先日会社で懇親会があり、社員と語り合う機会がありました。
いろいろな方と話したんですが、最後に隣に座ってた50歳の男性との会話が印象に残りました。
その方は今、母親と2人暮らし。
おそらく80代の母親だと思います。
少し認知症の症状があるらしく、2人暮らしで仕事をしている事での苦労話を聞かせてもらいました。
平日昼間に母親がどんな生活をしているんだろうと想像して、少し胸が苦しくなりました。
話はテーマの祖母の話になります。
祖母は自分が28歳の時、77歳で亡くなりました。
痴呆症でした。。
ウチは実は大家族で、自分が小さかった頃は8人家族でした。
父母・祖父母・曾祖母・弟と妹。
自分は長男という事で家族みんなに本当にかわいがってもらいました。
祖母は、いつもいろんな話を聞かせてくれました。
いいなずけがいたそうですが、戦争で亡くしたそうです。
1回だけデートした事の思い出話を良く聞きました。
祖父とは、幼馴染で家の距離もほんの数百メートル。
祖母の兄(15歳年上)と祖父の母(曾祖母)とで話をして決まったそうです。
曾祖母は非常に気が強い女性で、40歳で夫(曽祖父)を亡くし、一人で姑と子供5人を育てた人でした。祖母は嫁入り間もなくから姑の厳しい仕打ちに耐え、何度も涙を流してきたようです。
祖父は、戦争に行って帰ってきたのですが、一家(祖母・母・弟2人)を支える為働きつくした人で、小学校卒業と同時に働いていました。曾祖母同様厳しい(自分にも)人だったので、祖母は結婚してからずっと、誰かに命令されてしか生活していなかったようです。
曾祖母が90歳で(自分が中2の時)亡くなり、やっといろいろが自由にできるようになった途端に、気が抜けてしまったのか、祖母は少しづつボケが始まりました。
大好きなスーパーへ買い物に行っても、同じ場所を何回も何回もまわり、何を買ったのか、何を買いたいのかもわからなくなってました。
自分の父母は働いていましたし、今と違って、まだアルツハイマーや痴呆について詳しいことがわかっている時代では無かったので、家では常に祖父が内職などに連れ出し、失敗しては起こられ、時にはトイレに行って迷子になり、隣の工場の倉庫で寝ていた事もありました。
そういった事もあって、近くに特別老人養護施設が出来た時にはそちらであずかって頂く事になりました。
そのころには自分も就職しており、祖父と週1回は必ず祖母を訪問していましたが、まだ、私の事を孫と自覚していた祖母は、私と祖父が帰る時には「おいていかないで欲しい。1人にしないで欲しい」といつもいつも言っていました。
祖父も自分も、本当に心苦しかったですが、「またすぐ来るよ」と言ってうそをついて施設を出るようにしてました。
痴呆というのは、残酷なもので、時折全く普段と変わらない記憶の状態になったりします。
祖母は、おいていかれた事を理解した時どんな気持ちだったんでしょう?
今でも胸が苦しい気持ちになります。
本当にやさしいおばあちゃんでした。
自分が悪いことをして、父に物置に閉じ込められると、最初に必ず助けてくれました。
ボケてからは、よく歌を歌って、ハーモニカを吹いていました。
小さかった頃の記憶は最後までなくなりません。
自分の事は、ある日から息子になり、最後は他人になっていました。
人の魂について本当に不思議に思ったことを良く覚えています。
祖母の魂は、いつ旅立ったんでしょう?
ボケて記憶が無くなってきても魂はそのままそこにあったのでしょうか?
最後に寝たきりになり、ろくに会話も出来なくなりました。
そんな時に自我はあったのでしょうか?
それとも、そんな自分を上から見つめていたのでしょうか?
さとうみつろうさんに出会ってから、全てはひとつと知りました。
旅立ってから、またひとつなるものへ戻った祖母。
今週はお彼岸です。
そんな想いをこめて、週末にお墓参りに行ってきます。
おばあちゃん。
感謝してます。