今朝は早起きしてメジャーリーグ・ポストシーズン「地区シリーズ」ツインズvsヤンキースを観た。

この日のツインズの敗戦によってこのゲームがメトロドームで行われる最後のゲームとなった。

この球場をモデルに「東京ドーム」は建設された。いわゆるエア・ドーム型式だ。イニングの合間の映像でみたメトロドームの屋根、スタンドの作り。まるで東京ドームのよう。
って、東京ドームが真似したんだから、逆なんですけど(苦笑)

東京ドームもあと何年、持つのだろう・・・時の経過をこんなところで感じます。

さて、では「多事争論」の時間です(えっ?)はい、いきなり週末企画としてやらせていただこうか、と(笑)
で、ですね。秋も深まり、日米の野球と日本サッカーのシーズン終盤を迎えて、いろいろなことを思うわけです。
早く結果が見たい気もしますし、この「祭り」がいつまでも続いてほしいような・・・

で、最近、ワタシはどうしてスポーツに惹かれてるのか、と考えることがあります。
そのあたりからヒモ解かせてください。

理由のひとつ。まず、スポーツは人生の縮図でしょう。。。

つらい出来事をスポーツにたとえることが多々あります。「いまのはオフサイドだ!」とか。(あ、意味わかんないですよね・・)

人の情熱や気持ちが、分かりやすく表現されている世界。
頑張れば報われるとは限らない。いろんなレベルの夢がある。
いや、夢なんてものすらなく、ただ惰性だったり、単に仕事として取り組まれてたり。

でも、そんな中でただひとつ現実の社会と異なるのは「勝つこと」に価値があること。
そして「勝つこと」が(ルールや判定はさておき、意味として)分かりやすいこと。

「勝つこと」だけは、その価値として問答無用で認められている。
ちなみにワタシは「勝つことに価値がある」といっただけで「勝つことが全て」とは言ってません。

意味のある、次につながる敗戦は、明日への希望でもあるから。
それに一切負けないチームやクラブなんて実際には存在しない。
そのこともスポーツがこの社会とよく似ていると思えるところです。

喜んでいるプレイヤー、苦しんでいるプレイヤーをみると、ここにもひとりオレと似たようなヤツがいるなぁと思える。もはや自分にとっての心の支えのひとつになっているのです。


次に、スポーツの行われる環境は、町やそこにある人間社会そのものである。。。
クラブやチームは、その背景には「本拠地」がある。すでに町と一体化しているクラブがある。また、そうしようと努力してるクラブもある。
日本の某プロ野球チームのように本拠地はスタジアムばかりではなく「テレビの中にある」といえるようなこともある。
いずれにせよ、それぞれ皆さんが実際に立ち合ったゲームは、プレイヤー、観客・サポーター、スタジアム、天候、季節、そのスタジアムがある町・・・と全てが総合されて記憶される。
まるで自分自身に起きた出来事のように。
「神宮球場で、原辰徳はホームランを打ち、夜空にバットを放り投げた。あの日、何してたか?」
「ワールドカップ、オーストラリア戦、ケネディにやられた、あの日、どこにいたか?」
「この左サイドで、スカッと抜かれるんだよなぁ、マルコンは・・・」

人生は家族であり、仕事であり、遊びである。
ならばそのことを全く別世界でごく短期間に、そして数多く、ドラマとして見せてくれ、学ばせてくれるのはスポーツだと思う。
だからこそスポーツにカネが払われ、スポーツを極めようとする者は尊敬されるのだ。
ただ単にボールを蹴る、ボールを投げて打って走れる、これがウマイだけのことではないのだ。

そこにもうひとつの人生や夢がある。それはずっと自分自身の中にあり続けるし、さらには何世代にも受け継がれて続いてく
だから、自分が好きになるクラブやチームには、そんな自分が色濃く反映されているに違いない。

等々力スタジアムや川崎フロンターレなんて、まさに足りないものだらけ・・・タイトルも取ったことがない。


それでも、こんなに美しく、しっかりと存在してる。


今年のリーグ戦は、あと6節。ナビスコは決勝戦のみ。天皇杯、これからこれから(笑)


僕はこのクラブとともに・・・僕は、僕が嫌いではないな、とやっと思えた。
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