アンドレ・モーロワ 著、井上究一郎・平井啓之 訳、『プルーストを求めて』を読みました。
筑摩叢書 192、1972年12月15日初版です。
本のお供は、さてこれ、もう15年くらい前に私が作った猫ちゃんのぬいぐるみです。
キットを買って作りました。
…おひげが経年劣化で黄色く変色しちゃってます。
リペアしてあげようかなー、でも作った時そのままに残しておきたい気もするし。悩みどころです。
ええと、この本は私のものではありません。
父の蔵書から借りました。
私、3ヶ月ほど前にプルーストの『失われた時を求めて』を読み終えまして。
その余韻が冷め切らぬうちに、理解を深める本を読もうと思っての、今回のこの本です。
著者のモーロワは、
『シモーヌ・ド・カイヤヴェの二度目の夫となったが、『失われた時を求めて』の主人公の初恋の少女ジルベルト・スワンのモデル、ジャーヌ・プーケを母親にもち自分自身もこの大小説のさまざまに錯綜したテーマをそのフィナーレにおいて一身に収斂する象徴的な美少女サン・ルー嬢のイメージを作家にもたらすのに役立ったと言われるこの夫人を通じて、モーロワは、プルーストについて評伝作家としての興味をそそられたばかりでなく、当時はまったく未開拓であった未発表資料を縦横に駆使できる便宜をも得たのである。』
(訳者あとがき より)
…だそうで。
プルーストにかなり近い人だったようです。
本の内容は、まずプルーストの伝記、それから『失われた時を求めて』執筆時の評伝、最後に死の前のプルーストの伝記、という風に構成されています。
プルーストの伝記部分、面白いです。
やはり随分と変わった人だったのですねぇ。
常に愛されていないと不安で、他人に依存し続ける人だったとか。
後世の、彼の天才をもう知っている私達には、信じがたいですよね?
今の世にプルーストが生きて存在するなら、本人がどれだけ逃げ回ったってファンが離してくれないでしょうし。
愛するを通り越して、神みたいに崇めてる人も多いんじゃないでしょうかねぇ?
プルーストの書簡も沢山引用してくれているんですが。
まぁ、あーだこーだと細かいことを書き連ねてあること!
まるでお喋り好きの近所のおばちゃんみたいです(笑)
必死にお手紙の相手におもねっていて、自分は弱い人間です、助けてください助けてください…
プチ・マルセル、かわいいっちゃかわいいんですけど、ちょっとまともに相手にしすぎると、めんどくさい人かも。
そして、今となっては信じがたいといえば、『失われた時を求めて』の出版が最初は大変だったことも。
どこの出版社も相手にしてくれないんですよ。
ジッドでさえ、最初は蹴ってるんですから、驚きです。
後に、ジッドは自分が間違っていたと、真摯にプルーストに謝ったようですが。
いつの時代も、新しいものが出てきたその時は、なかなか認められないものなんですねぇ。
それから、死を前にしたプルーストの生き様は、圧巻です。
『失われた時を求めて』は、最初の構想ではもっと短かったそうなんです。
プルーストが校正すればする程に、作品は長くなっていく。
書き足しにつぐ書き足しで、小説はどんどん膨らんで巨大なものになっていきました。
死の間際まで、時間と争いながら、プルーストは書き続けたらしいです。
命を削って、小説をこしらえたのですねえ。
ああ、よくぞ書いてくれました。
おかげでこの極東の島国の、これまたさらにはずれにある我が家の書棚にすら、『失われた時を求めて』は鎮座ましましてくださっておりますよ。
生命をかけるほどに芸術にのめり込めるなんて、凡人の私は憧れを抱かずにいられません。
そこまでの美、私なんぞには絶対に降りてきてくれないんだろうなぁ。いやはや。
『失われた時を求めて』の評伝部分について。
読んでいると、もう一度『失われた時を求めて』を読み返しているような気分になりました。
多分、ですが。
前知識なしで『失われた時を求めて』を読んだ人なら、皆が最初はこんな風にこの作品を捉えるであろうなぁという、素直な解釈を綺麗にまとめあげている感じです。
捻くれた様子はありません。
小説の技法について書かれている部分は、私には特に興味深かったです。
私、小説を書こうとしたことはありませんし…、本を読んでいてもテクニカルなことってあまり深く気にしたことがなくて。
…というよりも、むしろそういう部分には、読んでいる最中は気づきたくもない…んですよね。
興醒めしちゃいますから。
読書中は、私は作者の思うがままに、翻弄されて騙くらかされて物語の中に没入してしまいたいので。
まさに寝食忘れてはまり込んでしまいたいのです。
どこか、自分の知らない世界に連れていってもらいたい、とか。
物語に没入して、自分を消してしまいたい、とか。
そういう願望があります。
でも、既に一度は、読み通しちゃいましたから。
一度、しっかりはまり込むのを楽しんだ後ですから。
その上でなら、どういった手法で私はプルーストの手の上で転がされていたのだか、知るのも悪くはありませんでした。
…多少の興醒めは、しかたありませんけどね。
でも、興醒めしちゃわないと、ただのプルースト信者になっちゃいますからね(笑)
『失われた時を求めて』の世界が、私にとってバイブルになっちゃったら嫌です。
そういうのは、ちょっと、自分の好みではありませんので。
盲信は嫌いなんです。
本書、この評伝『プルーストを求めて』は、『失われた時を求めて』を読み終えてすぐに楽しむ本として、ぴったりだと思いました。
先にも書きましたが、変に捻くれることなく素直に解釈している感じです。
現代から見てのプルースト評伝ではなくて、プルーストの時代から見てのプルースト評伝…とでも言えばいいのかな?
そんな印象でした。
『失われた時を求めて』の登場人物のモデル達についても詳しく書かれていて、ファンには嬉しい内容が盛り沢山です。
いい本だと思います。
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この本は、父の蔵書でした。
父がかなり若い頃に購入して読んだものだそうです。
なので、この本には、若かりし頃の父が、ちょっと線を引いてみたり、メモを挟んでたりしていました。
どんなところに注目してたのか、どれどれ、娘の私が評価を下してあげましょう!と、見てみると。
…
…
…
「うっわー、いかにも親父の好きそうなフレーズばっかでやんの。
かっわんねーもんだなぁ!」
三つ子の魂百まで…ですね。びっくり。
何十年も前から、父の好みは変わっていない模様。
まだ私が生まれる前、独身時代の父にちょっと触れることができたような気がして、クスッと笑いがきちゃいました。
この本は読み終えて、父の書棚の元あった場所に、きちんと戻しておきましたよ。
本は大切にしたいタイプの私ですが、書き込みのある本は、特に、です。
人の手の跡は、愛おしい、大切な思い出ですからね。
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