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リン・マーグリス/ドリオン・セーガン  共著、長野敬/原しげ子/長野久美子  訳、『性の起源ーーー遺伝子と共生ゲームの30億年』を読みました。

青土社、単行本です。







今回の本のお供は、私の地元のゆるキャラ、タルト人です。
タルトっていうお菓子が地元の銘菓なんですけど、それをモチーフにしたゆるキャラで、宇宙人だそうです。
ヤダこれ超かわいー!!
って、弟2号と二人でおそろいで買いました。
…弟1号はいらないそうです、センスのない愚弟です。






えーと、この本ですが…

正直、本選び、失敗しました。
いや、面白く無かったわけではありません、逆です、とっても面白かったです。
タイトルからしてワクワクしちゃうような刺激的な題ですからね。中身も驚きの連続です。

ですが…

この本、あまりに専門的過ぎて。
生物学にある程度の造詣がある方でないと、読むのはキツイと思います。
一応巻末に用語解説とかあるんですけど…いや、この程度の解説ではわかりませんよ、無理!

私自身は、生物学なんて殆ど何も知りません。
高校から理系を選択して進学しましたが、私がとった科目は物理と化学です。

生物は中学生レベルで止まっています。
かろうじて有機化学で核酸とか代謝とか習った程度です。


そんな私が読むには、ちょっとばかし、ハードルが高過ぎました。
読んでいる間中、怒濤のネット検索の嵐でした。


有糸分裂って何?オルガネラって何?
グラム陰性菌?原核生物?モネラ界?小レプリコン?MTOC?

かなりの勢いでウィキペディアさんのお世話になりました。
まじインターネットって便利っすね。

おかげで細胞の構造と細胞分裂に少しだけ詳しくなれた気がしますよ。



でも、ということは、知識が無くてもネット検索を利用する程度のことで、なんとか読めてしまうレベルではあるってことです。
ギリギリですね。

科学系の一般向け書籍って、難しいですよね。
科学者の思う「一般」って、たいていは「一般」じゃないんですもの。

後で調べてみたところ、同じ共著者のもっとわかりやすい本もあるみたいで。
そっちを先に読めばよかったです。






***





閑話休題。
『性の起源』の感想を書きます。

だらだらと上に書いてありますが、私は生物学にはサッパリ明るく無いので、用語の間違いや、勘違いも多いと思います。まったく自信ありません。
もしも本書が気になった方は、直接に読んでみて下さいね。






まず、この本で語られている性ですが。
性…といっても、私達が想像するような性ではありません。

性とは、
『二つ以上の源泉に由来する個々の細胞または個体がもつ遺伝子(DNA)の組み換えを行うなんらかの過程。性は核酸、核、細胞質その他のレベルでも行われる。』
(用語解説より)

二つ以上の遺伝子が組み換えられるなら、それは性的な出来事になります。
男女とか、オスメスとか、雌雄とか、卵子と精子とか…私達に身近なそれは性の一部でしかなくって、この本で定義される性はもっと幅広いものです。

そして、この本で論じられるていのは主に細胞レベルの性です。




『性の過程は遺伝的に新しい個体を生みだすが、総個体数の増加は必ずしも伴わない。』
(p58)

『「性」は遺伝源の混合であるのに対して、「生殖(再生産)」は新たな個体を生みだすコピー作りである。』
(p34)

生殖とは、
『細胞または個体の数を増す過程。』
(用語解説より)



私達は有性生殖をおこないますから、性と生殖はセットで考えてしまいがちですけれど。
生物全体で見ると少数派なんですよね。

自己維持と生殖の二つの過程が、生物と無生物との違いだそうです。
それらさえあれば、性は必ずしも必要なものでは無いと。

有性的な遺伝子の組み換え無しで、無性生殖のクローンで個体数を増やす生物はたくさんいます。
それでちゃんと自己維持と生殖、できています。

どうして私達一部の生物だけが、性と生殖がこんなに密着したのか?
それを太古の昔に遡り、紐解いてくれるのが本書に書かれている学説です。





太古の地球ではオゾン層がまだありませんから、紫外線が容赦なく降り注いでいました。

紫外線はDNAを損傷させます。紫外線は、DNAの塩基配列の中で隣り合うチミンを、向かいの塩基ではなく、隣同士チミン同士で結びつけちゃうそうです。
こうなるとDNAの複製もRNAへの情報伝達もできなくなって死にいたります。

当時の生物、細菌達には、今の私達の「キャー!シミができちゃう!日焼け防止!」よりはずっと深刻な紫外線対策が必要でした。

可視光線を必要としない方向に紫外線から逃げた細菌はともかく、光合成に頼る細菌は紫外線を含む太陽光が絶対に必要です。
彼らには紫外線防御のメカニズムが進化して、損傷したDNAを酵素によって修復する機能も獲得されました。

DNAを切り取ったり、無傷のDNAを鋳型としてDNAを再合成できるようになったのです。

この修復のための酵素が、自身の相補鎖(DNA二重螺旋の二本の鎖同士)を鋳型に使う分には、ただの修復でしかありませんが、もしも別の細胞由来のDNAを相補鎖として利用すれば、これは性的な出来事になります。
『二つ以上の源泉に由来する個々の細胞または個体がもつ遺伝子(DNA)の組み換えを行うなんらかの過程』が行われていますから。

紫外線の他にも様々な化学物質が細胞を脅かす太古の地球で、それらから身を守る為の機構としての酵素反応が、細菌達にはじめの性現象をもたらしたのです。





以上のお話は細菌達、原核生物達のお話で、今度は時代が進んで原生生物のお話になります。

『原核生物は核膜で核が区切られず、細胞内構造も発達していない細胞からなる生物で、原則として単細胞なので、原核生物と原核細胞は事実上同じ。核の明瞭な真核細胞からなる生物は真核生物で、一般動植物はすべて多細胞の真核生物。真核生物のうち単細胞のものが原生生物である。』
(p112)

