澁澤龍彦 著、『幻想の肖像』を読みました。
河出文庫です。








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今回の本のお供は、エリーちゃんズです。
女性の美にまつわる本ですから、我が家の美女に着飾って登場してもらいました。

澁澤龍彦の本には、お人形さんがよく似合いますね。
玩具がよく似合います。








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『透徹した独特の審美眼によって、シュールレアリスムの作品をはじめとする幻想絵画について詩情あふれるエッセイを発表してきた著者が、愛好するヨーロッパの36の名画をとりあげながら、描かれた女性像をめぐり、そのイメージにこめられた女性の美やエロス、また魔的なるものなどについて、博識に裏打ちされた鋭利な印象批評をくりひろげる、魅力あふれる芸術エッセイ集。』
(カバー裏解説より)

昭和45年1月から47年12月まで「婦人公論」で澁澤龍彦が連載した、絵画についてのエッセイです。
著者が、自由に好きな絵を選び、その絵について好きな角度から好きなように言及した連載だったそうです。






本書『幻想の肖像』の文庫版では、36の名画を(一部カラーを除き)白黒で掲載し、それぞれの絵に対し4ページほどの著者の短いエッセイが載っています。

美術批評ではなくエッセイですから、そんなに堅苦しいものでもなく。
自由に文学や精神分析や伝奇伝説から話を引っ張ってきて、いろんな方面からその絵の魅力を語っています。

著者の澁澤龍彦はカバー裏の解説通り、独特の審美眼と素晴らしい博識の持ち主でした。
その著者の選択した36の絵画は、ゴシック時代から近代まで、幅広い年代のものです。
時空を超えて、著者のお眼鏡に叶う、面白い絵が集められております。

中にはボッティチェリやベラスケスなどの誰でも知っている巨匠の絵も混ざっていますが、大半は美術愛好家ではない一般人にとっては少しマイナーな画家達です。
でも、どの絵もとても魅力的な絵ですよ。
それぞれの絵の見どころを著者のエッセイで説明してもらいながら鑑賞するのは、とても楽しい時間となるでしょう。

ネット検索で本書に取り上げられた絵画をカラーで見ながら、ゆっくり時間をかけて読んでいくことをオススメいたします。










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この本は再読になります。
以前に読んだのは高校生の頃、もう20年以上前のお話になります。
私、高校生の頃に澁澤龍彦にどっぷりハマっていました。


きっかけは『真・女神転生デビルサマナー』というゲームです。
当時セガサターン用ソフトとして発売されたこのゲームが、とても面白くて。


登場人物の葛葉キョウジという探偵がかっこよかったんですよ。ビジュアル的に。

で、ゲーム好きな方なら知っていると思いますが、女神転生のシリーズには悪魔やら神様やらが、敵キャラとして沢山出てきます。
そしてゲームの攻略本には、その敵キャラの美麗なイラストが説明付きで図鑑のように載っておりまして、それがとても面白かったんです。
世界には色んな神様や悪魔がいるもんなんだなぁと、感心しながら攻略本を眺めていると、その敵キャラ図鑑のコーナーの最後に小さな文字で、澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』という本が推薦されておりました。

本屋さんで河出文庫のコーナーを見てみると背表紙の上の方が赤い澁澤龍彦の文庫本が、たくさん売られていました。
早速『黒魔術の手帖』を買って、読んで…ハマってしまいました。
澁澤龍彦のエッセイでは学校や教科書では教えてもらえないような面白い人物や絵や妖しいお話がたくさん紹介されていて当時の私には大変刺激的な内容でしたので。
その後、私は次から次へと文庫を買って読み漁ったのでした。
すっかり澁澤ワールドに取り込まれてしまったのです。

ただ、当時は澁澤のエッセイを読んでいても、自分の知らないものや人物が引用されて出てくると、もうお手上げでした。
ネットもありませんでしたし、当時ただの女子高生だった私には調べようがなかったのです。
有名どころの人物に関することなら図書館や本屋さんで情報を集めることができましたけれど、あの頃はちょっとマイナーな中世やルネサンスの情報なんてのは扱っている本のタイトルを知ることすら難しかったのです。
…しかもタイトルがわかったところで、今度はその本を手に入れるのがこれまた難しい。
今みたいにAmazonなんてありませんから、絶版になってしまった本は古書店を探し歩くしか見つける術がありませんでした。
その上私の住んでいた場所は田舎ですから、そんなマイナーな本を取り扱っている古書店なんてありませんでした。


