松浦寿輝 著、『花腐(くた)し』を読みました。再読です。
講談社のハードカバーです。
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本の上にのっけたストラップは私の手作りです。
プラ板とレジンで作りました。
モデルにしたのは、うちの犬4号くんです。
犬4号君の絵は、お写真を極細マッキーでトレースして、プラ板を焼いて縮めてから、アクリル絵の具でチマチマと彩色しました。
「寅」は、犬4号くんのお名前です。
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松浦寿輝は、私は小説よりも先に、現代詩の方で知りました。
漫画家の岡崎京子が、私は好きなんですけれど。
岡崎京子の『リバーズ・エッジ』に引用されていた、ウィリアム・ギブソンの詩があまりに素敵で…
その後、岡崎京子が松浦寿輝の現代詩の一篇から漫画を描こうとしていたと、どこかで読んで、「これは松浦寿輝の詩も読まずにはおられまい!」とて、詩集を取り寄せた。
これが、私と詩人松浦寿輝との出会いです。
その後に小説も書いていたことを知って、やはり取り寄せて読みました。
先に松浦寿輝の詩を知った上での、つまりは詩人の書いた小説だという先入観を持った上での、読書となったわけです。
今回は、再読です。
このハードカバー、表題作『花腐し』と『ひたひたと』と、二篇の小説を載せております。
せっかくですから、別々に感想を書いてみましょうかねぇ。
二篇ともに、傑作です。
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『ひたひたと』
東京は江東区にあった遊郭(赤線なんて呼ばれていたものですね)、深川運河に取り囲まれた洲崎パラダイスの跡地が舞台です。
運河がひたひたと流れていく様に、この一編では、主人公の人称がひたひたと流れていきます。
「わたしは」で始まって、「榎田は」「子どもは」と流れていき、また「わたしは」に帰ってくる。
そして最後には「わたしは」もなくなり、『かぎりなく大きな闇のなかに音もなく溶けこんでいった』。
主人公は洲崎パラダイスの痕跡を取材しているカメラマンです。
遊郭の雰囲気を残す場所を探して、ぶらぶらと洲崎を彷徨ううち、気がつけば彼は頼りない迷子の子どもになっていたり、遊郭の女と激しい恋をしている若い男になっていたり…
不思議な小説です。
人称の流れは、主人公の流れそのものです。
主人公は彼の生きてきた時代、時代…periodを移り変わりながら、流れていきます。
中年男から子どもへ、若いころへ。
行ったり来たりしながら、運河と共に、洲崎を放浪しつづける。
運河が海へと流れ着くように、主人公は最後は闇の中へと流れていく。
流れ。
主人公が偶々入った飲み屋で店主に話したことが印象的でした。
『時間っていうのはね、ことごとくその場にとどまっているんです。残留してる。人間の記憶なんていうものはね、その場に現にあるもののことなの。思い出じゃないんだ。イメージでもない。実際に、現実に、今ここにあるもの。それが記憶。』
『全部、今ここにある。子どもの頃の俺も、女のことで生きるの死ぬのって言ってた若い頃の俺も、こういうくだらねえ仕事で場末を歩き回っている俺も、全部いちどきに今ここにいる。』
人生は過去から未来へ、時間と共に順繰りに、真っ直ぐと川のように流れていくものではないのかもしれませんね。
全て今ここにあって、時間なんてものは関係ない。
流れるのは、時間ではなく、自分なんでしょう。
今の自分の中で、様々なperiodの自分が、運河のように入り組んでどちらへともなく流れていく。
ひたひたと…かぎりなく大きな闇の中へ。
そういうものなのでしょうね。きっと。
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『花腐し』
今度は、舞台は2000年を過ぎた頃の新宿歌舞伎町ですね。
そう、歌舞伎町が真顔で不夜城なんて呼ばれていたころの。
本文中に、バブルがはじけて10年…なんて記述がありましたから、多分、その頃でしょう。
あの頃の新宿は、私にとって懐かしい時代の懐かしい街です。
進学のため上京して、数年。
東京の生活にもすっかり馴染んで、冒険を始めた頃の自分が、愛していた街。
伊勢丹やら高島屋やらバーニーズやら、お上品でお洒落なデパートでお買い物をして…でも、ちょっと足をのばせば、新大久保のコリアンタウンもありますし、ゲイタウン新宿2丁目もあります。
綺麗なおねぇちゃんたちがいっぱいいる歓楽街、不夜城、歌舞伎町にだって、ほんの数分でたどり着いちゃいます。
新宿って、本当に面白い場所です。
