遠い昔....海に隣接しない京都の人々が若狭からの鮮魚を 得るための不可欠な鯖街道。 若狭から運ばれた物資の中、特に鯖が有名なので名付けられた鯖街道。 生鯖が道中に痛まないように塩漬けにされ、小浜を 離れ街道の朽木を超え、活断層 花折辺りまで来ると鯖と塩味が馴染んで美味くなると伝わる。
鯖街道の起点
鯖街道と呼ばれてはいるが、鯖の他に鮮魚はアマダイ、イカ、カレイも運ばれる。
鯖の腐敗を防ぐため塩でしめて、丸一日かけて鯖街道を運んだ。早朝に小浜を 出発し、昼夜歩き続け翌朝 京都に到着。着いた頃には、良い旨味の味加減で食べ頃...
鯖寿司フアンにはこたえられん。
鯖街道MUSEUM
小浜市鯖街道ミュージアムは日本遺産ガイダンス施設として、日本遺産「鯖街道」や 小浜市の 文化財や伝統芸能、祭礼などを丁寧に紹介したもらった女性スタッフ。 入場料は無料で有難い、 鯖街道や同じ日本遺産に認定されている「北前船」などに
ついてもスタッフの方から説明が 聞ける。 「北前船」は司馬遼太郎氏の小説「菜の花の沖」江戸時代の廻船商人高田屋嘉兵衛を 読むと面白いと思う、個人的に函館の松前漬けが美味い。
小浜三丁目
日本の中世時代・佐々木道誉 バサラ武士の子孫・京極高次氏が小浜城築城の際、 武家と町人が混在した中世の町を整備し、町人地を東・西・中の3組に分けた 街づくりは重伝建の城下町に。 若狭湾に面する小浜は昔から京都と深いつながりがあって? 生活のいたるところに 京文化の面影を残す。 北前船交易で栄えた港町の歴史を伝えるエリア、三丁町と呼ばれるかつての茶屋 町は、狭い路地とベンガラ格子や出格子の家が軒を連ね、漂う落ち着いた雰囲気。
熊川宿
豊臣秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政は、天正17年(1589)に熊川が交通と 軍事において重用な場所であることから宿場町に。 町を通る若狭街道は日本海から京都まで鯖などの魚を運んだことで鯖街道と 呼ばれる。 街道に面して多様な形式の建物が建ち並び、昔ながらの町並みが保存されて 重要伝統的建造物群保存地区にも指定、道の駅「若狭熊川宿」に隣接。
松木神社前の説明板
若狭の義民松木庄左衛門が祀られている神社、熊川宿の中では桜と紅葉の名所。
松木庄左衛門は、苦しみにあえぐ若狭の農民を救うため藩主が酒井忠勝に 替わり小浜城が完成した後も重税が続いた為、寛永17年(1640)頃から 小浜藩領内252カ村の代表者が集まり話し合い、小浜藩の郡代官所に 陳情したが相手にされない。 それでも松木庄左衛門(上中町・新道村の庄屋)を中心に20名の総代が 税の軽減を十数年に渡り訴え続け、ついに酒井忠勝により 税の軽減が許された。 江戸時代は農民が幕府や藩に陳情する事は御法度だった為、中心人物だった 松木庄左衛門は捉えられ慶安5年(1652)、日笠川原で磔の刑により処刑、 28歳の若い命を失う。 いつの時代にも立派な方がおられるが、 反してどうしようもない人が権力を握ると人々はえらい目に会う、世の常。 黒澤明監督「七人の侍」ではないが、名もなき英雄は時代の流れに 風のごとく消え去る。