そんなわけで、よくわからない人物名やら芸術作品の名前やらが出てきたら、私は文章から想像を逞しくして、澁澤龍彦が紹介してるんだからきっとこれはなんだかすごいものなんだろうなぁー…と、ぽけーっと考えて、そこは飛ばして先を読んでいました。





とまあ、そんな読み方で本書『幻想の肖像』もあの頃は読んだわけです。
引用されている聞いたこともない画家の名前は読みとばし、エッセイに添えられた白黒の図版ではわからない色彩を勝手に想像し、美術史の専門用語はちんぷんかんぷんのままに見なかったことにし、いつかはもっとちゃんとこのエッセイの内容を理解できるほどに私は知識を蓄えることができるかもしれない、と未来に希望を託して読み終えました。




しかし、今回は違います。

私にはスマホという強い味方がついているのです!
人類はインターネットを手に入れたのです!
世界中の情報を調べ放題です!
取り上げられた絵は全部検索してカラーで見ることができます!
聞いたことない画家はWikipediaに全部載っています!


本当にいい時代になりましたねー。
情報化社会ばんざーい!
この恵まれた環境をしっかり享受して、余すところなく利用し、楽しい読書体験を手に入れましょう!

本当、この手の本を読むにはいい時代になりましたね。










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さて。
以下は本書に取り上げられた絵画の目録です。

本書には、このような絵画が取り上げられて、白黒ですが絵の図版がつき、澁澤龍彦のエッセイが書かれています。










以下の画像は、上段左から右へ、下段左から右へ、この順に見ると後に連ねた作品名画家名と対応するようになっております。
また、画像は収まりきりませんかから、絵画の全体像ではなく部分です。

画家名、作品名および画家の生没年は本書の記述に従いました。
画家名の前に配置した『☆』マークは、それぞれの画家のWikipediaのページへのリンクになっています。

作家名と作品名の間に書いてある地名などは、主にその画家の活躍した場所や時期なんかのメモです。












ピエロ・ディ・コジモ(1462〜1521)
イタリア/フィレンツェ/盛期ルネサンス/
『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』

