森毅 著、『魔術から数学へ』を読みました。
講談社学術文庫です。







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今回の本のお供は、エリーちゃんズ。
2人に仲良く紹介してもらいました。

しかし、似合わないなぁ。
数学とエリーちゃんズ。



『ここに三つのリンゴがあります。エリーちゃんからもう一つリンゴをもらったら、リンゴは全部で幾つになるかしら?』

『答えはゼロよ!だって、私達仲良しだもの。エリーちゃんのものは私のもの、私のものは私のもの。リンゴは全て私のものよ?だから私のリンゴは四つになって、エリーちゃんのリンゴはゼロになるのよ!』

『まあ、エリーちゃんったら!正解よ!リンゴは全部私が1人で食べちゃうからゼロよ!エリーちゃんのものは私のもの、私のものは私のものですもの。誰にもあげないで独り占めよ!』

『私達、可愛いだけじゃなくて、お利口さんね?』

『うふふふふ♪』


(2人ともエリーちゃんって名前だからややこしいな。
うまく区別つけて読んでください、ちょっとした脳トレになるかも?)



まあ、エリーちゃんズのオツムなんて、こんなものでしょうね。






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この本の著者は森毅(もりつよし)、数学者です。
何年か前にすでに亡くなられてしまいましたが、京都大学の名誉教授なんてやってらっしゃった、偉い先生です。

ゴリゴリの数学書ももちろん書いてらっしゃいますが。
数学や科学に関する一般向けのエッセイもたくさん書かれていて、それがすごく面白いんです。

筑摩書房が『ちくま文学の森』というちょっと面白いアンソロジーのシリーズを出しているんですが、その編者もやっておられます。
数学者でありながら、文学、哲学にすごく造詣の深い方です。
…私のぶっちゃけた意見を述べさせてもらうと、下手な文学哲学の専門家より、ずっとずっと深く根本的な部分でそういうものを理解してらっしゃったんじゃないかと、思います。

まあ、天才です。




が、そんなお偉い先生の書いたものだからといって、本書『魔術から数学へ』を読むのに肩肘を貼る必要はありません。
本文は軽妙な関西弁の語り口で綴られています。なんだかまるでその辺のおっちゃんが喋っているみたいです。
数式もほとんど出てきませんし…まあほんのちょっとは出てきますけど…数学や物理がわからない人は、そこを飛ばして読んでオッケーだと思います。


理系の人には、数学とはそもそもどんな人間の思考体系を背景として生まれてきたものなのか、ということを。
文系の人には、数式で表される論理で構成された世界はそもそも人が考えたものであり、哲学や文学ともそう遠い世界の話でもない、ということを。
教えてくれる一冊です。





さて、本書、タイトルは『魔術から数学へ』ですが。
一体どういう内容なのかと申しますと…これは巻末の村上陽一郎による解説から引用してしまいます。

『この本は数学の本ではない。数学史の本でさえない、……(中略)……何か、と問われれば、科学思想の歴史の本だ、と答えるのが、最も適当だろう。それも、歴史全般に亘るのではなく、西欧の中世後半から近代の成立まで、という時代に焦点を合わせてある。』


なんで『魔術』と『数学』が繋がるのだか、わからない人も多いかと思うのですが。
私たちが学校で習う教科書の数学って、しっかり学校教育用に体系づけられたものです。
物理や化学や生物も、ですね。
そこには胡散臭さが微塵も感じられません。
正しい科学と非科学的な魔術は、正反対のものって印象があるのではないでしょうか。

でも、科学のもとは錬金術の中にありました。
錬金術と言えば、魔術師たちの世界のものです。

どうにもこうにも、現代に生きる私達の考える科学者像は、真理の追求者だとか、迷妄をはらす正義の戦士だとか、なんだかそんなような裏の無い清廉潔白な良い子ちゃんなイメージが強いと思うのです。

でも、もともと、数学は哲学や神学の中に混ざっていたものであり、哲学や神学は魔術や錬金術と混ざったものだったのです。
今に著作が伝わる偉大な哲学者たちも、現代の私達から見ると胡散臭い研究をみなさんこぞってやってらっしゃいます。
それを迷信と一言に片付けるのは、あまりに近代以降の考えに支配され見通しのきかなくなった、狭すぎる見方です。





