古今亭志ん生 著、『なめくじ艦隊』を読みました。
ちくま文庫です。
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今回の本のお供は、私が作ったクロッシェの金魚ピアスです。
編み物本の編み図を使って作りました。
夏らしくて、なかなか可愛いと思います。
これからのシーズン、せっかく作ったんだから、たくさん使ってみようと思っています。
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私、落語が好きです。
と言いましても、残念ながら寄席には一度も足を運んだことがありませんし、現代の噺家さんのことはよく知りませんのですが。
CDや、最近はYouTubeにアップされている、噺家さんの落語をよく聞きます。
この本の著者の古今亭志ん生、それから、立川談志、桂米朝あたりをよく聞いております。
私、実は寝るのがとても下手くそで。
子供の頃から、寝つきがすごく悪いんです。
一度眠りに落ちると、ぐっすり眠れるんですけれども。
なかなか、寝付くことができません。
ベッドに入ってから、何時間も寝付けないでいることもしばしばで。
そんな時は、音楽を聴いたり朗読を聴いたり。
そして、落語を聞いたりして時間をやり過ごしています。
落語は、聞いているとホッとしますね。
話芸には、人をリラックスさせる力があると思います。
次の日は忙しいから寝なくてはいけないのに、なのに、なかなか寝付けなくてピリピリしている時。
落語を聞いていると、だんだんと尖った神経が和らいできて、いつしか眠りにつけることも、よくあります。
何度も聞いたお噺が、心を安らがせてくれます。
お約束の場所で、お約束の笑いに誘われて。
噺家の気持ちいい喋りに、つい心を持っていかれてしまいます。
気がついたら「寝なくちゃ」ばかりで埋め尽くされていた自分の頭の中は、すっかり江戸の世界に遊んでいたりしますよ。
古典落語、大好きです。
さて、本書の著者、古今亭志ん生は私の一番好きな噺家です。
『1890年、東京神田に生まれる。本名美濃部孝蔵。1939年、5代目志ん生を襲名。落語協会会長をつとめ、紫綬褒章、勲四等瑞宝章受賞。1973年没。放蕩無頼の暮らしから養った鋭い美意識、洒脱・軽妙な独特の語り口で昭和落語を代表する。著書に『びんぼう自慢』など多数。レコード・カセットも多い。』
(カバー、そでより)
志ん生が亡くなったのは、私が生まれる前です。
自分の生まれる前に活躍した名人の芸を聞くことができるというのも、素敵なことですね。
録音技術、バンザイです。
5代目古今亭志ん生、そのエピソードを聞くと、とても変わった面白い人だったようです。
上に引用したカバーそでの著者略歴どおりの人だったようで。
酒に酔って高座に上がり、支離滅裂なことを喋ったり、居眠りしたり。
それでも客はそれで怒ったりせず、志ん生だからしょうがないと、逆に大ウケしてしまうような。
そんな噺家さんだったみたいですね。
志ん生のお噺の録音を聞いていても、なんだか、その人柄が伝わってきます。
何やらかしても、ああこの人だったら仕方ないと納得させられてしまうような。
なんとも言えない可愛げがあります。
本書のタイトルの『なめくじ艦隊』、面白い題でしょう?
志ん生は本所の業平町(東京都墨田区)の貧乏長屋に住んでいたことがありました。
その長屋は池か沼を埋め立てた上にバラック長屋を建てたもので、いつもジメジメと湿っていて、雨が降ると地面が低いために水が溜まって大洪水。
長屋の中にはナメクジが、
『日本海軍がはなやかだったかつての大艦隊のように、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦と、大型小型のいりまじった、なめくじ連合艦隊が、夜となく昼となく、四方八方からいさましく攻めよせてくる』
ような様子だったそうです。
その様子を徳川夢声が「なめくじ艦隊」という題で雑誌に何か書いたものを、志ん生が気に入って、この本の題名にしたそうです。
志ん生は、昭和の大名人、すごい話芸を持った噺家さんですし。
勲章ももらってますし、落語協会会長も務めていますし、素晴らしい肩書きの持ち主ですから。
さぞや若い頃からお金もたんまり持っていたのかしらん?なんて、現代に生きる私達は、何も知らずに思ってしまったりしそうですが。
当時は、噺家さんていうのは、貧乏なのが定番だったみたいですね。
よく考えて見れば、現代みたいにテレビ放送も無かった時代ですし。
噺家さんの芸は寄席や地方興行でしか見ることができなかったわけですから。志ん生の若い頃には、そんなこともあったわけでしょう。
今の華やかな噺家さんたちとは、またちょっと違った世界があったんですねぇ。
『あたしはこの世の中へ、貧乏するために生まれてきたようなもんで、若い時分から、貧乏てえものとは切ってもきれねえ深い仲で、さんざ貧乏してきたんです』
