福永信 著、『一一一一一』を読みました。
河出書房新社のハードカバーです。





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お写真一緒に写っているクマちゃんの生首は、私が作ったぬいぐるみマカロンポーチです。

テディベアを作った時に、余ったファー生地を使ってついでに作りました。
なかなか可愛くできたと思います。

本当は姪っ子1号にプレゼントしようと思っていたのですが。
いかにも壊されそうなので、やめました(笑)

彼女がもう少し大きくなったら、あげようかな?
あ、でも、その頃にはきっと、姪っ子2号もこういうものを欲しがるお年頃になっているはず。
喧嘩したりしないように、もう一個、作っておくかなー…








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福永信の本、これで3冊目です。
今回もまた、大変面白い…というか、おかしいw作品でした。


またまた、とってもアヴァンギャルドに攻めてきてます。
今回の小説は、これほとんど全て一対一の会話でなりたっています。

会話と言っても、話しているのはほぼ一方だけで。
もう片方は「そうですね」「ええ」「おっしゃるとおり」「確かに」等々、相槌を打つのみです。

私がグダグダと説明するよりも、少し引用した方がわかりやすいと思うので。
冒頭です。





ーーーそこの旅のお方。
「なんでしょうか」
ーーー二ノ足を踏んでいるね、どう見ても、完全に。
「ええ」
ーーー目の前で、道が二つに分かれているのを見て、途方に暮れているのではないか。
「そうですね」
ーーーつまり分岐点で立ち止まっているということになる、いま、ここで。
「じつは、そうなのです」






全編がこのような形で綴られております。

いわゆる地の文…は、ほとんどありません。
確か、二箇所ほど見つけたんですけど…それもたいした意味のない文で。

ベラベラと喋り続ける、(多分)おっさんのとりとめのない語りが、続きます。



本書、一応これ、短編集なのかな?
いや、これは章分けされてる、のかな?

『一二』
『一二三』
『一』
『一』
『一』
『二一』

これが、この本の章だか短編だかのタイトルになります。
(あ、ちなみに『一』というタイトルがかぶってますけど、各タイトルページにて、その『一』という文字の印刷されている場所が違ってたりして、一応これらの『一』は別のタイトルってことになり…ます?…かな?…いや、よくわからないや。)


それぞれの章あるいは短編は、相槌を打っている人物が共通するものもあれば、違うものもあり。

前の章あるいは短編にておっさんの語りに出てきた登場人物が、相槌を打つ人物として再登場したり、逆に相槌を打っていた人物がおっさんの語りにまた出てきたりします。

あ、しかもこのおっさん自体も、同じおっさんなのか、違うおっさんなのか、微妙なところです。

その上、先に語られた人と同一人物ぽいけど、なんかちょっと違うような気がする…みたいな曖昧な人が出てきたり。
似たような状況を作ってシンクロさせてきたり、読者を微妙な混乱に陥れつつも、まぁその混乱もストーリー上どうでもいいような混乱で。

なんとも言い難い、不思議な世界を形作っています。
おっさんの語りが。




各章あるいは短編には、一応、ストーリーめいたものもあることは、ありますよ。
一編一編の最後は、それなりに落とし所にちゃんと落としてくれます。

でも、これ、あらすじはとてもじゃないけれど、書けません。
てか、あらすじ、あるのかな?この本みたいな小説の場合。
…例えば(全然違う作風の本ですけど)バロウズの『裸のランチ』のあらすじが書けないのと同じくらい、この小説のあらすじも、書けませんです、私には。




ええと、これまで私が読んだ福永信の本、『アクロバット前夜』と『コップとコッペパンとペン』では、ありえない状況で登場人物たちがありえない反応をし、その行動によってストーリーがありえない方向に転がっていく…ような感じでした。

今作は、一対一の会話で綴られますから。
おっさんの語るありえない状況におけるありえない反応をする人物…の話を聞きつつ、さらに、おっさんと相槌を打つ人物が作り出すありえない状況を会話から読者が推察する…ような形になります。

ありえなさの二重構造です。
前作よりも、ずっとありえなさが複雑化しています。


それに、一対一の会話形式で書かれた小説ですから。
地の文が無いことを利用して、ちょっとした叙述トリック的なこともできてしまうのですよね。
これ、バラしちゃったら、もしもこれから読む人がいたらつまらないでしょうから、黙っておきますけれど。









何が言いたいのかよくわからないけれど、とにかくおかしくて仕方がない。
不思議な世界に導かれて、その世界で迷わされてしまう。

そんな、本です。









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さて、ところで、私、福永信の本、3冊読んできまして。

今のところ、人にすすめるならば…この本ですね。
読みやすいし、面白いし。

ただ、やはり、現代美術みたいな小説ですから。
人を選ぶところもあるかなぁと思います。

ポストモダン文学とかと同じで、好きな人は好きだけど。
そうでない人には、ナンダコレハ?的な…
いや、下手すりゃ、ケシカラン!クダラン!的な…
感情を呼び起こさせちゃうのではなかろうかと。






私は、本を読む時、まぁ大抵は何読んでも面白いんですけどねぇ。

…つくづく、自分は特な人間だと思います。




















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