寮 美千子 著、『星兎(ほしうさぎ)』を読みました。
パロル舎のハードカバーです。
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今回の本のお供は、この本の雰囲気にあわせて、顕微鏡と鉱物標本を並べてみました。
…顕微鏡遊び、面白いです。
植物や虫なんかを、気が向いたらこの実体顕微鏡で観察して遊んでいます。
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ええと、この本は、私がよく訪問させていただいている しん さんのブログで知りました。
とても静かで美しい世界をブログ記事で創り上げている方ですので、そんな方が読まれている本ならば、同じように美しい世界を見せてくれるに違いないと思いまして。
真似っこしてこの本を取り寄せました。
私、美しいものが好きなのです。
この『星兎』ですが、この方面ーーー日本人女性作家の書く童話、幻想文学ーーーの本としては、私的にはかなりのヒットでした。
やはり、美しいものを作り出す人は、美しいものを良く知ってらっしゃいます。
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あらすじと感想です。
ユーリ少年には不思議なお友達がいます。
兎です。
と言っても、普通の兎ではありません。
人間サイズの大きさで、後脚だけで立ってピョンと跳ねる、人の言葉を話す兎です。
そしてこの兎は、何故、どこから、ここにやってきたのか、何も覚えてはいないのです。
兎とユーリ少年の出会いは、突然でした。
ある日ユーリ少年は、バイオリンのレッスンをサボって商店街をさまよっていました。
ユーリ少年は、母親の機嫌をとるためにヴァイオリンのお稽古を続けているのですが、本当はあまりヴァイオリンが好きではないのです。
商店街にあるドーナツ屋さんで時間を潰そうとしていた時、人混みの中に、行き交う人達が皆見て見ぬふりをしながら避けていた、ヘンテコなこの兎を見つけてしまいました。
兎と目があった瞬間に、兎はユーリ少年めがけて嬉しそうに跳んできました。
誰も自分のことを見てくれなかったのに、ユーリ少年は自分のことを見てくれたからです。
ユーリ少年は、変な兎に懐かれて困ったものだと思いつつも、その後、兎となんだかんだ仲良くしてしまいます。
次の日には、二人で海を見に出かけたりもします。
そんな二人の関係がしばらく続いた後のこと。
ある晩遅く、兎がユーリ少年をドーナツショップへ誘いにきます。
二人は仲良く夜中のお店でドーナツを食べるのですが。
お店を出ると、真夜中なのにたくさんの人たちが、発光する腕輪なんかつけたりして楽しそうに、埠頭の方に向かっています。
大人に連れられた子供たちもたくさんいます、真夜中なのに。
兎とユーリ少年が、不思議に思いつつ人の流れについていってみると、埠頭にあるレンガ倉庫ではお祭りがひらかれていました。
…ここのお祭りのシーン、私はこの小説で一番魅力を感じたシーンです。
夜のお祭りって、いいですよねぇ。
暗闇にライトアップされた屋台に並ぶ商品は、どれも胡散臭くて魅力的で、お財布の紐がゆるみまくります。
ヨーヨー釣りに金魚掬いも、なんとも楽しそうに見えること!
食べ物もいいですよねぇ、りんご飴、綿アメ、焼きもろこし、焼きイカ、じゃがバター…ああ、想像していたらお腹が空いてきてしまいました。
さて、現実の夜のお祭りですら、こんな風に幻想的で非日常的な素敵な雰囲気を醸し出しています。
小説のワンシーンになっても、もちろん、魅惑的です。
兎とユーリ少年の迷い込んだお祭りでは、不思議な屋台や不思議なパフォーマンスがたくさん見られます。
手のひらに収まるような小さな針金で作ったオモチャが、パッと展開させると、どうした仕掛けか人間にぴったりのサイズの天使の羽の形になったり、大きな鳥かごになったり、最後にはまた畳まれて小さなオモチャにもどる…そんな商品を扱う屋台あり。
綿アメそっくりで、でも綿アメよりも軽い食感のお菓子を、発光する棒に絡めて売る屋台あり。
夜の闇に明るく光るお祭りの灯りの中、全てが優しく愉しい雰囲気に包まれて、夢のような不思議な世界がぽわんぽわんと繰り広げられます。
光のお祭りです。
ユーリ少年と兎は、お祭りの中でヴァイオリンを弾く男に出会います。
その男の弾くヴァイオリンはとても不思議なヴァイオリンで、普通の音楽も奏でますが、風の音や波の音までだせるのです。
ヴァイオリン弾きは、ユーリ少年にも不思議なヴァイオリンを弾かせてくれました。
波の音を上手に弾けたユーリ少年に、兎は大喜びします。
そして、ユーリ少年と兎は、いつか二人で行った海へ、もう一度行こうよと、絶対だよと、約束しあいます。
やがて、お祭りの時間は終わりを告げ、屋台は次々と畳まれて…
信じられないくらいに小さく畳まれた屋台には、お店の人までその中に飛び込んでしまって、最後にはギラリと光になって空へと昇っていってしまいます。
あっちでも、こっちでも、屋台は空へ昇ります。
辺りは夜空へと昇天する光の洪水です。
兎とユーリ少年はびっくりして、我を忘れてその光景を眺めます。
やがて、最後に残った屋台も光となって空へ消えた時、兎は語り出します。
自分は思い出したのだ、自分は「星うさぎ」だったのだと。
そして、地上を離れ天へと帰っていかなくてはならない時がやってきたのだと。
ユーリ少年は、兎に詰め寄ります。
星うさぎって何なのか?どうして帰らなくてはならないのか?ぼくといっしょにいたくないのか?
