ミシェル・ビュトール 著、清水徹 訳、『心変わり』を読みました。

岩波文庫の赤です。





本と一緒にお写真に写したのは、編みぐるみの猫ちゃん達とウサちゃんです。

この白い猫ちゃんは、私が初めて編んだ編みぐるみで、初めて編んだかぎ針編みです。
ダイソーさんのキットでした。

この子を編むのがとても楽しかったので、その後、かぎ針編みにはまり込んでしまいました。
私のクロッシェの原点です。






『早朝、汽車に乗り込んだ「きみ」はローマに住む愛人とパリで同棲する決意をしていた。「きみ」の内面はローマを背景とした愛の歓びに彩られていたが、旅の疲労とともに…。一九五〇年代の文壇に二人称の語りで颯爽と登場したフランス小説。ルノードー賞受賞作。』
(カバーより)


この『心変わり』、二人称で書かれています。
ちょっと珍しい、二人称小説として有名らしいですね。


主人公はレオン・デルモンという名ですが、この名は小説中にはほとんど出てきません。



冒頭の文章を引用してみます。

『きみは真鍮の溝の上に左足を置き、右肩で扉を横にすこし押してみるがうまく開かない。
『狭い入口のへりで体をこすりながら、きみはなかにはいり、それから、ぶどう酒の瓶のような暗緑色の、表面が粒状になった革製のスーツケース、長い旅行になれた男がよく手にしている小型のスーツケースのべとべととする握りのところを、あまり重くはないのだが、ここまでもってくることで熱っぽくなっている指でにぎって、もちあげると、きみの筋肉と腱の輪郭が、きみの一本一本の指、掌、握ったこぶし、腕に、さらにはきみの肩にも背中の片側部分にも、脊椎の頸から腰にいたるまでも、くっきりと浮かびあがるのを、きみは感じる。』

ほぼ全編が、こんな感じの二人称で書かれています。





本書のあらすじは、題名通りです。

「きみ」がパリからローマへとむかう長距離汽車の中で、24時間ほどの旅のうちに起こる心変わりの過程が、詳細に描かれます。

それだけです。
それだけのことで、けっこう長いこの小説は終わりです。

って、これだけを聞くと、ちょっと退屈そうな感じがしますが。
実際は、この小説、最後まですんなり読めてしまいます。



二人称のせいでしょうか?
なんだか、催眠術でもかけられたように、夢でも見てるみたいな気分で、最後まで読めてしまいます。

きみは…、きみは…、きみは…、

小説を読む時は、作中の誰かに感情移入してしまうことが多いとおもうんですが。
こうやって、きみは、を連呼されると、読んでいるこちらの感情はむしろフラットになってきますね。

まるで誰か知らない男の頭の中にでも潜り込んで、盗み見でもしている気分とでも言いましょうか。

主人公の行動や思いに対する、共感も反感も、湧いてきません。
ただ、ただ、主人公の心の動きを、空気でも吸うように、受け入れるだけです。









小説は、煮詰まってしまった家庭から脱出し、愛人をパリに呼び寄せてのあらたな生活を夢見た、確固とした意志をもつ(と、本人は信じている)主人公が汽車に乗り込んだところから始まります。
この旅は、新しい生活を手に入れるための、冒険の旅でした。

愛人がパリに住むための仕事や住居が整ったことを彼女に伝えるための、ローマ行きだったのです。
家庭を捨て、愛人との同棲を始めるための、第一歩。

小説の中では、車室の中の光景、車窓の外の風景、同室の旅客達の様子を見つめる「きみ」の状況が刻々と書かれ、そのうち、徐々に「きみ」が現在の心境に至るに経験した過去の出来事、それから未来での輝かしい新たな生活への一歩が夢想され、現在から過去へ、未来へ、流されるように時間を飛び回りながら「きみ」の心象が風景と重なって綴られていきます。

しかし、時が経つにつれ、長い旅程の疲れがかさんでくるにつれて、「きみ」の中で新しい生活、真に自分が生きられると夢想していた生活は、誰もが持つ約束の地におけるような生活への憧れに過ぎないのだということに気づかされます。
旅路に見た光景が、妻との愛人との過去の記憶を呼び覚ましてしまうのです。
素晴らしい生活を幻想するために、忘れていた記憶が。


小説の後半では、疲れた「きみ」の心に浮かぶ、幻想的な夢のような風景が、今度は三人称「彼」をつかって、さしはさまれてきます。

ローマの象徴が、単に美しいというよりも、グロテスクな姿で、次々と現れます。

現在、過去、ローマの神話的夢想、そして今度は悲しい未来、目まぐるしい勢いで時間と空間が錯綜する「きみ」の心境が描かれ、夢想の中の「彼」はいつの間にか「きみ」に変わってしまっています。

そして「きみ」は、「きみ」の愛人への愛は、ローマへの門でしかなかったことに、気づいてしまいます。
愛人を通して、「きみ」はローマを愛していただけなんです。
ローマから離れた愛人は、結局、今の妻と変わりない女に変貌してしまうだろう。

「きみ」は、愛人をパリに呼び寄せる決心を崩壊させ、今まで通りの生活を続けるしかないのだという結論に達します。

そのかわりに、ローマへの憧れとそこに重なってのみ輝く愛人の姿を、本に書くことにしようと思いたちます。

…本の中で、「きみ」の愛の生活を実現させようとでもいうことでしょうかね?
現実にはありえない、「きみ」が「きみ」たりえる、愛に満ちた憧れの生活を。







この小説、読んでいると、気持ちがいいんです。
本当に催眠術にかけられたみたい…実際、そういう手法が駆使されていると思える描写もチラホラあります。

読んでいる間中、夢見心地です。

私としては、この小説は、幻想小説の区分に入れちゃいますね。
それほど幻想的な表現が多いわけではなく、むしろ現実の光景をみごとに映しとるような表現の方が多いんですけど。

それでも、こんなに、ウトウトと夢見心地になって読める本はあまり無いと思いますから、これもまた一つの幻想小説と呼んでいいのではないかと思います。



二人称ってすごいですね。
もしもこの小説が一人称、あるいは三人称で書かれていたなら。

本当、男の人ってバカね。
自分のことすら、何もわかってないんだから…。
いつまでも子供みたいだわ。

なんて、私は月並みな感想を覚えると思うのですが。


この小説の二人称だと、そんな感想なんて到底思い浮かびません。
私は、まるで主人公と一体化したように、ただ彼の心の動きを受け入れるだけです。






ちょっと変わった読書体験ができました。
夢の中をぼんやりと歩くような経験がしてみたい方には、おすすめです。
ハマる人は、かなりハマると思います。

そして、やたらと、眠くなります…

私、一週間くらいかけて、就寝前にこの本をベッドで読んでいたんですが。
毎日のように、なんだか読むうちに気持ちよくなってきちゃって、最後は寝落ちしちゃってました。

なので、眠れぬ夜のお供にもおすすめですよ(笑)














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