ペトルス・クリストゥス(1420〜1472/73)
オランダ/ブルッヘ/初期フランドル派/
『若い女の肖像』

ヴィットーレ・カルパッチオ(1472〜1523?)
イタリア/ヴェネツィア/ルネサンス期ヴェネツィア派/
『二人の娼婦』

パルミジャニーノ(1503〜1540)
イタリア/ローマ/マニエリスム初期/
『アンテアの肖像』

コスメ・トゥーラ(1430〜1495)
イタリア/フェラーラ/ルネサンス期フェラーラ派/
『奏楽天使に囲まれた聖母子』

カルロ・クリヴェルリ(1430/35〜1495)
イタリア/ヴェネツィア /ルネサンス初期/
『マグダラのマリア』












アルブレヒト・デューラー (1471〜1528)
ドイツ/ニュルンベルク/ドイツルネサンス期/
『ヴェネツィアの少女』

ルーカス・クラナッハ (1472〜1553)
ドイツ/ヴィッテンベルク/ドイツルネサンス期/
『ユディット』

ヤコポ・カルッチ・ポントルモ(1494〜1557)
イタリア/フィレンツェ/マニエリスム期/
『婦人像』

ジョヴァンニ・ベルリーニ (1430〜1516)
イタリア/ヴェネツィア/ルネサンス期ヴェネツィア派/
『アレゴリー』

シモーネ・マルティーニ(1284〜1344)
イタリア/シエナ/ゴシック期シエナ派/
『受胎告知』

ピエトロ・カヴァルリーニ(1250〜1316)
イタリア/ローマ/中世イタリアモザイク作家/
『大天使』












ハンス・バルドゥンク・グリーン(1476〜1545)
ドイツ/ニュルンベルク/ドイツルネサンス期/
『三美神』

セバスティアン・ストッスコップフ(1597〜1657)
フランス/ストラスブール/
『五感あるいは夏』

サンドロ・ボッティチェルリ(1445〜1510)
イタリア/フィレンツェ/ルネサンス期/
『春(プリマヴェーラ)』

グリュネワルト(1455〜1528)
ドイツ/ドイツルネサンス期/
『死せる恋人』

ヒエロニムス・ボッス(1450?〜1516?)
ネーデルラント/ルネサンス期初期フランドル派/
『快楽の園』

ハンス・メムリンク(1430?〜1494)
フランドル/ブルッヘ/初期フランドル派/
『虚栄』













ディエゴ・ベラスケス(1599〜1660)
スペイン/マドリード/バロック期/
『鏡の前のヴェヌス』

グイド・.レーニ(1575〜1642)
イタリア/ボローニャ/バロック期ボローニャ派/
『スザンナと老人たち』

ルカ・シニョレルニ(1441〜1523)
イタリア/フィレンツェ/ルネサンス期/
『地獄堕ち』

ドッソ・ドッシ (1480?〜1542)
イタリア/フェラーラ/ルネサンス期フェラーラ派/
『魔女キルケー』

ヤコポ・ツッキ(1541?〜1590)
イタリア/フィレンツェ/マニエリスム期/
『珊瑚採り』

フランシスコ・ゴヤ(1746〜1828)
スペイン/マドリード/
『魔女の夜宴』













グスタフ・クリムト(1862〜1918)
オーストラリア/ウィーン/
『女友達』

レオノール・フィニー(1908〜1996)
イタリア/フランス/
『泉を守る女』

マックス・エルンスト(1891〜1976)
ドイツ/フランス/ダダイズム/シュルレアリスム/
『花嫁の衣装』

アントワヌ・ヴィールツ(1806〜1865)
ベルギー/ベルギー象徴派/
『美しきロジーヌ』

バーン・ジョーンズ(1833〜1898)
イギリス/ラファエル前派/
『黄金の階段』

フェリックス・ラビッス(1905〜1982)
フランス/シュルレアリスム/
『シャルロット・コルデー』













ロメロ・デ・トレス(1880〜1932)
スペイン/
『火の番をする女』

ジェイムス・アンソール(1860〜1949)
ベルギー/
『奇妙な仮面』

ハインリヒ・フュスリ(1741〜1825)
イギリス/
『キューレボルンがウンディーネを漁師のところへ連れてくる』

オディロン・ルドン(1840〜1916)
フランス/
『一つ眼巨人』

サルバドール・ダリ(1904〜1989)
スペイン/シュルレアリスム/
『みずからの純潔性に姦淫された若い処女』

アングル(1780〜1867)
フランス/新古典主義/
『トルコ風呂』









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高校生当時の私に、このたくさんの絵の中で好きなものはどれかと尋ねたならば。


このルカス・クラーナハの絵や、













ボッティチェリのプリマヴェーラを挙げたでしょう。


ボッティチェリは、描く人物のメランコリックな表情が好きで、元々のお気に入りのルネサンス画家です。

クラーナハは、澁澤龍彦の著作で知って、装飾品をまとい残した裸婦画が大好きになりました。







さらに高校生の私は成長して、その後、他にもヒエロニムス・ボッスとか、デューラーも好きになりました。
ダリにルドンにマックス・エルンストも好きになりました。












そして、今回の再読で私がとても気に入ってしまったのは、



このコズメ・トゥーラの絵です。
全体は華やかな感じですけど、人物を個々に見てください。
とても美しいとは言えないような描かれ方をしています。
人体の比率がなんかおかしなことになっていて、手足が短く頭が大きく、奇妙なプロポーションをしています。

そして、人々の顔も。
とてもじゃないけど穏やかだとか安らぎだとか、そんな言葉が浮かんでくるようなものではなく。
抑圧による緊張感を感じさせるような、神経症的な、鑑賞者の心にさざなみを立てるような、そんな表情をしています。












この絵のマリアの顔のアップが、白黒ですが、本書に掲載されております。
よく表情が見えるので、ご覧ください。





著者はコズメ・トゥーラを、

『この画家の描く人間のゆがんだ顔や、口をあけ、歯をむき出し、しかめ面した苦しげな表情を見ていると、あの中世のゴシック的精神、苦悩や死の愛好ということを考えずにはいられないのだ。この十五世紀末の画家は、たしかにルネサンス期に属する芸術家ではあるが、まだ人間の中世的解釈を抜け出てはいないように見えるのだ。』

このように、表現しています。















これはコズメ・トゥーラの代表作の一つ、ピエタです。

この絵は本書には取り上げられておりませんが、コズメ・トゥーラの本領発揮!な絵だと思うので、ここに引用してみました。

眉間にしわを寄せた、悲しんでいるというよりも、なんだか面倒臭がって機嫌を悪くしているような表情のマリアは、慈愛に満ちた聖母とは程遠い印象です。
まるで大きな赤ん坊のような奇妙な体型のキリストもダダっ子のような表情を浮かべたまま死んでいて、マリアからもキリストからも神聖な感じはあまり受けません。
後ろの丘は、これはゴルゴタの丘ですね。
あの三本の棒は磔の十字架でしょう、罪人が磔にされてます。
人間というよりも、モズのハヤニエのカエルみたいです。