本書では、まず現代の私達の『数量によって目盛られている』世界が普遍のものではないことを、身近な感覚を例にとって説明してくれます。

本書は一章から八章まで、章分けされているんですけれど。
『数量によって目盛られている』世界は近現代のものであり、古代や中世を生きた人達の世界の見方とは違っているのだ、ということを教えてくれる、この第一章だけでも、読む価値があります。
土地を跨ぐカルチャーショックだけではなく、時を跨ぐカルチャーショックを与えてくれますよ。

自分がどれほど、今自分がその中に生きている『文化』に毒された目でもって世界を見ているか。
その見方を唯一のものと信じ込んでしまっているか。
ハッとさせられます。


第一章で、頭をガツンと叩いて読者を目覚めさせてから。
ルネサンスの時代、宗教戦争の時代、絶対王政の時代…と、中世から近代へかけて、その時代を代表する数学者たちを通して、時代時代の(数学に関連させた)世界の見方を説明してくれます。

現代人の目から見た古い時代…というよりも。
その時代の人が見たその時代の人にとっての今、を書いてくれている感じです。

取り上げられる数学者は、カルダノ、ケプラー、ガリレイ、コペルニクス、デカルト、パスカル、ニュートン、ライプニッツ、…etcといったところでしょうか。
あ、フェルマーやオイラーもちょろっと出てきたような気がするな。



この数学者達の描かれ方がいいんですよ。
すごく生き生きとしていて、教科書で読むような説明文とは全く違います。
なんていうか「デカルトさん、こんにちはー!」なんて声をかけれるような気になるくらいに、ああこの歴史上の人物は確かにかつて生きて飯をくらい空気を吸って道を歩いていたんだ、人間だったんだと、思わせてくれます。

けしてただの良い子ちゃんな描かれ方はしていません。
むしろ人間臭く矮小で、胡散臭く、小狡く、間抜けで…そして素晴らしい数学的発明をした人物!
そんな風に、強烈に魅力的に描かれています。


だから、読んでいて、すごく面白いんです、この本。
それほど分厚くない本ですし、一気読み、してしまいます。







この本は、章タイトルを読むだけでもけっこうワクワクしちゃう人、いらっしゃると思うので。
ちょっと並べてみますね。

1 数量の支配する世界
2 魔術師たちのルネッサンス
3 数量的世界像の成立
4 宗教戦争の硝煙のもとで
5 座標と整式と変数と
6 文化は地下(アンダーグラウンド)から
7 世界の数学原理
8 最後の錬金術師たち

どうでしょう?面白そうでしょう?







ところで私は、本書に収められた、ほんのちょっとの数学的なお話も、面白かったです。
本全体の概要にはあまり深く関わりませんけれど。

対数の考え方…理解するのにちょっと考えなくてはいけませんでしたけど、面白かったです。
暗算で常用対数のだいたいの値を計算する方法を書いてくれてます。

それから、運動エネルギーと仕事…これ、私の感覚では運動方程式を積分して出してくるもの、って感じだったんです。
つまり運動方程式ありきで、できたものだという感覚です。
でも、どーも、違うらしいですね。
結果として運動方程式と運動エネルギーと仕事と、微分積分で関係されますけど。どうやら微積分が整うより前に、保存の法則が発見されていたらしいです。
こういうの、教科書で習った順番に体系的に法則は発見されたと思い込んでしまってる、現代人の思い込みの例ですね。








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この本は、数年前に一度読んで、今回再読です。

前回読んだ時も、面白くて一気読みしましたが。
今回も、やっぱり一気読みしてしまいました(…内容を忘れていたからってのもありますが)。


さて、今回この本を読んでいてあんまり面白くて。
「きっとこれは、我が背の君が読んでも面白いに違いない、読んでもらいたい!」
と。
思い余って、私、恋人にプレゼントしてしまいました。


…まあ、そのくらい、面白い本だということです。
自分の最も愛しい人に読んでもらいたいと、思うほどに。

すいません、惚気です。








ヨーロッパ中世が好きな人、哲学史が好きな人、数学が好きな人、みなさんにおすすめします。
それから、理系進学を目指す高校生なんかへのプレゼントにも良いと思いますよ。良い刺激を与えてくれると思います。












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こちらの記事もどうぞ、生物の本です↓

























☆トミちゃんのダイエット奮闘記☆

今朝の体重は、

x+2.6kg

でした。




早くこの『トミちゃんのダイエット奮闘記』コーナーの最終回を迎えられるように…つまり、目標体重xkgに到達できるように!
頑張りまーす!

いいかげん、長引いてきちゃいましたからね、このコーナー。
しかも変わりばえがなくて面白みが無い…

近々「無事にxkgになりましたー!」のハッピーエンドに持って行きたいところであります!!!!