兎は、理由はわからない、星うさぎが何なのかもわからない、ユーリ少年といっしょにいたい、けれども今帰らねばならない、どうしようもないのだ、それだけは分かっている、とユーリ少年に答えます。
『ぼくは、いままでずっと、ぼくのしたいようにしてきた。どんなことだってね。ほかの誰でもない、ぼくが、ぼくの主人だった。でも、ユーリ、これだけはどうしようもないんだ。誰にだって、自分では決められないことがあるんだ』
ユーリ少年は兎の言葉を受け入れ、そして兎は空へと帰っていってしまいました。
…ここの、兎のセリフがいいですね。
ーーーぼくが、ぼくの主人だった。
兎は、兎のくせに、なんとも確固とした自分を持っています。
ユーリ少年は、ヴァイオリンが好きでもないのに、母親の機嫌をとるために続けている自分を顧みます。
兎は、兎だけれど、ユーリ少年は、兎の自らが己の主人たりえる堂々とした姿に惹かれているのでしょう。
兎が空へと帰って行ってから数年後、ユーリ少年は一人埠頭へとやってきます。
あのうさぎが去ったお祭りの夜に不思議なヴァイオリンに触れてから、ユーリ少年はヴァイオリンが好きになりました。
練習して練習して、今では、あの夜あのヴァイオリン弾きが弾いていた曲、兎と一緒に聴いた曲を、ユーリ少年も弾くことができるのです。
ユーリ少年は、空に向かって、兎に向かって、ヴァイオリンを奏でます。
曲はバッハのシャコンヌです。
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この小説、ストーリーも良いのですが、少年にからむオブジェがとても素敵です。
兎がコインのかわりに使おうとする、綺麗なクラブソーダの王冠。
ユーリ少年が欲しがっている分子模型のセット。
お祭りに集う人々のつける発光する腕輪。
畳まれた小さな屋台は黄鉄鉱の結晶のようになる。
チャイナタウン、埠頭、海、夜のドーナツショップ。
…
…
少年と、理科グッズや夜や海って、どうしてこうも似合うのでしょうねぇ。
それから、埠頭でユーリ少年が奏でるバッハのシャコンヌも良いですよね。
少年とバッハの組み合わせも、最高です。
こういった少年像は、多分、女性が少年に抱く幻想なのだとは思いますが。
男性が少女に抱く幻想と同じように。
でも、魅惑されますねぇ。
現実にはありえない、幻想の中の少年です。
あ、そうそう、この本は挿絵も素敵です。
鴨沢裕仁の柔らかな無機質に洗練された絵が、この本の内容にぴったりです。
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この『星兎』を読んでみて。
ちょっと初期の長野まゆみの小説を思い浮かべました。
例えば、『少年アリス』とか。
でも長野まゆみよりも、こちらは少しポップな感じがします。
なんて言うか、長野まゆみが水彩画なら、寮美千子はポスターカラー画。
線画なら、長野まゆみの方は製図ペン、寮美千子の方はフェルトペン…って感じで。
でも、描いているのは同じようなモチーフ、みたいな。
…って、抽象的すぎる文章ですね、すいません。これじゃ何も伝わらないですね。
私、この手の本の感想をまったく素直に書いちゃうと、あまりに主観的で他人には意味をなさない文章になっちゃうんですが。
まぁ、一応、自分の感じた印象そのものも書いておいてもいいかなぁ、と。
似たような感性をお持ちの方には、意外とこういうの、何故だか不思議に伝わっちゃったりすることもありますしね。
あと、長野まゆみと寮美千子を比べてみてもう一点。
初期を過ぎた長野まゆみの小説はかなり性的に露骨な部分が見えてきますが、初期においてもやはり表面的には隠されている性的な部分が透けて見えます。
が、寮美千子のこの『星兎』からは、あまりそういったものは感じられませんです、私は。
そして、エロスだけではなくて、タナトス…死への欲動も、長野まゆみには感じますが、寮美千子にはあまり感じられないです。
兎が空へと帰っていくのは、我々が避けることのできない、いつかは必ずやってくる死を暗示しています。
が、そこには死と戯れるような感覚は無く、受け入れるしかない死を受け入れる…そんな諦念を私は読み取りました。
それから、残されたユーリ少年のヴァイオリンには、我々が喪失を乗り越えて成長し生きていく命の力強さを感じました。
良くも悪くも、健全な幻想小説、童話だとおもいます。
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素敵なお話でした。
いつか、私の姪っ子達がもう少し成長して、本を読むのが好きな子になったなら、読ませてあげたい一冊です。
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