『シュルレアリスムのいわゆる「痙攣的な美」とは、いささか意味が違うけれども、私はひそかに、この画家を痙攣的な美を表現した芸術家だと思っている』

と著者はエッセイ中に書いておりますが。
このピエタのキリストからは、たしかに痙攣的な美を感じますね。
キリストの足の指なんか、抑圧と衝動の狭間でピクピクしてるみたいに見えますよ。











単に見目麗しく美しい絵とは違いますけれど。
コズメ・トゥーラの痙攣的な美には、私、今回本書を読んでいてノックアウトされてしまいました。

高校生の頃なら、絶対にこの絵を好んだりしなかったと思います。
もっと綺麗な絵を選んだでしょう。

そう考えると、私も成長して審美眼にも幅が出てきたようです。














それから、今回の再読で気に入った画家がもう一人いました。



ポントルモです。

『たしかに彼女は眼をあけているにはちがいないが、この眼は、おそらく何も見ていない眼であろう。焦点がまったく定まっていないのだ。ぼんやり物思いにふけっているのか、それとも何か精神的なショックのあまり、考える力を失ってしまったのか。それともノイローゼ患者か。』

本当にぽけーっとした顔をした女の人です。
なんか、見ていると抱いている犬まで、ぽけーっとした顔をしているような気がしてきます。

なんの意志も感じさせない、力のない眼です。
虚ろな感じがします。
人間の型をもっていますが、なんだか、ただのマネキンのようです。


















この絵も、本書には取り上げられておりませんが、ポントルモの作品です。
『十字架降架』、フィレンツェのサンタ・フェリチタ聖堂に描かれている絵だそうです。

たくさんの登場人物がおりますが。
みんなあちこち好き勝手な方向を見て、ぽけーっとしています。
後ろの方の人物なんて、どういうことになっているのかわかりませんけど、まるで空に浮いているようですし。
全体の淡いパステルカラーも助長して、なんだか頼りないような地に足のつかない、ぽけーっとした絵になってます。

ドラマチックな場面のはずなんですけどね。
貼り付けのキリストが降ろされた場面なんですから。
漫画だったら見開きになるようなシーンですよ。

なのに、ポントルモの筆になると、なんか、しまりのない、ぽけーっとした、ふわふわした、雰囲気です。
緊迫感がありません。

登場人物は皆、
「何が起こってるかわからないけどなんかすごいことが起きたらしい、おやおやまあまあ、困ったなぁ、どーしたもんかなー、そういえば今日の夕飯は何を食べようかなー、明日は晴れるかなー…」
こんなことしか考えてなさそうに、私には見えます。
ぽけーっとしたアホの子が集まって、リーダーもいないのでどうしていいかわからず、みんなでおろおろと右往左往しているように見えちゃいます。



このなんとも言えない、虚ろな人物の浮遊感がたまらなく気に入りました。
美しいのに、地に足がつかない不安な感じが凄くいいです。




この画家もまた、私が高校生の頃なら絶対に気に入らない画家だったと思います。
私は意志を感じさせる、つよくはっきりした輝くような眼が好きでしたから。
このポントルモの描くような表情は、むしろ大嫌いだったはずです。

でも、歳をとると、視野が広がり余裕がでてきますね。
かつて嫌いだったものの魅力も、今では理解できるようになりましたよ。













と、そんなわけで。

本書を以前に読んだ高校生の時と、今の自分との感性の違いをたくさん発見できて、それがとても面白かったです。

あ、しかも、今気づきましたけど。
コズメ・トゥーラとポントルモは、緊張と弛緩をそれぞれ絵の中に持っていますね。
両極端なものを選んだものです、私も。
いや、両極端だからこそ、セットで惹かれたのかもしれませんね。
きっと私は今、そういう気分なんでしょう。
















あ、ところで。



ピエロ・ディ・コシモの『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』です。
当時フィレンツェ一の美女と呼ばれた女性の肖像画です。

この絵は本書の表紙に採用されている絵なんですが。

この絵が角川文庫のアポリネールの『一万一千本の鞭』の表紙の絵だとすぐに気づいた方はいらっしゃいますか?
全体が緑一色で印刷され、ネックレスにからむ蛇だけが赤く色付けられておりました。


妙に退廃的でエロティックな表紙で、中身にぴったりのデザインでしたね。

そんなことを、私は思い出しましたよ。






































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『幻想の肖像』にも取り上げられているマックス・エルンストの描いた小説の読書感想文です↓


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プログラミングはずっと勉強したいと思いつつ、まだ手をつけていません。

数論の問題とか、コンピュータ使って解いてみたいんですけどねー。
なかなか本気で始めようという気にはなりませんねー。