突然だが、日本語に入っているカタカナの言葉は結構イイ線いっていると思う。
外国の言葉をそのままその音で日本語に採り入れ、カタカナで表記して普通に使うというのは、とても柔軟だし、元の言語の音を尊重していて良いと思う。
例えば、英語だとサン・ピエトロ寺院はセント•ピーターSt. Peter Cathedoralなってしまうが、日本語ではほぼイタリア語そのままの発音だ。イタリア人の友人に寺院を案内してもらった時、イタリア語を聴いて「日本語と近い」と逆に驚いた。カタカナはglassとガラスのように音が変わってしまうものもあれば、英語よりも忠実に元の言語の音を大切にしているものもあるのだ。
話は変わって、勤め先のモンテッソーリの小学校の教室で、若干10歳の生徒がピタゴラスの定理について、クラスメイトに説明するのに居合わせたことがある。
小学生の頃はピタゴラスの「ピ」も知らなかった私は度肝を抜かれた。
この若い人は一体どこでそれを学んだのだろう。
私事ではあるが、日本で普通に教育を受け、ピタゴラスを三平方の定理として習った者にとっては、Pythagoras パイサゴラスと聞いて、一瞬何のことかわからなかった。thの音が英語発音になっていたからだ。また、Pyをパイと聞いて円周率のπと一瞬迷ったが、学習内容は三角形だったのでいやいや、そうじゃないと思い直した。
他の言語や英語のThomasトーマスの様に、th の綴りでもtだけの発音だったらピタゴラスに似た音で聞こえる。英語の学習者にはDyslexia 識字障害が多いと聞くが、発音のルールから外れた語があまりにも多いのもその理由のひとつだと考える。
留学をしていれば少しはこういう基礎的な算数や生物の知識が身についたかもしれない。私は留学経験なしに日本で英語教員になったので、英語の長文問題を読むだけの知識はあっても海外の学校生活で身につけた知識はあまりなかったと思う。学生の頃は留学をした人に負けないつもりで英語を勉強したが、やはり住んでみて初めて身に付く英語というものがあると感じる。子供とのやりとりや同僚との日常会話では特にそうだ。教科書には出てこない言葉をよく聞くし、自分でも説明は上手くできないが使い方を知っている言葉が口に出ることが多い。
生徒がよく発言をするリカさん(NZ人•仮名)の授業では、数名の年長クラスの生徒が、高度な数学的知識や問題の解き方を堂々と説明をする。塾もないこの国でどうやったのか首をひねるほどであるが、好きなことをどんどん学んでいくと、深く広く学習できるのだろうと思う。
日本の私立中学受験生や読書が大好きな子供さんも同じかもしれないが、ときどき、学校のカリキュラムなんか関係ない範囲でどんどん知識をつけて行く子供たちがいる。
昔は家庭に1セット、百科事典というものがあった。
子供たちは好きな分野の事典の好きなページを何度も見ながら、いろいろな知識を知らないうちに吸収していったものだ。地球の中身や天体について、動物の名前や外国の地形、アマゾンの植物等、子供の目を引くものが10数巻にまとまっていて、重くて分厚い辞典を開く度に、家にいながらにして知識の海に泳ぎ出すようなものだった。そしてそれは、コンピューターを使う時のように、Wifiも充電も必要がなかったし、保護者にいつまでスクリーンを見ているのかとしんぱいさせることもなかった。
今はGoogleやその他の検索エンジンを使って便利に調べものできるようになった。
しかし、昔のように同じページを繰り返し見たり、字を読めるようになったら説明文の細かいところまでじっくり読むことや、情報を繰り返し使うことはあるだろうか。
日々進歩する情報なら新しいものを採り入れるのがいいだろう。しかし昔から変わらない、基本的な天体や生物、地学、外国語の知識その他については辞典や書物をめくって読むほうがわくわくしないだろうか。
子供の頃、20数種類の犬のイラストが見開きに載ったページを何度も見ていた記憶がある。そになかでも特に好きだったのがシェットランドシープドッグ。英国に後に行ったときに、シェットランドに行ってみたいと思ったし、英国だからといってその犬がどこでもいるわけではないのだなと感じた。その土地の人の生活に溶け込んだ牧羊犬だと、辞典で読んだ知識をふと思い出すことがあった。
算数やまとめ学習の補助をする仕事内容については、当日私が出勤してから内容を教えてくれる。心の準備もしたいし、少しは予習もしたいので、前の日までに知らせてくれたらいいのになと思う日もある。しかし毎日何が待っているか予想がつかないというのも、またエキサイティングではある。
今日の算数のゲームは、そろばんによく似た繰り上がりの計算がある掛け算だった。20分間のゲームが一瞬で終わってしまい、片付けを始める小さい人たちはとても心残りだったようだ。
また来週ね。また一緒にやろう。飛び級をしている小さい人に声をかけて、一緒にアートの時間に移った。
いつものように、授業の区切りのチャイムは昼休みの始めと終わりにしか鳴らない。
これから年少クラスのクラスの小さな人たち、年長クラスの若い人たちをサポートしていくために、自分の担当以外でもありったけの知識を英語で学んでいきたいと思う。
とにかくなんでも吸収してしまう子供たち。教える仕事を選んだつもりが、毎日子供たちに教わってばかりだ。
教員や大人が、子供よりえらいとかすごいということは決してない。より優れているとも言えない。
子供の可能性に勝てる大人は1人もいないからだ。
そんなことを考えさせられた算数のレッスンだった。
授業後、直角三角形はright triangleだけど二等辺三角形は英語でどう呼ぶのだったかなと、ふと考えた。折り紙をするときに、子供たちとこの形を探してみようと思う。
(答えは isosceles triangle )

きれいに晴れた冬の日。ピタゴラスの定理について考えながらする散歩もまた格別。馬に触りながら、馬の歯磨きの用語も英語であったなと思い出した。
英語圏に住まないと使わない英語はなかなか多いです。