『あたしはちょうど、うちにおったなめくじみたいに、切られようが突かれようがケロンとして、ものに動ぜず、人にたよらず、ヌラリクラリと、この世のなかの荒波をくぐりぬけて、やっとこさ今日まで生きてきたんですよ。』
『人間てえものは、ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ、ほんとうの喜びも、おもしろさも、人のなさけもわかるもんじゃねえと思うんですよ。』
本書冒頭に『まくら』の題でまえがきがありますが。
ここで志ん生はこんな風に述べています。
そして、その通り、この本は古今亭志ん生の半生を仲良く一緒に暮らした、貧乏との蜜月の日々を描いたものです。
テキストは、完全に話し言葉です。
著者は志ん生となっていますが。
志ん生は著者というよりも、話者ですね。
志ん生が喋ったものを、別の人がテキストにおこしたものです。
江戸から文明開化の頃、志ん生のおじいさん、お父さんのお話がちょこっとあって。
それから、今を生きる我々には想像もつかない、志ん生の子供時代のお話が始まります。
すごいですね、この人。
13、4の頃から、酒を飲んで博打を打ってるんですよ。
それが通っちゃう世の中だったっていうのも、気楽なもんで面白いですけど。
そんな幼いともいえる時分から、スレた大人たちに混ざって遊びまわっていたから。
志ん生は、普通の仕事は身につかず、噺家さんになることになったようです。
私は。
こうやって、日々を何事も無く過ごしていて。
世の中ってのは、こういうものだと、なんとなく把握して、それを常識として、謂わば信仰として生きておりますが。
世の中っていうものは、実はかなり変化するものなのですね。
自分の祖父母の時代、両親の時代。
今とはまた随分と違ったことが常識の世の中だったってことを、また改めて考えさせられました。
志ん生の自伝は、貧乏話ばかりが続きますが。
この本は明るいですね。
しみったれたようなけち臭い書き方ではありません。
どれだけ生活に窮していても、語り口は明るく、粋です。
まるで落語の登場人物たちみたいに。
いいですね、こういうの。
私、ジメジメした暗い話って嫌いなのです。
弱々しく、何かに頼るような生き方よりも、力強く今日の日を積み重ねていくような生き方の方に惹かれます。
不安だ、不安だ、なんて未来を嘆くより。
目の前の酒を飲んじゃって、笑ってその場を過ごした方がよっぽど楽しい人生を送れるような気がします。
本書、後半は志ん生の満州生活が書かれています。
戦時中、慰問のため、志ん生は満州に行くのですが。
そこで、敗戦を迎えるわけです。
それが、また、とんでもない悲惨な生活だったようでして。
私なら耐えられそうにもありません。
今の日本の世の中なら、人間の尊厳の問題なんていうとんでもない問題になりそうな生活ですよ。
戦争。
すごい時代を生き抜いてきたんですね。
私たちの祖父母、曽祖父母たちは。
なんて、たくましい。
しかし、この悲惨な満州での生活も。
志ん生は暗いような感じには書いていません。
あっけらかんとしていて、とても力強いです。
ただ。
生きるか死ぬかのギリギリの生活の中で、人の情けを受けたこと。
これは熱い語り口で書いてあります。
そして、この人が「情けは人の為ならず」なんてチラッと書いてあると、ふむふむと納得する気持ちになります。
本書は、志ん生の半生を通して。
昭和の時代の落語の世界の歴史を知ることもできますし。
粋っていうのが、どういうことなのか。
その語り全体が示してくれもします。
今では当たり前の落語の出囃子なんかも、実は江戸落語には無くて、上方落語から入ってきたものだ…なんていう、落語の豆知識も書かれていて、興味深いです。
志ん生の落語観が書かれてある部分もありますが。
そこで、落語界の未来を
『このまま、"まアいいわ"でやってゆくと、落語なんぞ、人がきいてくれないような時節がこないとも限りませんよ。』
『ただあたしが考えるのは、なにかしらもっと世間がおちついてくると、そういったごく古いものを噛みしめて味わってくれる人がまたふえるんじゃないか。』
なんて書いてあるのは、さすがにお見事、鋭いですね。
地方で生まれ育ち、江戸なんてさっぱり知らない私が、まさにその通り、古いものを噛みしめて大喜びで古典落語を聞いているんですもの。
読みやすく、面白く、いい自伝です。
落語を聞くのが好きな方は、ぜひ。
本書を読んでいると、テキストが脳内で、志ん生の声や喋り方で再生されますよ。
面白いお話を聞くようにして、堅苦しくならずに、読むことができます。
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せっかくですから、YouTubeの古今亭志ん生の動画を一つ貼り付けておきますね。
眠れぬ夜には、皆様もぜひ、リラックスして聞いてみてください。
面白いですよ。
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