中世土佐の七雄のひとりである津野氏の本拠地、津野町姫野々にある山城、姫野々城址に登りました。
途中、白雲神社までは狭い道を車で上がれます。
駐車できる場所には、立派なトイレも整備されていました。また、桜が満開でした。
そこから徒歩20分ほどで山頂の本丸にあたる詰ノ段、二ノ段に到達します。
この山城は、中世の連続する堀切や畝上竪堀群が幾百年の歳月を超えて残っている点で興味深い城です。
案内してくださった地元の郷土史家の方によると、現状よりさらに2m深かったことを発掘調査時に確認できたとのことでした。
4本続く堀切の間にある平場。
陶器が出土しており、何らかの防御施設があったとのことです。
詰ノ段
二ノ段からの眺望
ふもとには御土居を中心とした武装城下町がありました。
幕末の坂本龍馬らの脱藩ルートは図中の川沿いです。
津野氏は、独自の津野山文化をはぐくんでおり、領地から五山文学の義堂周信、絶海中津を生み出しています。
津野氏の支配地は長宗我部氏と一条氏の間に位置し、戦国の世に苦戦を強いられます。
最後の当主として長宗我部元親の三男、親忠を養子に迎えて家名の存続を図りますが、親忠は、長宗我部家の当主四男盛親により幽閉ののち、切腹させられます。こうして、津野氏は1600年に滅亡しますが、津野町には津野山古式神楽や三島神社の巫女舞などに当時の文化の香りが豊かに残されています。
実は20年ほど前に「信長の野望」というパソコンゲームで、「津野氏」を主人公にして土佐統一を目指したことがありましたが、まったく歯が立ちませんでした。






