1991年の3度、ワールドチャンピオンに輝いていた。

世界一に向かって挑む。
レギュレーション、というルールの下で、正々堂々と戦う。

レースに際して妥協を許さない姿勢は、セナとホンダに共通しており、それゆえにセナは日本人から絶大な支持を集めることとなった。

日本人にとって、セナは、まるで日本人以上に親密なドライバーだった。

「レース」はサーキットウィークだけではない。
ドライバーはその「シート」を得ている期間、膨大な仕事が課されている。
日々の肉体的鍛錬はもとより、マシンのセッティング、テスト、技術陣とのブリーフィングなど、いまもセナと同等以上に取り組んだドライバーは、僕はミハエル・シューマッハーしか知らない。

さらには、「シート」そのものを得るための営業的、政治的なアクションも求められる。
蛇足だが、過去の日本人で、乞われてシートを得たドライバーは、ただ一人、小林 可夢偉だけだと思われる。

それほどに「グランプリ・ドライバー」とは一握りの選手たちの名誉をかけた戦いなのだ。

ヨーロッパの逆風に耐え、同時代の名ドライバー、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケなどに打ち勝って、セナは、ヨーロッパのジャーナリストが選ぶベストドライバー100選のトップに評価されている。

17年前のあの日、5月1日。

ニッポンにおけるF1への挑戦は終わったのだった。

いまもセナは、故郷ブラジルのモルンビー墓地に眠っている。

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墓碑銘は「NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS(神の愛より我を分かつものなし)」。

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今夜は、偉大なドライバーであり、僕の人生に最も影響を与えた人物でもあるアイルトン・セナを偲んで乾杯しよう。

その10年後、2004年

勤め続けた会社を辞めていまの仕事をスタートさせたのも、この日「5月1日」となったことは、僕にとっては偶然ではないように思えるのだ。