やっていいことと、ダメなこと。

大人なんだから分かってはいる。

それなりの知識と年の功で説くことも出来る。

理屈では、です。

年齢を重ねるとそれだけ人間が極められる。

そんな風に若い頃は思い憧れを抱きもしました。

でも、実際に年を重ねたこのおっさんに、何かを惹き付けるだけの魅力も、何かを見付けようともがき走る情熱もそんなには無くて、ただ普通に過ぎていくだけの日々を捲っている。

こんな日々に感じることがあった。

無意識にゴミを捨ててるとき。

無意識に人の悪を言ってるとき。

無意識に自己主張を訴えてるとき。

無意識に冷めた感じの仕草を出してとき。

自分の良心には響かないのか、と。

それが無いからこそ余計に身勝手な行動が頭に浮かんでたのかも知れません。

こんな僕が、自分を律する為に見付けた最高のおまじない。

『自分の子供だったら』、です。

遂にゴミをポイ捨てしそうになった時。

自分の子供はそんなことするだろうか?

人の悪を語ろうとした時。

自分の子供はそんなこと言うのだろうか?

自慢気な話ばかりかましてる時。

自分の子供はそんな話ばかりするだろうか?

全て、自分の子供に置き換えて想像してみます。

不思議な程に心が洗われる感覚に陥ります。

この子のそんな姿を描けない。

この子がそんなのするはずないから。

同じ様にこの子も僕がそんなの汚い大人だなんて

思ってもいないはず。だから。

裏切れないです。

純粋な子供の思いを。

切ないです。

自分の行いに引け目を感じるのは。

こんな仕組みがいつからか頭に浮かぶ様になって

僕の人生には一つの自信と安心が芽生えました。

育てるには継続、持続していく辛抱さが必要。

もちろん挑んで生きていくつもりだし

学んで成長していく予定です。

それにしても

土壇場に現れる子供の存在には頭が下がります。

いつも僕を救ってくれてありがとさん。