S字結腸穿孔手術の覚書です。

 

12月のはじめ、急に左下腹部が張るような違和感を感じ始めました。

そして少しずつうずき始めました。また、38度台後半の熱が続きました。

 

寝たら何とかなるかと思いましたが、二日たっても熱は下がらず、倦怠感と左下腹部の痛みは増すばかりでした。

 

 

 

違和感を感じ始めてから三日目、こらえきれなくなり、かかりつけ医の発熱外来へ電話しました。

するとすぐに救急病院へ行ったほうがよいということで、自分で車を運転して家から10分ほどのところにある救急病院へ向かいました。

 

その救急病院では、専門外の先生が診察してくれました。

CTとレントゲンを撮った結果、大腸の外に空気がうつっているので直ちに専門の医師がいる高知市の病院へ行くべきだとして、救急車を手配してくれました。なんとか自力で行きたいと思いましたが、自分や家族の運転で行くことはこの場合賢明ではないとのことでした。

 

こうして、かかりつけ医の発熱外来への電話から2時間ほど経ったところで、すでに点滴を受けつつ救急車の中に横たわっていました。

 

高知市の病院に着いたあと、レントゲン撮影、造影CTを経て、担当の医師から質問や説明を受け、あれよあれよという間にベッドに寝かされたまま手術室に向かっていました。

 

 

 

 

 

全身麻酔からさめたら、ICUで寝ていました。

手術は4時間ほどだったようです。

 

 

 

救急車も手術も入院もすべてはじめての経験です。

 

二日目からHCUに移りました。

あいかわらず自分では何もできず、尿は管で排泄されほとんど寝ていました。

薬のせいかひたすら夢をみました。夢の立ち上がりは不思議に、不規則な無数の幾何学模様の直線が急に形を持ち始めさらにそれに着色されてストーリーが始まる感じでした。

 

ほとんどの夢を忘れました。

 

一つだけストーリーを憶えている夢に出てきた人たちは、もう10年以上前に亡くなった親戚や先輩たちでした。

 

四日目に一般病棟に移りました。

 

まだ、ガスは出ず便も出ませんが、尿の出る管がなくなっているのでほぼ2時間ごとにトイレに行き、コップで尿の量をはかりつ用を足す作業が、手術後の傷の痛みもあり少したいへんでした。

 

一週間後、入院してはじめての食事がこれです。

ほとんどお湯のような粥などでした。

 

 

 

12日間の入院でした。

たくさんの医療関係者にお世話になりました。

救急車の方々にもお世話になりました。

心から感謝しています。

今は痛みも熱もすっかりなくなり、清浄な気分です。

 

 

 

 

医師は4人のチームで手術から一般病棟まで担当してくれました。そして看護師は交代しながらたぶん20人近くの方々が、またリハビリの作業療法士の方は交代で3人が関わってくださいました。私が知らずにいる私を支えてくれた方々はもっとたくさんいらっしゃることでしょう。

中核となる病院への医療資源の集中の効果を今回実感しました。

 

 

 

けれども一方で、全国の過疎に苦しむ道や県と同様に、あるいはそれ以上に、医師の県庁所在地への偏在が大きな課題となっているのが私の住む高知県です。

私の小さな町では、かかりつけ医であるべき地域の診療所が、先生がご高齢になっていくなかで、一軒また一軒と少しずつ閉じられて行きつつあります。

大学の医局制度による人事権の強権がなくなり、また一方で地方の推定患者数の減少によって地方で開業する医師が減少して行くなかで、地方の住民と医療機関との距離が少しずつ遠くなっていることを、ぼんやりと感じます。