都庁までありますしね。
私は学生時代、歌舞伎町で水商売のアルバイトをしたりしていましたから、新宿歌舞伎町はとても馴染み深い場所です。
きらびやかで、胡散臭くて、欲望がどろどろしていて、お金が妙な流れ方をしていて、変な人達がたくさんいて、事件もたくさん起こって…関わり方を間違えるととても危ない場所。
でも、だからこそ、なんとも抗い難い魅力に溢れた場所。
大好きでした。
都会はあっという間に変わってしまうので、私が大好きだったあの新宿の雰囲気も、やはりあっという間に違うものに変わってしまいましたけれど。
思い出すとたまらなく懐かしい魅惑の街です、2000年くらいの新宿。
自分に馴染みの深い場所が舞台になっていると、ますます面白く感じられますよね、映画や小説や…何に関しても。
しかも、その場所に感じた雰囲気が、作品中で見事に再現されていたとなると…もう、うひゃー!なんて、心が踊ってしまいます。
この『花腐し』の歌舞伎町、見事に2000年頃の歌舞伎町を覆っていた雰囲気を再現しています。
少なくとも、当時その街の中で遊んでいた私にとっては。
主人公は、共同経営者に裏切られ、なんとか頑張ってみたものの、もうこりゃダメだわ…とついに諦めがついたばかりの40代の男性です。
若い頃に愛していた女性を事故(もしかしたら自殺)で失ったきり、仕事に打ち込んでいるうち、未婚のまま現在にいたります。
これから全てを失い、またゼロからやり直しだ…なんて考えている自暴自棄気味な主人公は、債権者の一人から、手心を加えてやるからと、ある頼まれごとを受けます。
ボロアパートにいつまでも居残っている男を、どうにか追い出してくれと。
さて、主人公がその男を訪ね、出会ってみると…
アパートに居残っていた男は、室内で幻覚キノコ(当時は合法)を育てていて、それをネットでさばいている変人です。
そして、バブルで莫大な借金を背負った男。
この男が、いいんですよねぇ。
人生に対して、社会に対して、すさまじくシニカル。
『これですよ。この新宿。天をつく高層ビルあり、ホームレスのダンボール小屋あり、ごちゃごちゃした地下街あり、官庁あり、キャバレーあり、床屋もあり花屋もあり蕎麦屋もあり、その他もろもろが集まって、無数のお化けが寄り集まって途方もない巨大なお化けみたいなものになってるわけじゃない。電車の線路は高架と地下で蜘蛛の巣みたいに入り組んでさあ、地上は自動車がぶんぶん走りまわってさあ、ときどき轢き殺されるやつ、辛うじてかわしていきのびるやつ……。でも、元はと言えばただの蛋白質の分子の塊から始まったんだぜ。俺らの精液の一しずくだぜ。塵が寄り集まって出来たものは、遅かれ早かれどうせまたばらけて塵に帰ってゆくだろう』
…現実の世界でも、こういうシニカルな人っていますけど。
でも、突っ込んでみると、結局は人間ですから…弱さが見えます。
でも、これは小説ですから。
この男には現実の人間が捨てきれない弱さがない。
本物のお化けです。
ボロアパートにとりついた、新宿という街がバブルの日本が生み出した、お化け。
そして、このお化けは、もう自分には何にも残っていないと思っている主人公に言うのです。
『あんたにはまだわかってない
『空っぽってどういうことだかわかっていやあしねえ。ほんとに空っぽになっちまったとき初めて見えるのよ
『……この世の花だろうなあ』
かっこいいんですよねぇ、この男。
フィクションの登場人物だってわかってたって、憧れちゃうくらいにかっこいい。
私もどうせ腐敗して、塵は塵に灰は灰に、無くなってしまうならば、この男のようにこの世の花を見て大笑いしながら腐ってゆきたいです…が。
ビビリチキンの私じゃあ、そんなもの見ることもなく、ぼんやりしているうちに取り返しがつかないほどに腐りきって、「あれれ?」なんて首傾げてるうちに、自分が腐ってることにすら気付かず、バカみたいに消えてしまうことになるでしょうね。
残念ですが、まぁ、たいていの人はそんなもんでしょうから…ま、いっか。
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私の筆が足りないので、この二つの小説の魅力を伝えることはできませんが。
二つとも、傑作です。
そして、さすがに詩人の書いた小説だけあって、言葉の使い方が素晴らしいし、文章の流れが独特な面白さを醸し出します。
詩人しか持ち得ない感覚でしょうね、これは。
今回、再読ですが。
何回読んでも、やっぱりいいなぁ。
自分には、たまらない魅力があります。
多分今後も、何回もこの本は読むことでしょう。
同著者の詩集と同じく。
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