真核細胞はほとんど全てが細胞分裂の際に有糸分裂をします。
染色体が細胞の真ん中に並んだところを、細胞の両極から糸でみょ〜んと引っ張って分けるような、あの分裂です。

有糸分裂は細胞分裂の際に、分裂した娘細胞達に正しく1組の遺伝子を分配できるシステムです。

この有糸分裂の装置としての、みょ〜んと染色体を引っ張っているような糸、あの糸が出てくる起点をMTOCと言うそうで。

そしてこのMTOCは、なんと!かつては別の生物であったニョロニョロとした細菌、スピロヘータの名残りなのです。

細菌が細菌を食った、もしくは細菌が細菌に進入された時に、相手を殺すことなく、結果細菌が細菌を取り込む形で共生して生き残るという道を行ったもの達は、ついには一つの細胞へと変化しました。

このようにして共生により獲得されたものが、細胞内にあるミトコンドリアでありMTOCであり葉緑体であるのです。

真核細胞とは微生物の共生体と相同なのです。






スピロヘータのゲノム獲得によって有糸分裂装置を手に入れた原生生物のうちから、今度は減数分裂する一群がでてきます。

減数分裂=授精へ。
我々の有性生殖へと繋がりますよ。


原生生物達の共食いによって、染色体が倍数化されることがあります。
食ってはみたものの消化されずに、体の中に食った相手の染色体をもうワンセット加えてしまうことになるんです。

肉食性から授精への転換です。

この状態がその生物にとって適応された状態ならばいいのですが、そうでなければ死を招きます。
染色体数をもとの状態=半分に減らさなければなりません。

減数分裂は死からの救済なのです。

『減数分裂を伴う性は、けっしてそれが無性生殖よりも多くの変異を生ずるという理由から選択されたのではなかった。減数分裂は、二倍数状態から周期的に抜けでるものとして進化し、多くの種で維持されてきた。』
(p310)

減数分裂とは性と結びついたものなのです。

『哲学的進化論の立場からすると、ここでは性と、死からの救済と、肉食と、消化不能が、ほぼ同じことであるというのは面白い。』
(p233)





細胞内でスピロヘータ由来のMTOCの働きには、二つあります。
先に挙げた有糸分裂の装置の起点となること、そしてもう一つは波動毛とよばれる運動装置の起点となることです。
波動毛はミドリムシの鞭毛や精子の尻尾みたいなものです。

ただし、一つの細胞においてはどちらか片方の役割しかできません。
運動装置として振る舞うなら、有糸分裂はできない。
有糸分裂装置として振る舞うなら、運動能力は失う。

ならば細胞が二つくっつけば、両方の装置が使えますね。
動けるし、減数分裂もできると。
ここから動物型の多細胞生物への進化がはじまります。

つまり、動物へのスタート地点で、もう減数分裂は決まっていたのです。
性がすでにあったのです。



さらに、私達多細胞生物の個々の細胞の特定機能への分化は、細胞を構成している成分の成長に差があるためだそうです。

『分化というのはゲノムの成長の差と、核細胞質およびオルガネラのゲノムとそれらのタンパク合成系の間の相互作用が外面に表れたものということになる。』
(p327)


真核細胞が微生物共同体と相同なら、個々の細胞の特定機能は、つまりは細胞の成分=かつては自由生活をしていた微生物たちのダイナミクスと相互作用の表れなのです。



***



私なりに本書から理解できた大事そうな内容をざっとまとめてみましたが、実際の本書の記述は、もっとずっと精密で複雑で幅広く豊かです。
著者達の論を説明するため裏付けるための例も、沢山細かく挙げられており、写真や表も豊富です。

生物の進化の中で現れた性を、一つの起源ではなく、様々な起源からなるものなのだと論じています。

『性はひろく考えるべきものだ。遺伝子の混合は多くのレベルで作用し、そのどれも他と排除しあうものではない。』
(p337)



しかし、ぼんやりと読み進めていると、一体何の話を読んでいたのだかわからなくなってしまいます。
章題を常に意識して、一体どこへ向かって行こうとしているのか、何を述べようとしているのか、迷子にならないように、置いて行かれないように、読み進めねばなりません。


著者達の学説の中心となるのは、真核細胞が微生物共同体であるという考え方。
中でもスピロヘータとの共生によって獲得した細胞の運動性こそが減数分裂を伴う性を可能にしたということ。
…なのだと思います。


そして、
『結局、雌雄が互いに異なるのは、たえず変化する環境がもたらす不測の事態に対処するためではなく、祖先の単細胞原生生物の生存を可能にした一連の歴史的できごとが原因である。』
(p25)

私達人類のスタートは、初めから性ありきの状態だったのですねぇ。






この本を読んでから、自分の手を見て。
この私の手を形作る一つ一つの細胞が、微生物の共生体なのかなぁ〜
…なんて考えると、不思議な気持ちになります。

細胞のことなんて考えなくたって、顔ダニだの大腸菌だの、ちっちゃな生き物達がわらわらと、この身体に住んでいるんですよねぇ。

私は「私」なんだけど。
でも、私は沢山の生物の共生体なのだよなぁ。

自分は自分を一つのモノだと思っているのですが、実際はたくさんのモノの集合体なのですよねぇ。

たくさんのモノのダイナミクスと相互作用の結果が「私」なのかなぁ。

…奇妙な感覚ですね。
自分が一つの確固としたモノというよりも、現象とか事象とか出来事とかになったみたいです。


















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